ALIVERS | ナノ


かつて、未だ世界に海と呼べるものがあった頃、人工魚礁というものがあった。

列車、船舶、コンテナハウス、戦車、軍艦――そうした廃棄コストのかかる不要物を海に沈め、魚達の住処にして、人々は海を豊かにしていたという。


では、この場所はまさに、陸の人工魚礁と呼ぶに相応しいのではないか。男は煙管を燻らせながら、遥か頭上で鎌首を擡げる鉄の龍を見上げた。


あれはかつて、この要塞に搭載された九つの主砲の一つだ。名を、九頭龍砲という。

主砲に龍の装飾が施されていることに、特に意味は無い。製作者の趣味だ。しかし、大地を焼き払い、戦闘機を撃ち落とし、敵国を震撼させたこの兵器あって、この国――皇華國は辛くも百年戦争を生き抜いた。


斯くして、九の頭を持つ龍は皇華の守護神として諸外国にその名を轟かせることになった訳だが、無双の要塞も戦争が終われば無用の長物となり、皇華の守護神は砂漠と化した大地の中に捨て置かれた訳だが、捨てる神あれば拾う神あり。国に打ち捨てられた要塞には、いつしか居場所や行き場を無くした人々が集まり、此処は陸の人工魚礁となった。

旧要塞都市・九龍。それが、この吹き溜まりの名前だ。


戦後百年、人々がより良い暮らしを求め、改築に改築を重ねた結果、最早要塞とは名ばかりの有り様となったが、この混沌と雑然を極めた雰囲気が、男は嫌いでは無かった。

めちゃくちゃに張り巡らされた電線や水道管、積み木さながらに重ねられた家々、狭い路地、犇めく電光掲示板――これら全てが人の営みであり、大戦によって殆ど滅びた世界に於いても未だ人が生きる力を失っていないことの証明であると、そう思ったからだ。


男は、一斗缶の上に貧相な座布団を置いただけの椅子から腰を上げた。余りに客が来ないので、今日はもう店じまいにして、近所の爺さんとシャンチーでもやろう、と。しかし、彼の脚は其処で止まった。


「……おや、」


お客さんかな、と言い終えるより早く、男の前に黒い影が降り立った。

汚れた黒い外套を頭から被ったそれは、ガチャンと重い音を立てて着地した。甲虫を彷彿とさせる刺々しいそれは、義足か。否、脚だけではない。かの者は、黒々と輝く圧砕機めいた厳つい両腕を携え、此方を見据えている。その顔は、目深に被ったフードに隠れているが、射抜くような視線が痛いくらいに突き刺さる。男は、そう睨んでくれるなと肩を竦めながら、半歩前進した。


「やぁ、いらっしゃい。診察かい?」

「…………」

「見たところ、何処も悪く無さそうだが……それのメンテナンスかい?」


取り敢えず、対話を試みようとしたが、それが相手の神経を逆撫でたらしい。鉄板が敷き詰められた床を抉るようにして跳躍するや、黒外套がその鋭利な爪を振り翳してきた。

瞬時に身を翻し、攻撃を躱すと、傍らの一斗缶が紙屑のようにひしゃげた。凄まじいパワーだと感心していると、黒外套が身を捻り、槌を振り回すように片腕を上げる。まともに喰らえば、頭部が西瓜のようにかち割れるだろう。男は後方に宙返りしてこれを躱し、さてどうしたものかと思案した。


何故自分が襲われているのか。身に覚えがないと言えば嘘になるが、この黒外套には覚えがないし、いきなり無言で殴り掛かられる程のことを昨今しでかした記憶もない。昨今は。

ともあれ、人違いの可能性もあるし、無益な争いは避けたい。此処はどうにか穏便に事を済まそうと、男が構えると同時に、黒外套の腕が伸びた。拳部分がアタッチメント状になっており、手首とワイヤーの様な物で繋がっている仕様らしい。射出された拳が眼前に迫る。それを紙一重で回避するや、男は鋼鉄の拳を掴み取り、黒外套を背負い投げた。


「?!」


その痩せた体の何処にそんな力が、と宙に投げ出された黒外套が瞠目する。そのまま地面に叩き付けられながら、何とか受け身を取った黒外套だが、勝負は既に決していた。


「……っ! お前……!」

「悪いね。戦闘にはちと慣れているのだ」


馬乗りになられただけならまだ、抵抗出来た。だが、目の前に突き付けられた銃口が、抗う意志を削ぎ落とした。

男の手には、銃がある。いや、精確には、男の手が銃になっていた。

ついさっきまで確かに人の形をしていたそれは、白い甲殻を纏ったように肘から先が変形している。引き金らしいものが見られないのは、男の意思で弾丸を射出出来るからだろう。間違いない。これは、男の体から造られた物だ。自分のそれとは、違う。


未知なる物を前にすると、人は惑う。惑いは躊躇いを生み、躊躇は隙を作る。それでも、男に殺意があったなら、黒外套は最後まで牙を剥いていただろう。結局のところ、其処なのだ。


「取り敢えず、話を聞こうか。誰かに見られたら誤解を招きかねないし……私も、幼気な少女に乱暴はしたくないのでね」

「…………クソ」


気付いてたのか、と舌打ちしながら、黒外套がフードを外す。

その両手足に纏う義手義足の厳つさに似合わぬ、可憐な面差し。耳の横程の長さまで切られた黒髪と、吊り上がった金色の双眸に、白い頬。思っていたより美しい、と口にしたのなら、蹴りの一つ二つ喰らいそうだ。そう悟った男は、彼女の容姿については何も言わず、家に通すことにした。

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