FREAK OUT | ナノ


通い慣れた道。いつもの散歩コース。半歩先を歩く小さな犬は、こっちに行くのだろうと言いたげに前へ前へと進む。

賢い犬だ。今日の行き先が、いつもと違うことを察しているらしい。流石、あの人の犬だと称賛しながら、彼女に引かれるように道を行く。

角を曲がれば其処に、目的地がある。店先のポールにリードを繋いで、貫田橋は店の扉を開いた。


「いらっしゃいませー」


聞き慣れた店員の声だ。あちらも、常連客が来たと思ったらしい。「いつものですか?」と言いたげな顔をして此方を見ている。
そう足繁く通っている訳ではないが、年に数回、定期的に同じ物を買っていれば覚えられもするか。

ショーケースの中に目当ての商品があることを確認すると、貫田橋は速やかに注文を済ませようと財布を取り出した。


「すみません、苺のショートケーキを一つお願いします」



マンションに帰ってカマンベールを部屋に戻すと、貫田橋は先程買って来たケーキを手に駐車場へ向かった。

命日は随分過ぎている。それでも、今日は彼女の元を訪れなければならないと、そう思った。


「お久し振りです、深世様」


それは彼女の――雪待深世の墓だった。


二年前の夏、余りにも突然に、余りにも壮絶な死を迎えた彼女は、此処で一人、眠りに就いている。故郷の、母方の家の墓に納骨しようという話もあった。たかが二年過ごしただけのこの街で、たった一人でいるよりも、温かな思い出に溢れた故郷で、祖母と共に眠るべきだと。

だが、雪待は此処に彼女の骨を埋めた。すぐ足を運べる範囲に、墓を建てたかったのだろう。そうして己の罪を風化させまいとしたのだろう。


尊信する師のフリークハザード。守るべき妹の死。とうに限界を迎えていた雪待の心は、其処で折れた。彼はFREAK OUTを抜け、”帝京最強の男”を商売道具に金持ち達のボディガードをして、恥知らずと誹られ、罵られ――それでも彼は、戦っていた。

何もかも捨てたような顔をしながら、彼は戦線に踏み止まり続けた。

本当に逃げてしまうことだって出来ただろうに。妹の墓石を楔にしてまで、雪待は此処に残っていた。


――何の為に。


その答えは、あの小さな”英雄”だった。


(FREAK OUTに戻る?!)

(あぁ。こいつの答え次第だが……恐らく、そうなる。クライアントには、今入っている予約分の仕事はするとだけ伝えろ)


吾丹場侵攻の鎮圧後。至急医療部まで運びたい奴がいると呼び出された貫田橋は、驚倒した。
雪待が其処までする程の人物は何者か。未だ恐慌状態の中にある吾丹場に向った彼を待ち受けていたのは、雪待に抱えられた一人の少女だった。


(……俺は、”英雄”になれなかった男だ。だから、こいつの真の”英雄”にする。その為に俺は、何だってする……何だって、だ)


貫田橋の眼には、彼女は今にも崩れ落ちてしまいそうな、硝子で出来た器のように見えた。彼女が、かの”英雄”真峰徹雄の娘であっても、だ。その小さな躯に”英雄”の号は身に余ると、そう思った。

だが雪待は、この少女こそ自分の全てを託すに相応しいと、生気を失ったその身を後生大事に抱えていた。

其処で貫田橋は理解した。彼にとって、この少女は最後に残された希望だったのだと。


(お前はこれまで通り、俺の指示通りに動け。給料は同じ額を支払う)


それが酷く罪深いことを、彼は理解していた。

五年前の真相を知らぬまま、父の足跡を追わんとする彼女を”新たな英雄”に仕立て上げる。惨たらしいことだ。何時か来たるその日に向けて、彼は――あの少女に父親を殺す力を与えようとしている。己が成し遂げられなかった所業を、彼女の手に託そうと言うのだから。


(恨まれることになりますよ、きっと)

(…………それでいい)


寧ろ、その為に。彼の眼差しは、そう物語っていた。

己の力無さ故に大事なものを失い続け、その罪業に苛まれながら生きてきた。その心は、もう壊れていたのだ。


だから彼は求めた。名ばかりで、役立たずの自分とは違う。あの人のように真の強さを持った”新たな英雄”を。全てを終わらせてくれる救世の星を。

彼女が、真峰愛がその境地に至った時――その手で引き鉄を引いてほしいと、彼は願っていた。何一つ守れなかった惨めで愚かな臆病者を、どうか断罪してくれと。雪待はその身を、愛の為に焼べた。

しかし、彼女は銃把を握ることすらしてくれなかった。


(あぁあああ……ああああああああ)


あの悲痛な慟哭が、胸に突き刺さっている。

アクゼリュス襲来後、吾丹場から戻った雪待は四六時中、その痛みに苛まれていた。


恨んでほしかった。罵ってほしかった。行く宛の無い怒りや悲しみをぶつけてほしかった。その手前勝手な願いで彼女を傷付けたことを、雪待は悔いていた。

最初から彼女を傷付ける心算でいた癖に、今になってその罪を慚愧する。そんな己の脆弱さに反吐が出る。お前は、何処まで醜く在れば気が済むのかと自責し、塞ぎ込む彼に、貫田橋は何も出来なかった。


「……申し訳ございません。やはり私では……役不足のようでした」


磨き終えた墓石に、彼女が好きだったケーキと花を供える。


深世との付き合いは短かった。だが、彼女のことは今でも鮮烈に憶えている。その素朴で柔和な人柄も、彼によく似た瞳に湛えた穏やかな煌めきも、柔らかい水のような声も、色褪せることなく此処に在る。


(貫田橋さん。お兄ちゃんのこと、よろしくお願いします)


初めての勉強会が終えた日の夜。わざわざエレベーターまで見送りに来てくれた彼女が告げた言葉は、今も貫田橋の胸に強く響いていた。


(お兄ちゃん、何でも一人でどうにかしようとするタイプだし、あまり人と関わろうとしない性格してるんですけど……でも、貫田橋さんのことはすごく信頼しているんです。よく貫田橋さんのこと話してるし……家庭教師をしてもらうことになった時も「アイツなら大丈夫だ」って……そう言ってたので。だから、貫田橋さんはお兄ちゃんにとって、すごく貴重で、大事な存在だと思うんです!)


ずっと、この言葉を伝えたかったのだと言わんばかりに一気に捲し立てる彼女の表情は、喜色で溢れていた。
貫田橋が兄の話に聞いていた通りの人物であることが嬉しくて仕方ないと言うようなその顔は、彼が一度、手放してしまったものと重なって。

嗚呼、自分は此処に戻って来たのだなと、貫田橋は拳を握り固めた。もう二度と、この想いを手放さないようにと。


(なので、えっと……。私なんかが言えた立場じゃないですけど……お兄ちゃんのこと助けてあげてください、貫田橋さん。お願いします)


そう言って深々と頭を下げてくれた彼女に、応えようと思った。彼女が命を落とした日、その想いは一層強くなった。

自分は、託されたのだ。彼が”帝京最強の男”であることを信じながら、その孤独を憂い、案じていた彼女に。


もう二度と、手放してはいけない。託された想いも願いも、今度こそ握り締めて、歩き続けるのだ。

そう心に誓った。それでも、届かなかった。


そんな己を自嘲しながら、貫田橋は眼を伏せる。物言わぬ墓石は、ただ其処に在り続けた。

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