妖精殺し | ナノ


翌日、午前八時三十分。


「おはようございます! 竜ヶ丘春智です!!」


言われた通り、汚れてもいいTシャツとジャージ姿で、春智は律儀にも三十分前にやって来た。

背中のリュックサックには、雑巾やら軍手やら詰めて来ているのだろうか。随分と大荷物だなと、出で立ちから漂う春智のやる気に、化重は早速胃もたれしそうだ。


「朝から元気だな、お前」

「こんなに元気なのは多分生まれて初めてです! 化重さんは物凄く元気無いですね!」

「ヒント、俺の昨日の起床時間」

「化重さん……まさか、私の為に徹夜を」

「三時間は寝た。それと、今日付き合ってやるのはお前の為じゃない。忘れたフリしたところで、勾軒さんに叩き起こされるのが眼に見えていたからだ」


化重は基本的に夜行性だ。彼の仕事は一般人が引き払う頃合い、夜間に行われるのが殆ど。ターゲットや依頼人の都合、緊急事態の発生など、時に朝から行動することもあるのだが、そういう時は薬で眠気を追いやっている。

そんな訳で、朝に弱いことに加え、昨日は仕事が入っていた。なるべく早足で片付けこそしたが、後始末やら報告やら何やらしている内に太陽が昇り、なけなしの睡眠時間を齧ってきた結果がこれだ。

今日は仕事ではなく大掃除。安くもない薬剤に頼るのは勿体ないし、そこまで張り切る心算もないので、化重はコーヒー一杯で己を誤魔化したが、無論それでどうにかなる眠気ではない。体は怠いし、頭は重い。
それでもこうして大掃除に付き合ってやっているのは、これが勾軒の提案である以上、化重には逃れる術が無いからであった。


「そういえば、勾軒さんは?」

「ついさっき出掛けてだ。今日は朝からギルドマスターの定例会だそうだ」

「えっ」

「……あの人はな、最初から大掃除に参加する気なんて無かったんだよ。仮に定例会が無かったとしても、腰が痛いだなんだ理由を付けて、全部俺に任せてただろう。……そういう人だ、あの人は」


勾軒が大掃除を提案した時から、化重にはこのビジョンが見えていた。

彼が何かを計画する時、凡そ自分自身をカウントしていない。特に肉体労働や面倒事に関しては、基本的に人任せ。自分はのらりくらりと雲隠れ。人が汗水垂らしてせっせと働いて、全てが終わった頃にひょっこり戻ってくる。そんな、蟻かキリギリスかで言えば圧倒的に後者の人物なのだ。


思い返してみると、確かに彼は、皆でとは言ったが、自分もとは言ってはいなかった。となると、唐突に今日大掃除を開催することを計画したのも頷ける。

件の定例会は、今朝方突然開催になった訳ではないだろう。そしてそれを、勾軒が忘れていたということも恐らくない。彼は最初から、定例会に参加するという免罪符を得て、大掃除から合法的に外れることを計算していたのだ。

実に巧妙。そして実に強かだと春智が感心していると、化重はのっそりと緩慢な動きで椅子から腰を上げ、昨日と同じ場所に止まっているあのフクロウに声を掛けた。


「起きろ、アモン。お前も手伝え、人手が足りん」

「アモンって……ソロモン七十二柱の悪魔ですか?」

「女子高生が悪魔の名前聞いてピンと来るな。……ああ、そうだ。ソロモン七十二柱序列七の悪魔、地獄の四十軍団を率いる侯爵、アモンだ」


一時期、春智はファンタジー系の物語に傾倒していた。自分が視ている不可思議なものを他人と語らえない。その感傷を、不可思議なもので溢れている物語に癒してもらっていたのだ。主に中学二年生辺りの頃に。

お陰で悪魔やら黒魔術やらに少し詳しくなってしまった春智であったが、事実は小説より奇なりとはよく言ったものである。


「……フクロウ、ですよね」


化重がアモンと呼んだのは、フクロウだ。頭が二つあるが、紛うことなきフクロウである。

魔法使いの使い魔としてポピュラーなので、普通に飼われている、少し変わったフクロウ程度にしか考えていなかったのだが、まさかこれがと訝っていた春智であったが。


「見た目からして普通じゃないだろ、コイツ」


呆れたように化重がそう言い放った瞬間。バサリと翼を広げ飛び上がったフクロウの背後に、赤く光り輝くシジルが現れた。

それが通り抜けていくと共に、フクロウの体はメキメキと音を立てながら肥大化し――やがて、ズシンと重い足音を立て、悪魔・アモンが春智達の前に降り立った。しかし。


「…………思ってたのと違うなぁ」

「素直だな」


思い描いていたイメージと凄まじく食い違うアモンの姿に、春智は首を傾げた。否、傾げずにはいられなかった。


二つの頭は統合され、一つになったフクロウの頭部。それが、物凄いマッチョの大男の体の上に乗っている。もう一度言おう。フクロウの頭が、物凄いマッチョの大男の体の上に乗っている。

これが悪魔アモンなのか。ソロモン七十二柱序列七の悪魔、地獄の四十軍団を率いる侯爵、アモンなのか。見事なシックスパックだが。胸辺りまで羽毛で覆われているが。何故かジャージを穿いているが。これが、アモンなのか。

腕組みをした状態で、フクロウの眼光でジッと此方を見据えてくるフクロウ男から顔を逸らし、春智は何かの間違いではないかと化重に視線を向ける。だが、嘘でも冗談でもないので撤回は出来んと、化重は気慰めに春智の肩をポンと叩いた。


「まぁ、これもさっきまでのフクロウも、アモンの姿の一つに過ぎん。気にするな」

「気にするなと言われましても、このオーラ」

「この姿が大掃除には一番最適だ。諦めろ」


双頭のフクロウも、このフクロウ男も、悪魔アモンの本当の姿であって本当の姿ではない。悪魔の姿形は、全てが真実であり、全てが虚構。それに逐一突っ込む必用は無いと、化重が妥協を促すと、春智はようやく納得してくれたらしい。確かにこの体躯なら、重い物を運ぶには最適だと、アモンの上腕二頭筋を触り始めている。

いや、よく触れるなコレに。というかお前もよく触らせたなと、春智とアモンの奇妙な触れ合いを暫し見ていた化重であったが、そこでふと新たな疑問を抱いた春智が、アモンの胸毛を撫でながら尋ねてきた。


「ところで、何故アモンが此処に? 誰かと契約してるんですか?」

「いや。そいつは勾軒さんが捕獲して手懐けたもんだ」

「ア、アモンをですか?! 悪魔の君主の中で最も強靭と言われてるアモンをですか?!」


この姿を前にしても、アモンという悪魔の凄まじさを信じていられるとは、感心に値する。

しかし、女子高生がそうも悪魔に詳しいのは如何なものかと、化重は眉を顰めながら、春智の問いに答える。


「正確には、アモンの羽根から生まれたアモンの一部だ。力は実物の、凡そ五百分の一スケール程度。使い魔としては上等だが、悪魔としては低級だ」


そういうことかと、春智は色々と腑に落ちた。

幾ら悪魔が様々な姿を持っているとはいえ、この形態は如何なものかと思っていたのだが、実物のアモンではないのなら頷ける。
五百分の一スケールなら、フクロウ頭のマッチョでも大丈夫だ。何が大丈夫かは分からないが、とにかく大丈夫だ。

などと一人で納得している春智に、化重はこのアモンが此処に飼われることになった経緯を語る。


「コイツは昔……勾軒さんが若い頃、ある魔術師がアモンの羽根から造った使い魔だ。ところがその魔術師、五百分の一アモンを造ったはいいが、制御が出来ず、手に負えなくなったらしい。で、その尻拭いを勾軒さんがすることになり……依頼は殺処分だったんだが、自分で飼えそうだから飼うと言って、捕獲してきたそうだ。それからコイツは勾軒さんのペット兼使い魔になったんだと」

「成る程……そういうことでしたか」


手触りの良いアモンの羽毛を撫でながら、春智はこの毛並みなら確かにペットにしたくなるなぁと呑気なことを思った。

五百分の一スケールとはいえ、これは造った魔術師にさえ手に負えなかった悪魔。勾軒だからこそ飼い慣らすことが出来たものだというのに。
能天気というか、危機感がないというか、変わってるというか。本当に珍妙な奴だと化重が煙草を咥えると、あることに気が付いた春智が「あっ」と声を上げた。


「ということは、もしかして勾軒さんも幻想ハンターだったんですか?」

「…………」

「アモンのこと依頼されたり、捕獲したり……そういうことですよね?」

「…………まぁな」


妙な沈黙の後、ただ一言だけ呟くと、化重は踵を返し、階段の方へと向かう。まるで、それ以上を語るのを拒むような。そんな化重の背中を眼で追いながら、春智は得も言われぬ懐疑心に首を傾げた。

単に、話すのが面倒になったという様子ではない。では、自分が何か良くないことを尋ねてしまったのか。


勾軒が過去に幻想ハンターをしていたこと。それ自体が問題なのか、それに関わることが問題なのか。

分からない。だが、この話題についてこれ以上の詮索はすべきではないのかもしれないと思っていると、階段を登り始めた化重に呼ばれた。


「モタモタしてっと日が暮れる。とっとと掃除始めんぞ」

「あっ、はい!」

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