妖精殺し | ナノ
結局、人に物を頼むなら相応の態度があるだろうという化重の前に、アルベリッヒは膝を合わせてお行儀よく座り直し、ストレリチアを尋ねた目的について正直に語った。
「実は……僕の使い魔であるキキーモラが、いなくなってしまって……」
「キキーモラ」
魔術文字をマスターしたことで、解読可能になった幻想生物図鑑を手に、春智は索引に従いキキーモラの項を開いた。
――キキーモラとは、ロシア発祥の妖精である。
非常に働き者で、人間の仕事を手伝う家憑きの妖精で、魔術師業界では家事手伝いの使い魔としてよく使役されている。
また、キキーモラは多面的な妖精で、状況に応じて容姿や性質が変化する為、伝承によっては、まるで異なるもののように描かれていた。
通常時は狼の顔に白鳥のような嘴、胴体は毛むくじゃらだが脚は鳥に似ており、召し使いのような衣服を身に纏っているが、主人の元で働く時は人間の少女の姿に。悪さを働く時は老婆の姿に変化する。
性格は温厚だが、ヒステリックを起こすこともあり、夜中に大騒ぎすることもあるという。
「なんというか……変な妖精ですね」
「妖精なんて凡そおかしな奴しかいねぇよ。そもそも、幻想生物を人間の物差しで測るのが間違ってる」
「確かに」
人の理解の外側にいるのが彼ら、幻想生物だ。その生態や性質が理路整然としていないのは必然と言える。
それにしても、キキーモラとは不可思議な妖精だ。今日まで見て来た幻想生物達は何れも、奇妙な習性を持っていたが、キキーモラのそれはまた一入である。
姿形を変異させるのはアモンも同じだが、姿が変わると共に性質まで激変するというのは実に奇怪だ。
衣服を着替えるとスイッチが入り、キャラが変わる人間は多いと、いつか友人のくにちゃんが話していたが――と、春智がすっかりキキーモラの考察に夢中になる中、アルベリッヒは逃げ出したキキーモラの特徴を描いた紙を取り出した。
魔術の才能はないが、画力は高いらしい。ヘクセベルク家のメイド達と同じデザインの給仕服に身を包んだキキーモラの絵に、春智は「おぉ」と声を上げた。幻想生物図鑑の挿絵のように動き回ることはないが、今にも動き出しそうな鉛筆画である。
魔術師としてやっていけずとも、麗しき画家として食っていけるのでは、と口にしようものなら激昂されそうな感想を抱きつつ、クラシカルな黒いワンピースと白いエプロン、赤い頭巾を纏ったキキーモラを眺めていた春智の前で、アルベリッヒは重い頭を垂れる。
「屋敷の中も近所も探してみたんだが、見付からなくて……」
「使用人達に探してもらえばいいだろ。ヘクセベルクはメイドから庭師からコックまで優秀な魔術師なんだからよ」
「そ、それは出来ん!! 使用人達に頼もうものなら、確実に御爺様に…………ゴホン」
ヘクセベルク次期当主ともあろうものが、使い魔に逃げられたなどと知られては、何を言われるか。
彼がこういう人間であることはとうに知られてはいるが、だからこそ、これ以上祖父を失望させてはならんのだと、アルベリッヒは意地と見栄を張る。
「とにかく、だ。この一件は内密に処理したい。だから僕はこうしてお忍びで依頼に来たのだ」
「お忍びね……」
アルベリッヒは気付いていないが、外には屋敷の使用人が飛ばしたであろう使い魔が複数感知されている。
彼は誰にも見られぬよう、こっそり抜け出してきたのだろうが、恐らく家を出る前から使用人達には悟られていただろう。
流石、優秀なヘクセベルクの使用人達だと化重らが感心しているのも露知らず、アルベリッヒは頭を下げる。
「報酬は弾む! だからどうか、僕の依頼を引き受けてくれ!! この通りだ!!」
ヘクセベルク次期当主ともあろう者が、人に頭を下げるというのは屈辱だが、背に腹は代えられない。こうしてきちんと頼み込まなければ、化重は絶対に依頼を引き受けてはくれないと、過去の経験から理解している。
彼以外に頼める魔術師がいればいいのだが、妖精の捜索と捕獲という依頼に於いて彼以上の適任はいないし、他を当たる時間も無い。
今こうしている間にも、キキーモラは遠くへ向かっているかもしれない。離れ過ぎれば、探索は困難になる。何としても、この近辺にいる内に連れ戻さなければならないのだと、アルベリッヒは懸命に頼み込む。
「…………はぁ。どうせ引き受けるって言うまで帰ってくれねぇんだろ」
こうなると、アルベリッヒはしつこい。それはこれまでのパターンから把握している。
諦めろと促したところで時間の無駄だし、手荒に追い出そうものならヘクセベルクの使用人がおっかない。
ああ、引き受けてやろう。引き受ければいいのだろうと、化重は重い腰を上げた。
「弟子。どうせ今回も同行したいってんだろ」
「仰る通りでございます」
「素直で結構。荷物まとめて来い」
「はい!!」
そして此方も、お決まりのパターン。其処に妖精がいるのなら、見に行きたいとねだる弟子を宥めたところで暖簾に腕押し。周囲の援護射撃を受け、同行にこぎつけられてしまうのがオチだ。
ついて行きたいのなら来るがいいと潔く諦め、化重はバタバタと忙しい足音を立てながら二階に登って行く春智を見送る。
「一男、お前は……」
「ぼ、僕も行くぞ!! あいつは、僕の使い魔だからな!!」
「OK。お守りはしてやらねぇから、てめぇの身は自分で守れよ」
今日は大きな荷物が二つ。両手に抱えられる数なだけマシかと肩を落としたところで、カウンターの上からか細い鳴き声が聞こえてきた。
「ムー」
お前もか。
自分を主張するように頭を上げたムーを指で突きながら、化重は大きく息を吐いた。