妖精殺し | ナノ


見開かれた彼の双眸は、自ら手放し、見失っていたものがすぐ其処にあることを知ったようで、ああやっぱりと春智は眼を細めた。


彼の生は、魔女に始まり、魔女に終わる。否、終わらなければならないと、化重自身がそう誓っていた。

それが、たった一人生き残った自分が成すべき使命であり、人ならざるこの躯の存在理由なのだと。彼は幼い頃よりその十字架を背負って、此処まで歩んできた。

だが、この道を選んだのは――数ある魔術職の中から幻想ハンターを志したのは、その根源に強い憧れがあるからだと、春智は彼の手を握り直す。


「私も、そうなんです。私も……化重さんみたいになりたいって、貴方と初めて出会った時から……そう思っていたんです」


その出会いを彼が知らなくとも、春智にとってはそれが全てで、始まりだった。


あの夏の夜。妖精を追って空を駆ける彼の姿を眼にした瞬間。諦めと誤魔化しで取り繕っていた彼女の世界は劇的に変わった。

其処に在るものを見て見ぬ振りをして、それが何であるか知ろうとすることを止め、人が敷いた線を踏み越えないことばかり気にしていた。そんな春智に最初の奇跡を齎してくれたのは化重で、その次を与えてくれたのもまた、化重だった。


「貴方に助けられて、ストレリチアに辿り着いて、お弟子さんにしてもらって、お仕事に同行させてもらって、色んな妖精を見て、その気持ちが毎日どんどん強くなって、大きくなって……。気が付いたら私、貴方の背中を追い掛けることに夢中になっていたんです」


彼の弟子として、多くのものを見る度に、春智は強く想った。もっと知りたい。魔術について、幻想生物について、この世に遍く神秘について。そして、それらについて学ぶ度に、春智は一層、化重に憧れた。

ネクロマンサー、幻想植物学者、ブラックブックマン、魔術薬剤師、呪術医、黒魔術師、ブロー。様々な魔術師達と出会い、時に彼等の魔術を眼にしてきた春智だが、その心に一番深く突き刺さっているのは、今も尚、師である化重の姿だった。

それは、彼が一番最初に出会った魔術師だからではない。一番最初に出会ったのが彼であったから、自分は引き付けられたのだと、春智は思う。幻想生物ハンターとしての彼の姿を見る度に、強く、強く。


そんな想いを、彼も抱いていたのではないか。魔女を討つのに適した職は他にもあるのに、数ある道の中から幻想生物ハンターを選んだのは、彼もまた、心に強い憧れを持っていたからではないのか。

彼の本当の始まりは、魔女への憎悪や復讐心ではなく、自分を救い出し、導いてくれた人への憧憬なのではないか。

もしそうであったなら、どうか、その気持ちを忘れないでほしいと、春智は化重の手に額を寄せた。自分に奇跡を与え、世界を変えてくれたこの人の、過去も未来も、夢や希望も。その全てが怒りや悲しみによって焼き尽くされ、灰になってしまうことが無いようにと祈りを込めて。


「化重さん。私、これからもずっと、貴方が一番の憧れです。私に最初の奇跡をくれた貴方が……私の一番の魔術師です。だから……これからも弟子として、お傍にいさせてください」


苹果のことを忘れることなど出来やしない。彼女に背を向けて生きることも、然り。誰が許そうと、他ならぬ自分自身がそれを享受することが出来ない。だから化重は、自らの心と躯を燃やしながら、かの魔女を討つことを考えて生きてきた。

だが、復讐が全てではなかった。化重が歩んできた道には、斯く在りたいと願う人がいた。その人から説かれた教えがあった。絶望から立ち上がり、前へ進む為の光があった。

そして、彼がこれから歩んでいく道にも、それと同じだけ尊いものがある。


「…………勘弁してくれ」


彼女はきっと、これからも自分のことを信じ続けるだろう。何があろうと、彼こそが世界一の魔術師であり、誇るべき我が師であると、彼女はきっと、疑わない。

その信頼に応えていくというのが、どれだけ難しいことか分かっているのか。

あの災厄にして最悪の魔女を相手に、人のまま在り続け、魔術師として勝利せよと彼女は言う。諦めず、信じ続けていれば、奇跡は必ず掴み取れる。それが魔術師というものなら、貴方に出来ない筈がない、と。


滅茶苦茶だ。奇跡にだって限度というものがある。信じていたって、どうにもならないことだらけだ。あれが、何も失わずして勝てる相手ではないことくらい、彼女とて理解しているだろうに。それでも、貴方は貴方のままでいてほしいと、春智は願っている。

本当に、勘弁してくれと眉を顰めながら、化重は春智の手を握り返した。


「そういうのは、もっとまともな魔術師に言うべきだ。……俺みたいなのに使うな、馬鹿野郎」


いつか、彼女がこの手から離れる時が来たとして。自分は、彼女にとって誇れる存在であり続けることが出来るだろうか。

分からない。だが、彼女が自分を信じる限り、自分も信じよう。彼女が信じる己と、己を信じる彼女を信じ、奇跡を引き寄せ必然を掴む。

それが、自分が歩むべきこれからで、新しい始まりだと、化重が眼を閉じた、その時。


「ふん。年甲斐もなく照れよって。素直に嬉しいと言ったらどうだ」

「……お前、」

「貴様ぁーーー!! 起きて早々、何をしているのだ妖精殺しぃーー!!」

「悪いね、叶。何かいい雰囲気だったのに」

「いやぁ〜、隅に置けないなぁ、化重クン。こんなことなら、媚の付くお薬持ってくるべきだったよ」

「まぁ、いけませんわ、蛾ヶ条さん。そういうのは十八歳を過ぎてからでないと」

「……師匠に言ってやる」

「じゃあ、うちの爺様にも報告しておこうかな。ははは、これは面白いことになるぞー」


何時から其処に居たのか。最後に見た時より随分小さく――大型犬程度の大きさになっているムーが、枕元で毒づいてきたのも束の間。ドアの向こうから押し寄せてきた面々によって、喧々囂々の騒ぎに飲まれた化重は、これでもかと顔を顰めた。


「…………おい春智、こいつらは何だ」

「皆さん、化重さんのこと心配して来てくれたんですよ。化重さん、三日も眼を覚まさなかったので、皆さんが色々手を尽くしてくれて……」

「……それなら静かにしてくれって言ってきてくれ」


勾軒は勿論、蛾ヶ条、沙門、薊宮までは許容しよう。だが、アルベリッヒとジュリヲ――今日は黒猫の死体から此方を見ているらしい――は帰せ。特にアルベリッヒは何の役にも立たないおまけに誰よりも喧しいので、可及的速やかに帰らせろと、化重は壁の方へ寝返りを打って、背を向けた。


「おい妖精殺し!! 寝たフリで逃れられると思うな!!」

「そうだそうだー! 三日も寝てたのにまだ眠いなんて言わせないぞー!」

「まぁまぁ、化重さんも病み上がりですから。詳しいお話はまた後日ということで」

「沙門さん?!」


最早、誰が何と言ったところでこの騒ぎは暫く続くだろう。化重に掴みかかろうとして、片腕で弾き飛ばされたアルベリッヒが「キャン!」と犬のような悲鳴を上げ、それを見てジュリヲが大笑いして、その傍らで蛾ヶ条は「そういう沙門チャンはどうなのさ〜? 戌丸クンとは上手くいってるの〜?」と困り顔の沙門を冷やかし、薊宮は水晶を使って百花院と通話し始めた。

先程までの静けさは何処へやら。無意味と知りながら枕を頭に乗せ、我関せずを貫く化重が、再度突っ込んできたアルベリッヒにもう一度カウンターを喰らわせるのを見ながら、春智は顔を綻ばせた。


――大丈夫。きっとこれからも、この世界は素晴らしいもので在り続けるだろう。


五月蝿くて敵わんと片目を眇めるムーの頭を撫でながら、春智は、彼等と共に在る明日は途轍もない奇跡に溢れているに違いないと、窓の向こう。青空の中、雪のように降り注ぐプシュケー達を眺めた。


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