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古来より、皇華國に広く伝わる説話の一つに《人魚 》伝説がある。


遥か昔、皇華國に半人半魚の不可思議な生物が流れ着いた。

浜に打ち上げられたそれを漁師が見付けた時には海鳥が群がり、躯の殆どが食われてしまっていたので、漁師は魚の死体でも漂着したのだろうと思っていた。

しかし、数日経っても海鳥達がそれに群がり、肉を啄み続けるので、漁師は何か妙だと鳥を追い払い、骨と肉が僅かに残ったそれを家に持ち帰った。


そして翌朝。納屋に置いていたそれを見た漁師は、腰を抜かした。

海鳥に滅茶苦茶に食い荒らされていた筈のそれが、本来あるべき姿で其処に横たわっていたのだ。


人間の女めいた上半身と、魚の尾に似た下半身。それはまさしく《人魚》と称して然るべきものであったが、奇妙なことに、それは皮膚も鱗も干物のように乾いており、一見死んでいるように見えるが、それは確かに生きていると感ぜられた。

身動き一つせず、息もせず。ただただ置物のように寝そべるそれを、漁師は恐れた。これはきっと、この世界にあるべきものではないと。


斯くして漁師はこれを近くの寺院に持ち込み、《人魚》は僧侶達によって管理されることになったのだが、ある日、寺院の修繕に来た大工の一人がこれを盗み出し、重い病を患う貴族にこれを売り払った。


――これなるは、その血肉を喰らった者に不死を齎す《人魚》なり。


そう言って、大工は貴族の眼の前で《人魚》の肉を削ぎ、《人魚》は削がれた肉を瞬く間に治してみせた。

驚いた貴族は、これこそ蓬莱の薬に違いないと、山一つ買えるほどの金を大工に払い、《人魚》を手に入れた。

そして《人魚》の肉は、貴族の病を癒し、彼に老いることも傷むこともない体を与えたが、この力を求める人間によって《人魚》は奪われ、貴族は殺された。不老不死の力は、《人魚》を喰らう限りだったのだ。


その後も《人魚》は多くの人間を癒すと共に多くの人間を屠りながら皇華各地を巡り、時を越え、場所を変え《人魚》伝説は国中に広がることになったという。


《人魚》の所在も、これが実在するのか否かも、今となっては定かではない。だが《人魚》伝説は今の世にも流布されている。その尾を掴み、手繰り寄せるようにして、ヤーは此処、九龍を訪れた。遍く命を癒す《人魚》の力を求めて。



「我らヘイ族は、”蟲”の呪いに侵されている。終戦から百年も経つというのに……汚染された土地と水が齎した毒が、未だこの身を蝕んでいる。私は、その呪いを断ち切りたい」

「成る程。それで《人魚》か」


ヘイ族は戦後間もなく、国家反逆罪で辺境の地に追いやられた、まつろわぬ民の末裔だ。

それは単なる追放ではなく、誅罰であり、彼等が永住を強いられた土地は化学兵器に汚染され、土も水も大量の毒を含んでいた。その毒がヘイ族に齎したのが、”蟲”の呪いだ。


ヘイ族の人間は生まれつき四肢を持たず、それは戦後百年を経た今の世代にまで続いている。除染を終え、土質水質共に基準値を取り戻して久しいというのに、ヘイ族を蝕む毒は消えていない。


《黒鉄》と共存し、傭兵部族として戦う一族の生き方は、誇らしいものだ。逆境に挫けず、己を虐げる世界に屈せず、ヘイ族は逞しく生きている。だが、自分の脚で立ち、自分の腕を伸ばすことに焦がれ、呪いに縛られることのない自由に憧れているのも事実なのだ。

ヤーは、そんな一族の願いを叶える為に《人魚》を探す旅をしていた。


それが実在するかも分からない。よしんば本当に《人魚》がいたとしても、それがヤーの望むものかも分からない。それでも、可能性があるのならばと、ヤーは広大な砂漠を越え、九龍に辿り着き――そして、今に至る。


「お前、随分長いこと此処にいるようだが……何か知らないか?」

「ふむ。火のない所に煙は立たぬというが……大きな火があると煙も多くて困り物だな」


温くなった漢方薬を飲みながら、シュエは軽く肩を竦めた。

《人魚》伝説については、彼も聞き齧ったことがあり、それと同時に《人魚》に関する噂も幾つか耳にしてきた。どれも酒の席や、井戸端会議で聞いたものなので、信憑性の欠片も無く、シュエも関心を持っていなかったので適当に聞き流し、会話記録もろくに取ってはいなかった。

此処にあるのは微かなデータのみ。それも不確かなものばかりだが、改めて並べてみると相当な量になる。それこそが、一つの可能性ではないかと、シュエは笑みを浮かべてみせる。


「九龍には《人魚》に纏わる話が兎角多い。その大半は私のように、噂に尾鰭が付いたものだろうがね。《人魚》だけに」

「…………」

「だが、一つ一つ虱潰しに当たれば、本物に辿り着くこともあるだろう。もし全て調べ尽くして尚、《人魚》に到達出来なかったとしても、此処に《人魚》は無かったという答えが得られる。やるだけやってみる価値はあるだろう」


何一つとして確かなものはないが、何一つとして無駄なこともない。九龍を回ることは、ヤーに必ずや何かを齎してくれるに違いないと、シュエは敢えて希望を口にした。

百年以上の時を生きる兵器だから、そうも悠長な考え方が出来るのだと思う反面、明日壊れる運命にあっても、彼は同じことを語る気がして、ヤーは静かに眼を伏せる。意気揚々とシュエが席を立ったのは、その直後だった。


「そういう訳だ、早速旅支度といこうではないか」

「…………はぁ?」


聞き間違いかと、言葉を反芻する。が、溌剌としたシュエの顔が、それが聞き間違いでも言い間違いでもないことを告げる。


「待て、お前……まさか、来るのか?」

「如何にも」

「如何にもじゃない! お前、一体どういう心算だ?!」

「いや何、ただ興味が湧いたのだよ」

「興味?」

「遍く命を癒すという《人魚》の力。それが、私に適用されるか否か……そして私も対象内であるのなら、どんな結果が齎されるのか。そう、私は、命の定義というものを知りたくなったのだ」


シュエは兵器だ。体は機械で、心はAI。如何に人に似せてみせようと、彼は人間とも生物とも呼び難い。それでも、彼には肉体があり、自我がある。生きとし生けるものとの差と言えば、その体が有機物か無機質か。その程度だ。

果たしてこれが命に当てはまるのか否か。《人魚》であればその答えが出せるのではないかと、シュエは考えた。


「それに、九龍内は複雑なんて言葉では足りない程度に複雑だ。案内役がいると、君も助かると思うのだが」

「……分からない」


シュエが《人魚》を求める動機は理解出来た。それでも、彼の同行を認め難いとヤーが渋ったのは、彼が自分と《人魚》を探そうというところにあった。


「《人魚》が欲しいなら、お前一人で探せばいいだろう。お前は九龍に詳しいし、腕も立つ。私と組むメリットが、お前には無いだろう」

「言っただろう、興味が湧いたのだと」


しかし、シュエは何てことはないというような顔をして、ヤーに微笑む。

戦後百年。その殆どを九龍の片隅でのらりくらりと過ごしてきた己を突き動かしたのは、《人魚》の力と命の定義だけではないのだと。


「私は、君にも関心があるのだよ、ヘイ・ヤー。君という命が《人魚》によって如何なる変化を遂げるのか……私はそれを見届けたい」


一族を蝕む呪いを打ち破らんと単身《人魚》を求める少女。彼女の強い想いが、切なる願いが、神に届ける気のない祈りが、迸る命が何処へ行き着くのか。それを、この目で見届けたいのだとシュエは眼球に似せたカメラのレンズで、ヤーを見据える。


「もし《人魚》が折半出来るものでなかったなら、その時は私が引き下がろう。命の定義に興味はあるが執着は無いのでね。優先すべきは君の願いだ。それでも私が疑わしいというのなら、同行も《人魚》も諦めよう」


自分を利用して《人魚》を探し、強奪する心算に見えるのなら、此方はこのまま引き下がろうとシュエが両手を上げる。だが、そんなポーズで示されるまでもないと、ヤーは頷いた。


「……おかしな奴だ」


シュエの言う事は、未だによく分からない。自分という命に興味があると言われても、何がそんなに面白いのかと思う。しかし、彼が自分に同行するメリットが一つも無いのは明らかであり、仮にもしシュエが死に物狂いで《人魚》を手に入れようというのなら、この場で自分を屠った方が話が早いし、そもそも前々から《人魚》について知っていた彼が本気でそれを欲しなのなら、とうの昔に行動していた筈だ。

それでも彼が、今になって《人魚》を探そうと腰を上げたのも、自分と同行すると言い出したのも、彼の言う通り、興味が湧いたから。それに尽きるのだろう。

シュエにとって《人魚》にかける意気込みは、暇を持て余した老人が散歩に出るような、その程度の気まぐれの産物。彼からすれば《人魚》が見付かろうが見付からまいが、さして問題ではない。シュエが欲しいのは、其処にある答えだけだ。

ならば、存分に利用させてもらおうと、ヤーは席を立った。


「いいだろう。シュエ……と言ったな。採用だ」


果てしなく複雑に入り組んだ九龍の案内人として、危険が伴う旅の同行者として、彼以上の適任はいない。

自分一人でも問題は無い。だが、使える物は使うに限る。其処に《人魚》が在るか不確かなら、尚更。より効率的に、より合理的に事を進めるのが最適であると、ヤーはシュエと共に九龍を巡ることを決めた。


「百年戦争を生き抜いたその力……そして、戦後百年此処で得たその知識……存分に揮ってもらうぞ」

「ああ。その期待、応えてみせよう」


そんな風に考えていたからか、当たり前のように差し出された手に、ヤーは惑った。

自分の手は、岩をも破砕する鉄の爪。人の手を握り潰さぬよう加減は出来るし、そも、相手のそれは人の物ではないのだが。それでも、握手をしようと思えるものではあるまいと、ヤーは人差し指だけを差し出した。

何も恐れることはないのにというような顔で、シュエがそれを握る。診療所の壁が破られたのは、それとほぼ同時だった。


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