リク | ナノ
 春の足音…19

数か月身を寄せる賃貸への帰宅道、早梅が花を付けていた
夜風に靡いた花の香がアカギの鼻腔を擽る
どこか暖かい風は春の足音を知らせる便りだ
薄手のコートでも不自由しなくなって一週間ほどが経っただろうか

そういえば、あの人も梅の香りがした

足元に僅かに漂う冷たさがアカギの心を撫で付ける
ズボンのポケットを探ると目当ての名刺はあっさりと見つかった
数メートル先の電話ボックスに入り、同じくポケットから発掘された五十円玉を投入する
受話器を肩に挟みながら、名刺を頼りにダイヤルを押した


『…もしもし』

「赤木です。規約違反で申し訳ないんですが、今から仕事頼めますか」

『構いませんよ。ちょっと今手が離せませんで、家に来てもらってもいいですか?』

「わかりました」

『入り口で045と入力してください』


身を翻し、駅までの道のりを逆に戻る
明確に会いたいと思ったのはこの時が初めてだった。



思い返せば、あの代打ちの仲介紛いの男が発端だった


『そんなに麻雀ばっかやってて肩凝らねえか』


ご機嫌を取りににこにこ胡散臭い笑みを浮かべて、男は整体マッサージをアカギに進めた
当時は全く乗り気でなかったのだが、男に連れられていざ受けてみると此れが思いの外調子が良かった
自分でも気がつかないうちに肩や腰が凝り固まっていたらしく、担当になったマッサージ師が驚いていた
店を出る頃にはずっと忘れていたような体の軽やかさで、調子が良かった

再度男に勧められ次に来店した時は大した効果は得られなかった
前回からかなり間が空いているので体は凝っていたらしかったが、今一それが解消された心地がしない
他人にべたべた触られるのは元々好きではなかった
一度慣れてしまえばこんなものか。
アカギは感慨無く店を後にする

幾ばくかの後に男に例の場所を勧められた
アカギは断りを入れたが割引券があるらしく男の押しは無駄に強かった
最初の時の効果が得られる可能性もあるので、仕方なく店に向かった
そして、受け付けで初めて来た際に自分の担当をした店員を調べてもらい、指名したのだ
此れで単なる慣れなのか、スタッフの技量にムラがあるのかはっきりする


「宜しくお願いします」


人の良さそうな笑みを浮かべて、その女は入ってきた
アカギが指名したのは雁ヶ音ポン吉という女だった


「相変わらず凝ってますねえ」


アカギの空気を察して、彼女は適度に話しかけながら確かな腕で仕事を進めた
必要な所はしっかりコミュニケーションを取り、アカギの凝りを円滑に解していく


「あ、此処押すと痛いと思いますが多少我慢してください。えい」

「いたっ」

「頑張ってください」


アカギの反応を楽しんでいる節があったが、腕は確かだった
終わる頃にはまたすっかり身体が軽くなっていた


「あんた、上手いんだな。前に頼んだ時はこんなに楽にならなかった」

「ありがとうございます。またご指名お願いします」


食えない人間だった
人の思考を読み取ることが得意なアカギにも雁ヶ音の人間性はわからなかった

それから何度か雁ヶ音を指名するうちに、店に通うことが面倒になった
別段アカギの今の住居から近い訳でもなく、代打ちを引き受ける場所はいつも区々だ
だから、雁ヶ音個人に出張で仕事を頼めないか聞いた
店ではそういったサービスはしていないとやんわり断られる
金は有り余っているので交通費と店の仕事一日分の給与の5倍の額をアカギが提示すると話に乗った
条件として週に一回が上限、前の月の月末までにアポを取ることになった
雁ヶ音はしっかり割りきって仕事をするのでそこもアカギが気に入っている理由の一つだった
何処かに訳在って通い詰めると大概ろくな目に合わないが雁ヶ音にはその心配は無かった
必要以上に深入りはしないし、アカギの個人情報も守っているようだった


アカギの仮宿に初めて雁ヶ音が来た時、想像通り簡素なお家ですねえ、と彼女は口にした
洋服は仕事の制服ではなく、動きやすいようなズボンにシックなYシャツ、セーターの着こなしだった
このくらいの付き合いになると雁ヶ音のことを幾分か理解出来るようになっていた
笑った顔は狐のようで、相変わらず思考は読めないがアカギが常人ならざる人間であっても、変わらずに接する度量を持っている
そもそも男の家に多額の金で呼び出されて、やってくるのは通常の神経ではない


「なあ、どうしてわざわざ出張に応じたんだ?」

「アカギさんから話しかけてくるのは珍しいですね」

「いくら金積まれても普通来ないだろう。怪しいと思わなかったのか」


肩を力強く押す細い指は間違いなく女のもので、傷一つ無かった
もう何度も頼んでいるのでアカギの凝りやすい場所や押されれば気持ちの良い場所も熟知しているだろう


「そうですね…。興味があったんです、貴方に」

「え」


意外な言葉に振り向くと、雁ヶ音は上手く出来ないとアカギの頬に触れ顔を前に戻した


「貴方は変わった雰囲気をしてらっしゃるので、どんな生活をしているのか、気になったんです。…すみませんね、こんな年増に言われても嬉しくないでしょう、大した意味は無いですから仕事は今まで通りに、詮索はしません」


照れ臭そうに雁ヶ音は口にする
女性に真っ直ぐに好意をぶつけられたのは、アカギにとって初めてのことだった
麻雀で勝ち続ければ接待で女性が付くことはあったし、アカギの金や容姿目当てに体を寄せてくる女は少なくない
しかし、こうして麻雀と関係のない自分を認められ、打算無く率直に近づいてこられると、体がどこかむず痒い
背中に触れる細指はいつもより熱い気がした
アカギは雁ヶ音の手が仕事始め冷たいが力を込めているうちに血が通って温かくなることを知っている
雁ヶ音に触れられるのは不快ではなかった、いや、むしろ。


「それとも、今度はちゃんとおめかしして、デートでもしましょうか?」


照れ隠しなのか、冗談っぽくはにかんで雁ヶ音はアカギから離れた
普段は嫌味たらしい笑みしか浮かべない狐であるが、その時の笑みは少女を連想させた
雁ヶ音は仕事を終えると代金と次の予約だけ確認しさっさと帰っていった



雁ヶ音がフライパンのオムレツをひっくり返していると、チャイムがなった
インターホンのカメラには見慣れてしまった白髪と画面越しの此方が見えているのではないかという目が写っている


「今開けます、部屋は四階の奥です」


30分前夕飯を作っている途中でアカギから電話がかかってきた
アカギが来る頃には食べ終わっている計算だったのだが、思ったよりアカギの現在地からこの家が近かったようだ
間も無く、ドアチャイムが鳴ったのでミネストローネの鍋の火を止めて玄関に向かった


「いらっしゃい」

「今晩は」


悪魔は平素の通り静かな空気を纏っている
先に中へ通すと少し申し訳なさそうに脱いだ靴を整えてリビングへ歩いていった
狐は庶民的なマンションに住んでいた
室内は女性の部屋とは思えないほど簡素だった
必要最低限の調度、テレビはcdデッキといった趣味を感じさせるものは何もなかった
アカギがソファに腰かけるとキッチンで雁ヶ音は湯を沸かした
アカギを招き入れたのは初めてだった
他の人間が部屋にいることに慣れずに脚の親指を擦り合わせる


「すみませんね、急に邪魔して」

「いいえ、夕飯は食べましたか」

「いや」

「さっきまでお料理をしてたんですよ、ご一緒しませんか」

「…こりゃ、いつも以上に弾まなきゃいけねえな」

「そうですとも」


にこにこと狐は笑ってコーヒーのマグカップを差し出した
こうでもしなければ間が持たない気がしたのだ
幸い二人分の量はある
アカギがコーヒーに口をつけている間にテキパキ配膳をする
その間も何だが気になって視界の端にアカギを探してしまう
当の悪魔はそれほどこの場の空気を気にしていない様子だった
自宅に相手がいる違和感も食事を始めてしまえば何処かへ行った
お互い話す方ではないことと、アカギの放つ空気が雁ヶ音を落ち着かせた
食べ終えた食器を洗っているとソファのアカギが話しかけて来た


「あんたも人間だったんだな」

「どういう意味です?」

「生活感が無かったから」

「お互い様ですよ」

「そうか?」

「ええ。…今日は何故突然仕事を?」

「ああ、なんだろうね、会いたくなった」

「肩が凝ったのではなく?」

「うん」


予想だにしないことをアカギが言うので雁ヶ音は口を閉ざした
それは仕事を抜きにして会いに来たと言っているに等しいではないか
水に触れる冷たい手に反して首の辺りからじわじわと血が巡ってくる


「帰り道に梅の匂いがしたんです。あんたも似た匂いがしたなと思ってね」


いつの間にか真後ろにアカギが立っている
雁ヶ音の長い黒髪を掬い、それをそっと鼻を寄せる
突然のことで雁ヶ音は手元のスプーンを取り落とした
ガランとシンクが音を立てる
髪に神経が通っている筈は無いのだが、そのくすぐったさに心臓が跳ねた


「やっぱり同じ匂いがする…雁ヶ音さん?」

「ええ…いえ…」


思わぬ行動にアカギから離れようとしたのだが、シンクが腰に当たるだけで身動きが取れなかった


「デート、でしたっけ、何時します?」


伸びてくるアカギの手が雁ヶ音の頬に触れる
水野は身を強ばらせるがその手は何かを確かめるような優しさで肌を撫でるだけだった
全てを見透かす両の澄んだ目がこちらに向いている

これはアカギの何かを自分が芽生えさせてしまったのではないか。
雁ヶ音は頬に乗せられたこの先の災難と期待にアカギを見つめることしか出来なかった





アカギ19と狐で現代、両片想いのようなラブコメ

いっそ、このデートの部分を書くべきなのでは、と思いつつ「始まり」を書くのが大好きな管理人です。
続きを書かない方が想像が膨らみますよね。
「おめかし」を条件に出され、お洒落な雑誌を鬼気迫る顔で読むアカギ、治にヘアメイクやってもらうアカギ…。

現代のアカギと夢主の出会いについては色々と設定を考えておりました。
雀ゴロとパート、マッサージ師、小料理屋…お隣のOLでもネームは進めていたのですが、文中に「きゅん」とかいう擬音が飛び出したのでそっと消しました。

改めまして、リクエストありがとうございました。
雁ヶ音ポン吉様に捧げます。








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