妖精殺し | ナノ


「…………お前、何で此処に」


何もかもが、魔法で出来ているようだと春智は思った。

この幻想的な空間も、悪い夢の続きを目の当たりにしたような顔をしている彼との邂逅も。全て魔法によるものではないかと、春智は息を飲みながら、見開いた眼で男を見つめる。


「貴方、は」


起き抜けなのか、唸るように欠伸をしながら、男は緩慢な足取りでカウンター席に着いた。その間、春智は瞬き一つせず、彼に視線を向け続けたのだが、男は無視を決め込む。自ら決して関わるまい、としているらしい。敢えて春智から離れた席を選んだのも、そういうことのようだ。

それでも春智は、その一挙一動をつぶさに観察するように、じぃっと男を見つめ続ける。口まで開けっ放しの状態で。

せめて何か言えと頭を掻きながら、それでも無視を貫こうと男がカウンターに肘を付くと、老人が笑いながらコーヒーを出した。彼の起床に合わせて淹れていたらしい。男は何も言わず、当たり前のように出されたコーヒーに口を付ける。


「随分けったいな娘だと言っていたから、一体どんな子かと思えば……可愛い子じゃないか、叶。お前も隅に置けないな」

「……やめてくれ、勾軒(かぎのき)さん」


悪戯っぽい、茶目っ気溢れる笑みで冷やかしてくる老人・勾軒に、男は深々と溜め息を吐く。

と、其処で春智は、男の名前が叶であることに気が付いた。まるで女の子のような響きだったので、理解が遅れたのだ。


改めてまじまじと見ると、男は無精を絵に描いたような出で立ちであった。今は寝起きで、白いTシャツにジーンズ姿なのもあるだろうが、もっさりと伸びた髪や整えられていない髭は、叶という名前にはまるで似つかわしくない。それでいて、身体は筋骨隆々ときているのだから尚更だ。

それにしても、家でも起き抜けでもサングラスをしているのだなと、隠れた双眸を探るように春智が視線を向けていると、ついに根負けしたらしい。カップを置いた男が、渋々、本当に渋々と声をかけてきた。


「…………で、お前はどうして此処に」

「あ、あの!! 私、どうしても貴方にもう一度会いたくて……会って話がしたくて!!」


呆けていたのもあるが、このタイミングで話しかけられると思わなかったので、春智はおろおろと戸惑いながら、どうにか返答した。

ついに彼と話が出来るのだ。この千載一遇の好機を無駄にしてはならないと、春智は身振り手振り交えつつ、自分が此処に辿り着いた経緯について語る。


正直に、飾り立てたりしないで、自分の想いを伝えて、何とか話をしてもらおう。これまで自分にしか見えなかったものについて。未だ知り得ない、この世界の神秘について。


「それで、あの辺りを歩いて探し回ってたら、此処が眼に入って、何故か物凄く気になって、それで――」


誰に急かされてもいないのに慌てながら、喉から出てきた言葉を組み上げていく毎に、春智の胸に様々な想いが溢れ出した。


もう会えないかもしれないと思った。それでも、もしかしたらに望みを託し、駄目元で探した。

生まれて初めて出会えた、自分以外の視える人。誰にも理解されない世界について話が出来る唯一の存在。何処にいても誰といても拭いきれなかった孤独感を取り除いてくれるのは、きっと彼しかいないのだと、彷徨うように追いかけた。

きっと、途方もない時間が掛かるだろう。それでも、彼を辿るしかないのだとしがみついて――。


「…………本当に、また会えた」


こんなにすぐ再会出来るとは、欠片も思わなかった。

だからだろうか。胸の奥から込み上げてくるのは、途方もない喜びと、古い痛みに染み入るような安堵感で。春智は長年溜め込んでいた感情を吐き出すように、涙を零した。


「もう無理かもって……流石に、三度目はないかなって思ったけど…………会えたんだぁ」


彼女の事情など知る由もない男は、何故いきなり泣き出したのだと眉を顰めたが、その涙の理由を尋ねることはせず、黙って近くに備え付けられているティッシュボックスを差し出した。

深入りすることを面倒に思っただけかもしれないが、今はその素っ気なさが嬉しい。春智は、受け取ったティッシュで鼻をかみながら、へこへこと頭を下げた。


「す、すみません……ちょっと感極まっちゃって」


そう、ちょっと感極まっただけなのだ。人に話す程、悲愴なことでもない。だから、涙を流すのは此処までだと、春智は鼻を啜った。

泣いている場合ではない。彼に聞きたいことがたくさんあるし、何より、彼に言わなければならないこともあるのだと、春智はニッと力強く笑った。


「私、竜ヶ丘春智といいます!! あの時は、危ないところを助けていただき、ありがとうございました!!」


まずは挨拶と感謝からと、春智は深く頭を下げる。

男としては、春智を助けたつもりなど無かったし、感謝される心算も無かった。寧ろ、彼女に感謝されることがあってはならかったので、男は大きな溜め息を吐いた。


「……あの時のことを覚えてるってことは、記憶消去魔術が効いてなかったのか」

「恐らく、彼女が無意識にお前の記憶を消されまいとプロテクトをかけておいたんだろう。ピクシーに魅入られたと言っていたから、魔術防壁の張り方も知らなかったろうに……いや、健気な子だ」


勾軒は、うんうんと頷いているが、事態は楽観視出来たものではない。

民間への機密漏洩を防ぐ為、ピクシーと自分に関する記憶を消去したというのに、それが効いていなかった。結果、一般人に此処を知られてしまったのだ。もっと深刻に捉えるべきと男が顔を顰めた、その時。


「魔術って……じゃあやっぱり、貴方達は魔法使いなんですか!?」


またこれかと、男は横から飛んできた明るい声に口を歪めた。


彼女自身も、もっと事を重く受け止めるべきだろう。記憶を消されかけたのだから、最悪此処で消されるとか、そういう危機感を持ってもいいだろうに。

記憶の代わりに、頭の大事な部分が抜け落ちてはいないかと心配になる。こうなったら、適当に誤魔化して家に帰した方が良さそうだ。

しかし、そんな男の思惑は勾軒によって掃き飛ばされる。


「ああ。厳密には魔術師だがね」

「勾軒さん、」

「まぁ、呼び方の問題であって、一般にイメージされる魔法使いと殆ど同じようなものだ。蜥蜴の丸焼きやカエルのミイラを混ぜた怪しい薬を作ったり、使い魔を持ったり……流石に箒は使わないが、空は飛ぶ。風に乗ってね」

「じゃ、じゃあ! 人を呪い殺したりとか、悪魔を召喚したりとかは!!?」

「やるね。その手の仕事はいつの時代も需要があるから、そりゃもう日常的に」

「ふぉおおおおおおお!!!」

「と言っても、彼も私も、そういう魔術は殆ど使わないのだけれどね」

「………………」


なんでそう律儀に答えてやるのだと、男は項垂れた。


現代に生きる魔術師達は、社会の認識の外側に在ることで成り立っている。

魔術とは、限りなくイリーガルなものだ。呪術や悪魔の降霊、魔法薬の精製。何れも、法の枠組みを逸脱しているからこそ需要があり、価値がある。故に魔術師達は己の存在・魔術の存在を秘匿しているというのに。

お陰で春智のテンションが大変なことになっているではないかと、男が渋い顔でコーヒーを啜る中、勾軒は更に続ける。


「そうだ、遅ればせながら自己紹介させてもらおう。私は勾軒貞正(かぎのき・さだまさ)。魔術師ギルド・喫茶ストレリチアのマスターで、魔術議会と魔術師達の橋渡しをしている。そして彼、化重叶(あだしげ・かなえ)は、このギルドに所属する魔術師の一人であり、幻想生物専門のハンターだ」

「幻想生物専門のハンター……?」

「そう。魔力を殆ど持たない人間には視認出来ず、故に人類の魔力低下に伴い空想上の存在となった、幻想生物と呼ばれるもの達を、駆除・捕獲・調査する。それが幻想ハンター……別名”妖精殺し”だ」


魔術師というのは、あくまで魔術を使う者の総称だ。


一口にスポーツ選手、ミュージシャンと言っても、種目やジャンルによって区分されるように、魔術師の中にも様々な専門職がある。

呪術師、召喚士、魔法薬剤師、ネクロマンサー、そして男――化重が生業としている幻想ハンターと、実に多種多様。そんな魔術師達と、彼等の用いる魔術。それに関するものを管理するのが魔術議会であり、喫茶ストレリチアは議会と魔術師達の仲介所として構えられたギルドなのである。


「例えば、君を襲ったというピクシー。あれは我々魔術師界隈では欠かせないものでね。其処に瓶漬けがあるだろう? あの中の液体を飲み物に混ぜて摂取すると、魔力の補充や一時的な増強が出来る。普段は養殖ピクシーで賄っているから、野生のピクシーをわざわざ狩ったりしないんだが……ちと数が増え過ぎてしまってね。あんまり数がいると他の種を刺激しかねないってことで議会から依頼が来て、叶に駆除をお願いしていたんだが……巻き込んでしまったようで申し訳ない」

「いえ、そんな! その……半ば自業自得みたいなとこありましたし……」


今回、春智が妖精に襲われたのは、元を辿れば議会からの依頼・ピクシーの駆除に起因していた。


魔術議会は幻想生物の生態系管理も行っており、彼等が人の世に影響を及ぼす事態が発生した場合、その駆除や捕獲に乗り出る。

そして議会が魔術師ギルドに依頼を出し、これを化重が受理。増え過ぎたピクシーの間引きを行っていた訳だが、追っていた最後の一匹が偶然近くを通った春智の魔力に眼を付け、あのような事態に発展した、というのが事の全貌であった。


「ピクシーは普段、人を喰ったりはしないんだがね……叶に追い掛けられて弱っていたところに、お嬢さんのような強い魔力を持つ人間が来たから、喰って力をつけようとしたんだろうな」

「そうだったんですね……」


齧られた首筋を無意識に撫でながら、春智は化重に眼を遣った。


当事者である春智からしても、今回の一件は仕方なかったことだと思う。殆どの人間が魔力を持たないこの時代。弱ったピクシーが逃げ惑い、身を隠した先で、強い魔力を持つ一般人と出会うなど、奇跡と言っていいレベルの不幸。

死にかけたとはいえ、寄り道をしてボーッと歩いていた責任もあるのでと、春智は化重を責めず。化重の方も、巻き込んでしまったことは認めるが、その後の責任は果たしたと言いたげに沈黙している。


誰が悪い訳でもない。だから、これでこの話はおしまいだと、そう思っていたのだが。


「しかし、ピクシーだけじゃなく、魔術迷彩を施した叶の姿まで視えていたことに加え、この店を認識することも出来たんだ。君の魔力は、本当に素晴らしいものだな、お嬢さん」

「そ、そうですか?」

「ああ。魔術師の家に生まれた訳でもないのに大したものだ」


十七年生きていて、こうも褒められたことがないので恐縮する春智のカップに、勾軒が二杯目のコーヒーを注ぐ。

まだ居座らせる気かと思いつつ、化重も二杯目を頂戴しようと、残るコーヒーを飲み干した。まさにそのタイミングであった。


「そこで、だ。君、もし魔術に関心があるなら、叶の弟子にならないかい?」

「「…………はい?」」


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