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四季狂い。本名、カトウ・ハルアキ。

彼はウタフジ・セイショウのペンネームで活動している、花を題材にした作品と、繊細な心理描写で有名な小説家である。

デビューからヒットまでに長い年月を要し、”遅咲き作家”と呼ばれていたが、咲いてからの彼は発表する作品は立て続けにベストセラーとなり、今や、帝都の現代文学にこの人ありと言われる程の作家だ。


「サインください」


勢いのままにオフィスを飛び出したすすぎあらいは、一度家に戻って取ってきた”ディア・カサブランカ”の文庫本を四季狂いの前に恭しく差し出した。

父から譲り受けた”ディア・カサブランカ”は件の放火で燃えてしまったので買い直した物だが、ウタフジ・セイショウのサインがあれば、父も浮かばれるというものだ。
存外快くサインを承諾してくれた四季狂いを見つめながら、すすぎあらいは珍しく昂揚しているのか、頭をごうんごうんと鳴らし続けている。


「その歳でこれを読んでいるのか。珍しいな」

「父が、先生のファンで……特に”ディア・カサブランカ”が好きだったので……」

「成る程」

「あの……握手もいいですか……?」

「うむ」

「すすぎが敬語使ってるとこ、俺初めて見たかもしんねぇ」

「あいつも畏まることってあるんだな」


四季狂いの皺だらけの手を握り、有り難そうに背を丸めるすすぎあらいを見ながら、シグナル達は珍しいこともあるものだと四季狂いが持参してきた菓子折りを摘まむ。カスタードクリームをカステラ生地で包んだ一口大の茶菓子だ。

普段、茶菓子の類に一切関心を示さないすすぎあらいが「全部食べないでね」と念を押してきたので、彼の分に付箋を貼っておいた。
菓子自体はどうでもいいのだろうが、ウタフジ・セイショウからの貰い物という付加価値がある為、口にしたいのだろう。あの様子だと、食べずに飾ると言い出してもおかしくないが。

しかし、彼も普通の人間らしいところがあったのだなと、シグナル達が謎の感慨深さを覚える中、昼行灯がそろそろ本題に入りましょうとテーブルの上に一冊の本を置いた。


「すすぎあらい、この本を知っていますか?」

「”ネモフィラヶ丘”。ちょうどさっき読んでた」


奇しくも、朝方すすぎあらいが手に取っていたのはこれと同じ本だった。


”ネモフィラヶ丘”は、ウタフジ・セイショウ初期作の一つだ。

己の夢を追いかけることに夢中で周囲をまるで顧みない男と、彼に想いを寄せる女性の、哀しみのない悲恋の物語。
鳴かず飛ばずが多かった初期作の中で、当時唯一増刷された作品であり、ウタフジ・セイショウがベストセラー作家となってから再評価され、演劇化・映画化された彼の代表作でもある。物語の舞台である美しき青い丘が描かれた表紙は、誰もが一度は眼にしたことがあるだろう。

その”ネモフィラヶ丘”がどうしたのかと視線で問うすすぎあらいに答えたのは、四季狂いだった。


「今回、お前達に探してもらいたいのはこの表紙絵だ」

「……表紙絵」

「私にとってこの絵は特別な……いや、特別なんという言葉では足りないな。格別……至極……最上の…………えぇい、浮かばん!!なんと言っていいのか分からん!!兎角、それ程までの至宝なのだ!!」

「作家が表現ぶん投げていいのかよぉ」

「この世に存在する言葉では現せないものというのは存外多いものだ」

「うわすごい作家っぽい」

「そりゃ作家だからな」


帝都クロガネが誇るベストセラーが言葉を尽くせない代物。それ程までに価値のある物なのか、思い入れのある物なのかとシグナル達が勘繰る横で、四季狂いは息を引き取った想い人の頬に触れるような手付きで”ネモフィラヶ丘”の表紙を撫でる。


「この絵が無ければ、この本があそこまで売れることも無かっただろうし、私が今日まで作家を続けることも無かっただろう……。だのにあのクソ編集!!よりによってこの絵を盗むとは全く腹立たしい!!思い出しても腸が煮え繰り返りよるわ!!」

「盗まれたんですか、この絵」

「五年前、当時の担当編集にな!!あぁぁ本当にあのクソ!クソ!クソ!!”ネモフィラヶ丘”のページ数と同じ数だけ撲り殺してやりたかった!!」


未だ鮮度の落ちない憤りに血を滾らせながら、四季狂いは両手で持ち上げた何かを振り下ろす動作を繰り返す。脳内で件の担当編集を撲殺しているのだろう。

その口振りと動きからするに、四季狂いが花瓶のモノツキになった原因も其処にあると見て間違いない。
至宝とまで称する程に大事にしていた絵を当時の担当編集が盗んだと知った彼は、家にある花瓶で相手の頭を撲り付け、つくも神に呪われた。

つくも神の乱入で担当編集の息の根を止めるには至らなかったのか、家族の誰かが止めたのか。その辺りは定かではないが、四季狂いは元担当編集を自らの手で仕留められなかったことにも苛立っているらしい。クソクソと連呼しながら狂ったように腕を上げ下げしていた四季狂いだったが、高齢の為、そう長くは続かなかった。


「……”ネモフィラヶ丘”の表紙を描いた画家が誰か、知っているのはごく一部の人間だけだ。この絵を描いていただく条件の一つが、作者の名前を伏せることだったからな」


肩で息をしながら、四季狂いは”ネモフィラヶ丘”を手に取り、当時の記憶を辿るように徒にページを捲った。

「五十年前、出す本出す本悉く売れない作家だった私は、重度のスランプに陥っていた。ちょうど”ネモフィラヶ丘”を書き終え、もうこれで作家業は廃業しようと思っていたところだった。だが当時の担当編集は『先生は必ずクロガネ一の作家になる方です』と、あの手この手で私を奮起させようとしてな……。新作の表紙をあの人に描いてもらえれば、私もやる気になる筈だと、恐れ多くもあの御方に”ネモフィラヶ丘”の表紙絵を依頼したのだ。不遜だよね。そして奇跡としか言いようのない話だが、あの御人の姪っ子さんが私のファンだということで、出版前の”ネモフィラヶ丘”を彼女に読ませること、作者の名前を伏せることを条件に、依頼を引き受けていただけることになった。もうほんと嬉しくて……勢いで五本くらい新しい話書いた後に彼女にプロポーズしたもんね、私」

「初代担当が奥さんって話は有名だけど、そんな経緯だったんですね」


ウタフジ・セイショウの伴侶が初代担当編集というのは、それなりに周知されている。
ドキュメンタリー番組やベストセラー賞受賞インタビューで度々話題になっていたので、ウタフジ・セイショウのファンではない人間でもそのエピソードは知っている、なんてこともある。

しかしまさか、プロポーズに至った切っ掛けが、好きな画家に表紙絵を描いてきてもらったからだったとは。

奥さんはそれでいいのかと思ったが、それでいいので彼の求婚に応じたのだろう。いつかテレビで見た、エレガンスなウタフジ夫人の顔を思い浮かべながら、すすぎあらいは”ネモフィラヶ丘”の表紙を見遣った。


「…………五十年前の画家、盗まれるくらい価値のある絵、姪っ子か……」


これまで表紙に注目したことが無かったので、作者のことなど考えたことも無かったのだが、改めて見るとそうなのではないか、と思う。

恐らく、かつてこの花と同じものを眼にしていた為だろう。すすぎあらい以外の社員達も、皆一様に同じ人物を思い浮かべていた。


「あのー、もしかしなくても何ですけど、この絵の作者って」

「察しが付いたか」


一応確認の為、と手を挙げたサカナを一瞥し、四季狂いは深く頷いた。

彼がツキカゲの戸を叩いたのは、彼等の実績を頼りにしてきたからだ。忘れもしない二年前、まさに青天の霹靂の如く現れた”幻の絵画”。その幻に眼と鼻の先まで届いた彼等であればと、四季狂いは此処を尋ねた。

心から敬愛し、崇拝するただ一人の画家――彼から譲り受けた至宝の絵画を取り戻す為に。


「そう、この絵……”青花候”の作者は、帝都クロガネが誇る近代美術の巨匠。稀代の天才画家、コウヤマ・フミノリ先生だ」

「やっぱりかぁ」

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