妖精殺し | ナノ


ちょうど良い物があったと、にったりと笑みを浮かべた春智は、ポケットの中から秘密兵器を取り出した。

それは、魔力放出が出来るようになったのなら、これが使えるようになるだろうと勾軒から手渡された水晶石だ。
これはネックレスと同様、魔力を流し込むことで簡易的な魔術を発動出来る魔術道具なのだが、オートで防御壁が張られる前者と異なり、此方はマニュアルで炸裂する仕組みになっている。

魔力を流し、対象に投げつけることで作動し、ヴィルデ・フラウ程度なら追い払える程度の威力で爆ぜる、という訳で護身用にと持たされたのだが。ゆくりなく別の使い道が出来たと、春智は麗の眼の前で、未だ無色透明の水晶石の中に魔力を注いだ。


「…………きれい」


淡い光を放ちながら深紅に染まり、宝石のように変化した水晶石を目の当たりにして、麗はこれでもかと眼を輝かせた。

祖父を通して、魔術師と接する機会はあれど、間近で魔術を見たのは初めてなのだろう。
目の前で起きた奇跡に、ふっくらとした頬が紅潮する程に感動を覚えている麗に、春智はもう一押しと、すっかり首の後ろを定位置にしている愛しの毛玉を手の平に乗せて見せた。


「ムー!」

「わっ! な……何、これ?」

「プシュケー。妖精……の赤ちゃんみたいなものかな。名前はムーっていうの」

「ムー! ムー!」


構ってもらえるのが嬉しいのか。適当に指で頭を撫でてやるだけで、体全体を動かして歓喜するムーと戯れながら「触ってみる?」と問い掛けると、麗の瞳は更に輝きを増した。

妖精を視ることはあっても、触れることはなかった麗は、恐る恐る人差し指を伸ばし、壊れ物に触れるようにムーの毛先を撫ぜる。
そのふわふわとした体毛の柔らかさと、自ら頭を差し出し、もっと撫でてくれと訴えてくるムーの動きに感極まったのか。麗は、しびびと込み上げてくる感動に身震いしながら、春智の顔を真っ直ぐに見遣って尋ねる。


「お姉ちゃん、魔法使いなの?」

「精確には魔術師…………の、見習いなんだけどね」


いつか、自分も同じようなやり取りをしたことを思い出しながら、春智は笑みを零した。


あの時は、こんな日が来ることなど考えられなかった。
自分を助けてくれた人の弟子になって、魔術を学び、多くの幻想生物に触れ、誰かの前でその知識と技術を披露する時が来るなんて。彼に出会う前の私が知ったなら、どれだけ羨むことだろうと自嘲気味に眉を下げながら、春智は語る。

かつての自分と同じように、箱庭程度の世界しか知らないままに絶望している少女に向けて。


「私ね、小さい頃から、人には視えない不思議なものが視えていたの。でも、私はそのことをずっと秘密にしてきたの」

「……どうして?」

「皆には、私が視えているものが視えない。だから誰も、私が視ているものを信じられなくて……小さい頃の私は、嘘吐きって言われてたの」


あの日まで自分は、世界の端の端しか眼にしていない状態で、全てを諦めていた。

自分に視えているものが人には視えない。だから誰とも本当の意味では分かり合えないし、ありのままの自分を見せることも出来ない。けれど、それは仕方ないことなのだと、自分の心に栓をして、望みを捨てることで器用に生きる道を選んだ。


――そう。私は、他ならぬ自分自身を騙す嘘吐きだったのだと、春智はかつてその胸を切り裂いた言葉を、改めて受け止めた。


「それが嫌で、私は本当のことを隠すようになった。視えるものを視えないものにして、普通の人と同じように振る舞って……そうやって、自分自身に嘘を吐いてきた。でも、ある人と出会ったことで、私は……私が視ていたものは、この世界のほんの一部だってことを知ったの。この世界には、これまで私が眼にしてきたものよりも、不思議なこと、素敵なことがたくさんあって、それを分かち合える人達がいる。それが本当に本当に嬉しくて……私、生きててよかったって心から思ったの」


この胸には今も、あの日の傷が残っている。だが、その痛みに挫けて、全てを投げ出してしまわなかったからこそ、春智は、自身の胸の痛みさえちっぽけに思える程の、世界の広さを知った。
未だ見た事も聞いた事もない、あらゆる神秘、あらゆる幻想、あらゆる不思議。追い求めても追い求めてもキリがないそれらと出会えたのは、諦めなかったからだ。

奇跡は、足を止めなければ手が届く場所にある。あと一歩、それを越えられた者のみが、世界の祝福を授かる。それを麗にも知ってもらいたいのだと、春智は努めて力強く微笑みながら、弧を描く小さな背中をトンと叩いた。


「麗ちゃんも、これからそういうものに会える筈だよ。なのに……いなくなっちゃったら、勿体ないよ」


世界は、想像の何倍も素晴らしいもので溢れている。手の平の上の魔術より、もっと息を呑むような光景が、今も何処かで待っているのだ。
その可能性を此処で放棄してしまうのは、あまりにも勿体ないと。それが言いたくて、覚えたての魔術を使ったり、昔のことを話したりと、些か恥ずかしい真似をしてしまったが――果たして自分の想いは麗に伝わってくれただろうかと、春智が息を吸い込んだ、その数秒後。


「……私も、なれるかな」


緩んだ心から溢れたのは、それまで無理に押さえ込んできた悲哀ではなかった。

麗の中で失われつつあった感情であり、新たに生まれた想いでもあるそれは、彼女の胸を高鳴らせ、鼓動と共に全身に血を通わせる。
まるで体が、もっと生きていたいと言っているようで。麗は胸に手を宛がいながら、この気持ちに溺れてしまわぬようにと、一つ一つ、喉の奥から言葉を取り出した。


「お姉ちゃんみたいな魔術師さんに、私もなれるかな?」


それは、希望だった。彼女のようになりたいという憧憬。自分もこの世界の多くを知りたいという願い。その想いに急かされるようにして、麗にしがみ付いていた死滅願望は彼女の中から掃き出された。

夢を得た人間は、後ろを見ている余裕など無い。その光のある方へ、前へ前へと進むことしか考えられないのだ。

そんな顔をした麗を見て、春智は花が綻ぶように笑った。


「なれるよ」


これを魔術と呼んだなら、怒られてしまうだろうか。それでも、こんなにも胸が躍るような想いに、他の名前を付けることが出来ない。


――きっとこの奇跡が、最初の魔術だ。


麗の頭を優しく撫でながら、春智は微笑む。彼女の第一歩を心から祝すように。


「この世界には、たくさんの不思議と、たくさんの奇跡で溢れてるんだもん」


と、春智渾身の決め台詞が決まった、その直後だった。


「ギィアーーーー!!!!」


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