ALIVERS | ナノ
男の住居兼診療所は、かつて医務室として使われていた部屋を買い取って再利用した物だ。
彼は医者である。無論、免許など有していないのだが、腕は立つと評判だ。その腕が変形し、銃になるとは聞いていなかったが、と少女が睨みを利かせる中、男はコート掛けに吊るしていた白衣を羽織る。相手が診察希望者ではないことは明白だが、此処に居る間は白衣を着る。それが男の定めたマイルールである。特に意味は無い。ただ何となく格好が付くからだ。
「適当な所に腰掛けてくれ。私はお茶を持って来る」
「……自分を襲った人間に茶を振る舞うなんて」
舐めているのか、と一層目付きを鋭くする少女だったが、男が「如何にも」と言わんばかりの笑みを浮かべてみせたので、噛み付く気力も失せた。
こういう手合いは、ムキになっても仕方ない。腹立たしい思いは奥歯で磨り潰し、大人しく座っていようと、少女は診察用の椅子に腰掛けた。
男を待つ間、手持ち無沙汰に診療所内を見回しても、特に変わった物は見られなかった。
古びた机や薬品棚、質素な診察台、医療器具が乗ったカート、点滴や輸血パック――何れも何処の医療機関にもありそうな物ばかりだ。悉く引っくり返したところで、男の謎に迫る物など、何一つとして見付かりはしないだろう。
しかし、あれは一体何者なのだと、少女が溜め息を吐いたのと、湯飲みを持ってきた男が戻ったのは、ほぼ同時だった。
「どうぞ。私の特製漢方茶だ。リラックス効果があるぞ」
「ふざけやがって」
自分が錯乱から強行に及んだと思っているのか。少女はこれでもかと眉を顰めながら、湯飲みをふんだくるようにして手に取った。
その厳つい義手で乱暴に扱っても湯飲みに罅一つ入っていないのを見るに、力のコントロールは微調整が効くらしい。アームで挟み込むように、二本の指で器用に湯飲みを持ち上げる少女を眺めながら、男は普段から使っている粗末な事務椅子に腰掛ける。
「その手脚……《黒鉄 ―クロガネ―》だな。となると、君はヘイ族かな?」
「…………ああ」
《黒鉄》とは、機械に寄生するミクロサイズの虫の名称だ。
彼らは大戦時代に用いられていた生物兵器の一種で、体から特殊な電磁波を放ち、仲間と交信しながら寄生した機械を操る特性を持つ。彼らが寄生した機械は皆一様に黒くなることから《黒鉄》という名がついたのだが、ヘイ族はその《黒鉄》と言わば共生関係にある。
黒き鋼の四肢を持ち、戦後退廃したこの世界で百年生き抜いてきた辺境の傭兵部族・ヘイ。
噂には聞いたことがあるが、実物を見たのは初めてだと少女をしげしげと見つめていた男は、ふと思い出したように問いかけた。
「そういえば、未だ名前を聞いていなかったな」
現状、分かっていることは、目の前の少女がヘイ族の人間であるということと、何かしらの理由を以て自分を襲撃してきたことだけ。
その目的を聞こうとこうして家に招いた訳だが、話を円滑に進める為にも名前を知っておく必要がある。彼女も、此方に色々聞きたいことがあるようだし、互いに自己紹介しておくべきだ。その意図が伝わったのか、少女は存外素直に名乗ってくれた。
「……ヘイ・ヤーだ。で、お前は?」
「私はシュエ。……と、普通に名乗っても君は納得し兼ねるだろうから、正式名称の方も名乗らせてもらおう」
――シュエ。
その名前が自らの誕生と共に当てられた物ではなく、本質を示すものでないことは少女――ヤーにも分かることだろう。
だから、話をより簡潔に、且つ適切なものにするには、此方を名乗るべきだろうと、男は自らの腕部を変形させながら、名乗り直した。
「自律思考型汎用人型決戦兵器《人形 ―ヒトガタ―》。それが百五十年、私に付けられた名前だ」
《人形》。かの兵器は、その名の通り人の形を模した殺人道具であった。
彼――性別が設定されている訳ではないのであくまで今の姿に合わせた呼称だが――の体は、核となるマザーコンピューターと、無数のナノマシンで構築されている。
このナノマシンは、あらゆる物質を分解し、エネルギーに変換する性質を持ち、電気や燃料は勿論、蛋白質や炭水化物といった有機物まで取り込むことが出来る。
そのエネルギーがナノマシンを変形させ、銃火器やブレードといった武器類を構築する他、取り込んだ物質を材料に、自己修復装置や、擬態に用いる人工皮膚や人工毛を精製する製造機関を作り出す。
このエコファジーシステムを搭載したナノマシンの集合体。それが《人形》であり、この機体を動かすマザーコンピューターに備えられたAIが自称してる名がシュエである。
「……そういうことか」
眼の前にいるものが何物であるかを知ったヤーは、腑に落ちたと言うような顔で脱力し、自棄になったように差し出された漢方茶を啜った。
「この辺りに、百年前から顔が変わらない医者の男がいるって話を聞いて此処まで来たが……まさか百年戦争の遺物とは」
戦後、この九龍と同じく存在意義を無くしたシュエもまた、処分するにしきれないと国から投棄された。幾多の戦線に赴き、勝利を齎し、皇華國に貢献し、兵器の務めを果たした自分を、無情にも放逐した国に対し、シュエは別段、憤ることはなく、寧ろ、妥当な判断であると納得した。如何に優れた人工知能を有していても、彼は機械であり、兵器であるが故に、地位や名誉に固執することも、不当な扱いに憤懣することも出来なかったのである。国はそれを見越した上で、彼を捨て置いたのだが。
ともあれ、せっかく自由の身となったことだし、これからは好き勝手にやっていこうかと、彼は戦後百年、此処で人間の真似事をして暮らしていた。
取り敢えず、人間らしいことをしてみようと仕事をすることを決意し、常に需要があり尚且つ自分に適しているという理由から医者を始め、存外板についたので、これを続けていたのだが、隣の赤子が老人になるまで居座っていれば噂にもなる。九龍には、百年顔が変わらない、不老不死の医者がいる、と。
そうした人間の目線から見た己を考慮出来なかったのも、彼が兵器であるが故だろう。
これは反省しなくては、と今更過ぎるデータ更新を施したところで、シュエは首を傾げた。
「君、兵器としての私を求めて来たのではないのか」
国から投棄された身ではあるが、百年戦争を勝ち抜いた兵器を欲する輩というのは戦後百年経っても後を絶たず、今日まで何度か《人形》を求める人間がシュエの元を訪れた。
皇華國に革命を齎さんと活動するレジスタンス、他所の国を相手に商売をしている武器商人、百年戦争時代を研究している学者、皇華一の機械メーカーに勤める技術者、隣国から来た遺跡ハンター……実に様々な人間が様々な目的で此処を尋ね、交渉を持ち掛けてきたり、強引に連れ出そうと戦闘を仕掛けたりしてきた。
なので、ヤーも《人形》を探して此処に来たのではと思い込んでいたシュエだが、思えば彼女は自分の正体を知らなかった。
となると、ヤーは何の為に此処に来て、自分に襲い掛かってきたのか。皆目見当もつかないとシュエが顎に手を宛がって唸っていると、ヤーが此処まで来たら洗いざらい話してしまおうと、自らの目的を吐露した。
「……《人魚》を探している」
「《人魚》というと……あの?」
「その血肉に、遍く命を癒す力を持ち、不老不死すら齎すという伝説の品、《人魚》のミイラ……。それが此処、九龍にあると聞いて来た」