27

彼女を前にして、医者は口々にこう言う。

「これは奇跡だ」
「どうしてこんな体で動けていたんだ」

そんなことは知らない。強いて言えば、極度の緊張感という名の麻酔が効いていたのかもしれない。

彼女は毎日毎日のたうち回るほどに体が痛くて堪らなかった。

魘されて眠れない夜は幾度となく続いた。入院期間は数ヶ月掛かるという。テレビに雑誌、新聞。当然か、これ見よがしに報道し、名前はゾンビも街の悲劇も全て夢でないことを知った。知人も死んでいた。街の地下がテロ組織の活動拠点になっていたなんて、このご時世誰が思う?

『!』

ゴージャスな個室の病室には、日を追うごとに見舞いの花が増えていく。

「さっき来てたんだけどね〜…」

看護婦は言った。彼は来てくれているんだ。ただそういうときに限って、名前は疲れはてて寝てしまっている。

数週間と経って、体の傷が癒え始め、動き出せるようになっても、名前はずっと眠れずにいた。

どうしてか?それはあらゆる恐怖体験を思い出してしまうから。数日で一生分と言っても過言ではない、恐怖を味わったとも言える。

『………』

時刻は深夜、だから名前はこうして特別に、ナースステーションの近い、広い談話室の一番窓際にある大きなソファーの上で、一人膝を抱えて、まるで舞台みたいに照らしてくれる暖灯の光の元に座っていた。彼女は極端に孤独を恐れていたのだ。ローテーブルの上には無造作に置かれたボックスティッシュ。今日の出番はまだない。


―――コツ…コツ…コツ…

またいつもみたいに心配した看護師が声を掛けに来てくれたのだろうか。
名前は足音の先を、何気なく見つめた。


「やあ」

『』

眠たげな瞼が勢いよく持ち上がる。
どんどん近づいてくるのは『彼』。夢じゃない。
もうあんな重装備な格好じゃなくて、ラフな服装で、自販機で購入したのか、両手にコーヒーの香りが漂うカップを持っている。

「隣、座ってもいい?」

言葉が出ない名前は、少し間を置き、我に帰ってきたうんうんと首を縦に振った。

「本当はココアとか…なにか温まるものを持ってこようとしたんだけど。夜は絶対コーヒー以外飲まないって聞いて」

名前は慌てて抱えた膝を行儀よく下ろし、ピアーズのために席を1つ開けて詰める。

「温かいのと冷たいの、どっちがいい?」

『あ…じゃあ、温かい方を…』

状況を飲み込みきれてないが差し出された2つのうち、名前はたどたどしく熱めのコーヒーを受け取った。

「ごめん。花はてっきり寝てると思って入り口に預けてきちゃった」

『あぁっ、いえそんなっ…!お気遣いなく…』

「最近体はどう?」

そら来たその質問。なんやかんやで五体満足、ご安心くださいばっちり治りましたと、名前は笑顔で腕を動かした。

「それはよかった」

『…ありがとうございます』

「傷跡は…?」

『?』

「……傷跡はやっぱり残った?」

腕を見つめて彼女は思う。残っちゃいるが、さして目立つわけでもないし名前は全く気にしていなかった。

『ちょっとだけ』

「…っ」

そう言うとなぜがピアーズの方が悔しそうに顔を歪ませて。

『わたしは全然気にしてなんかっ…!』
「こんなことじゃ気が済まないだろうが、俺にできることなら何でも言ってくれ」

『だだめですっ!謝らないでくださいよ…!!』

「名前頼むっ…」

『私はピアーズさんに撃たれてよかったと思ってるんですっ。もし撃たれてなかったらゾンビに襲われてたかもしれないし、逆にゾンビと勘違いされて他の人に撃たれてたかもしれないし…!』

「『じゃ謝っちゃだめですっ…!!!』

負けじとぴしゃんと名前は、物凄い気迫で迫ってきたピアーズに珍しくはっきり言い切った。彼がすかさず謝ろうとするものなら、彼女もそうはさせんと牽制した。

「OK、わかった。…わかったよ、もう謝らない」

ピアーズはそれが名前の望みならばと、顔険しくも引き下がってくれた。
ふう…これにて一件落着。なぜが無駄に緊張した胸を名前はほっと撫で下ろす。


「…なら他に、俺にできることはある?」

『!』

いつか聞いた台詞だった。名前は問われて咄嗟に頭を振る。

「嘘つけ」

名前はさらに高速で二回頭を振って否定すると、ピアーズは信用ないという顔で、片眉を上げた。

「…酷い顔してる。やつれてるし…眠れないんだよね?」

蒼白い顔色と隈は語る。
でもじっと見つめられるうちに、久しくわかりやすいほど名前に血の気が戻ってきた。
彼の瞳は薬に勝る?饒舌失せて見惚れていると、ピアーズは突然吹くように笑った。ピリッとした空気が和らぐ。彼思うに、名前は実にわかりやすい。

彼女は未だピアーズの虜。
目尻の長い睫毛を瞬かせ、覇気なくニコリと笑う優男は、戦場で見た人物とはまるで別人の顔つきだったから。

「飲まないの?」

ピアーズがコーヒーを一口飲んだのを見て、笑顔に釘付けの名前も上の空でコーヒーを口に含み、想像以上にホットな温度に肩をすくめた。

全29ページ

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