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『?』
「…失礼」
ピアーズが何に驚いたかと思えば、彼はポケットから通知を知らせて振動する通信機を取り出して開いた。
「んー……召集掛かっちゃったな。」
『お仕事ですか…?』
「そうだね…できれば一晩中そばにいてあげたかったけど」
画面を見つめ内容を確認し、機器をしまって顔を上げたピアーズは、既に名前の知る戦場へ赴く兵士の表情へと変わる。
『!、ピアーズさん出発するならお休みした方が…』
「ああ、気にしないで。まだ時間に余裕あるから」
ピアーズは心配そうな名前に向けてにこっと笑う。
「いいんだよ。もう次いつ会えるかわからないからさ」
『』
――もう次いつ会えるかわからないから。
何故かこの一言が名前に深く突き刺さった。
ガーンと繰り返される言葉。それもそうか。熱いコーヒーを飲もうとカップに口を付ける。彼は軍人。相手にするのは人とは限らない。過酷な現場は常に死が付き纏う。
つまりは「いつ」以前に「もう」会えない可能性だってあるということだ。これが最初で最後の面会になったりして…。
それは唐突。色々思うと胸は心臓を紐で括られるように締め付けられ、鼻はツンとし、喉まで何か詰まる感じがした。目はまさに見る見るうちに涙でぼやけて見えなくなっていく。熱いコーヒーを飲んだせいにしようと、名前はわざとカップをごくごくと煽った。
「名前…?」
最初こそ笑っていたピアーズも彼女の異変に気づく。
「名前、どうしたの?」
横向く彼女の目から涙がポロポロと溢れて、名前はさっと拭うも止めどない。
そしてピアーズに視線をちらりと向けたが最後、それは若さ、淡い気持ちに思い溢れた。
『………急にっ…悲しくなっちゃって…』
暖かな光色に照らされ愛くるしい瞳は子犬のよう。名前の愛おしさにピアーズは溜め息を漏らして、カップをローテーブルに置くと、たまらず彼女を抱き締めた。
「俺が行くから泣いてるの?」とピアーズが問えば、『うん』と名前は涙声で頷く。
男の胸に顔を埋めると名前は静かに、目一杯行かないでほしいという気持ちを込めて、涙で彼の服を濡らした。握り締められてへこんだかわいそうな紙カップは、ピアーズに取り上げられて彼のとなりのカップの横に並ぶ。
これから行く仕事場を想像して名前は泣いているのだろう。
彼は名前の頭に口付け、髪を撫で、背を撫で、ありったけの抱擁を送った。
「ねぇ、名前。…こっちむいて?」
充分抱いたらピアーズは一度胸から彼女を離す。
これはいけない、見せてはいけない。向かせたはよいが、純真無垢な天使の泣き崩れた顔は男心を掻き乱し、裂けそうな悪魔の笑みを隠しながら彼は涙を流す薔薇色の頬を指で拭った。
『また危ない場所に行くならっ…ピアーズさん、行かないでっ…』
「そのお願いだけは聞けないかなぁー…」
『どうしてっ…』
なんて可愛らしい。溢れる涙は星の海、零れた涙は大きな真珠。
「俺が死んだらどうしようとか、考えてるでしょ?」
『……っ』
困惑する顔も彼のツボ。まるでショットガンで頭を吹っ飛ばされたみたいに、ピアーズは名前の発言に翻弄されてくすぐられる。
しょんぼりへこんで名前が俯こうとすると、彼はキザに指で顔を上げるようその顎を掬ってみせた。
鼻先ギリギリまで顔を近づけて、さらに自慢の長い睫毛を男の色気たっぷりに瞬かせて##うんと誘惑してやれば効果覿面。驚いた彼女は泣くことを忘れて時を止める。
「笑って」
『へ…?』
「また会うためのおまじない」
名前は間の抜けた顔で固まっていたが、ピアーズに微笑まれてはっとした。
照れ臭いけれど、泣くばかりだったひきつる唇を遠慮がちに笑わせる。
『…こう?』
「上出来…」
見惚れた彼の唇にぐんと引き寄せられて、名前は紳士の口付けを受けた。
欲張ることなく口先だけ。しっとり啄んで名残惜しそうに離して、誘惑してくる彼の目がたまらなく憎い。
嗚呼、全身の骨を溶かされてしまいそう。
冷たくて柔らかい唇の感触は病み付きで、ピアーズと交わした初めてのキスは、苦くも爽やかなコーヒーの香りがした。
====彼と過ごした奇妙な数日====
名前の瞳は絶望から恋色に染まる。
☆おしまい☆
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