妖精殺し | ナノ


揃って唖然としか言い様のない顔をする化重と春智を置きざりに、しれっととんでもない提案をしてくれた勾軒は、楽しそうに続ける。まるで、あらかじめ用意されていた台本を読み上げるように朗々と。


「今後も君の魔力を狙う輩は現れるかもしれないしね。護身用の魔術は身に着けておくべきだと思うし、その魔力の強さなら魔術師として絶対成功出来ると思うんだよ、うん。魔力ってのは外付けは出来ても、生まれ持った総量は変えられないもの。言うなれば、天賦の才能だからね。せっかくなら、これを活かして仕事にしてみてはどうかと」

「いや、だからってなんで俺が……他にもっと適任がいるだろ」


勾軒の提案は尤もだし、理に適っている。

今後、春智の魔力を狙うものがまた現れないとも限らないし、自衛の術くらいは身に付けて然るべきだし、せっかく持って生まれた才能を将来に活かしてみるのはどうかと勧めてみるのも悪くない。ただ一つ、自分が彼女の師になることは頷けないと、化重は訴えるが、勾軒はそれをひらりと棄却する。


「お嬢さんを傷物にしちゃったのはお前だろう。男ならしっかり責任取りなさい、叶」

「なんつー言い方を…………」


責任なら、一応取っている。ピクシーに齧られた首は綺麗に治したし、家まで帰る道程も見守り、無事に送り届けた。問題があるとすれば、記憶消去魔術の失敗を確認出来ていなかったことだが――と、化重は言い分を考え、止めた。

こうなったら、何を言ったところで勾軒は聞き入れてくれない。彼とは長い付き合いだが、こういう状況で言い負かすことが出来た試しは一度も無いのだ。早々に諦め、妥協するしかない。

化重は、今日一の大きな溜め息を吐くと、観念したように春智の方へ顔を向けた。


「…………はぁ。えっと、竜ヶ丘春智だったな」

「は、はい!!」

「取り敢えず、素人でも出来るだろう基礎から、護身用の魔術までは教えてやる」

「!! 本当ですか!!」


正直、春智としては願っても無い話だった。

魔術を学び、見て見ぬふりをしてきたものに触れ、更なる神秘を追及していく。これ以上、心躍ることが他にあろうか。
化重に迷惑をかけることになるだろうと、教えてほしいと言えずにいたのだが、彼から許しが出たのなら是非と、春智は歓喜した。

しかし、浮かれる勿れと化重は二杯目のコーヒーを飲みながら、春智に釘を刺す。あくまで自分は、最低限の責任を果たすまでの教育係でしかないのだ。過剰に期待はしてくれるなと。


「だが、それまでだ。間違っても、幻想ハンターのノウハウなんか教わろうと考えるんじゃねぇぞ」

「…………つまり、見て盗めってことですね」

「前向きか。……まぁ、盗めるもんなら盗んでみろ」


ともあれ、これで話は纏まった。今日から春智は化重の弟子として、彼から基礎と護身用の魔術を学ぶ。つまり、彼等と同じ魔術師になるのだ。

夢よりも夢みたいだと、春智は頬を紅潮させて喜んだが、化重の方は既に疲弊していた。

人に何かを教えるという慣れないことをしていかなければならない労力。加えて、この知識欲の塊のような少女から、何もかも搾取されてしまいそうな予感。今から自分の身を案じずにはいられない。

化重は、こんなことなら二度寝でもしていれば良かったと悔やみながら、春智の皿からビスコッティを摘まんだ。と同時に、勾軒が両手をパンッと合わせ、快哉とした声を上げる。


「よし。そうと決まれば、二階の掃除だな」

「…………掃除?」

「物置部屋を片付けて、彼女の魔術ラボを作るのだ。うむ。これは明日、朝イチで行おう。幸いにも明日は土曜日。学校はお休みだ。天気も快晴。大掃除には最適だな」

「んな勝手な」

「魔術ラボ?! 何ですかそれ!!」


勝手に予定を組まれたにも関わらず、春智の方は相変わらずのはしゃぎよう。せめて彼女が何か言ってくれれば、勾軒もブレーキをかけてくれただろうにと、化重は頭を抱えた。


掃除。嫌いな言葉のトップスリーに入る面倒な行事。しかも大掃除ときたもんだ。とことん気が滅入る。最悪だ。

もう勘弁してくれと化重は早速音を上げたが、皮肉な事に、彼の気分が落ちれば落ちるだけ、春智のテンションはグングン上がっていく。


「魔術用の研究室だよ。ほら、家でグリモアールの解読とか、魔法陣の書き取りとか、詠唱の練習とかやろうものなら、うっかりノックを忘れて入ってきたお母さんに見られてしまうという悲劇が起こり得るだろう。そういうアクシデントは勿論、魔術の暴発による事故とか防止する為に、家の外に研究室を作っておくワケだ。それに、魔術師ってのは何かと物入りだからね。ラボの一つや二つは持っておいた方がいい」

「……私の、ラボ」


思い浮かべるだけで、うっとりしてしまう。

乾燥の為に吊るされた薬草やトカゲ、ありとあらゆる摩訶不思議が詰められた瓶、魔導書が入った本棚、ぐつぐつ煮立つ大きな鍋、ペンとインクと羊皮紙。そんなファンタジーを描き出したような空間が、自分の物として与えられるのだと思うと、頬が緩む。今から楽し過ぎてどうにかなってしまいそうだと、春智は蕩けた笑みを浮かべる。

人の気も知らず、楽しそうで羨ましいなと、化重は煙草を咥えた。お嬢さんの前で吸うのはマナー違反だと勾軒に咎められられそうなので、火を点けずに。

その勾軒も、春智のハイテンションを受けてか、妙に声に力が入っている。


「そういう訳で、明日は皆で物置の大掃除だ! 時間は午前九時から! 各自、汚れてもいい服で来るように!」

「はーい!」


今後、この二人とやっていくことになるのか。

そう考えるだけで一層込み上げてくる疲労感を吐き出すように、化重は今日何度目かの溜め息を吐いた。

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