FREAK OUT | ナノ


海の音を聴く。ただそれだけに没頭し、波に思考を浚わせる。それが、彼に出来る最大の抗いだった。


石像にように座り込み、指一つ動かすことなく海を眺め続ける。

我忘と自失。繰り返される精神のアポトーシスが齎すのは、其処に何も無いということだ。


己というものが無ければ、感情も衝動も生まれない。大気と海嘯に自我を溶かし、虚無の中に身を置くことで、彼は束の間、狂気から逃れられる。

気の毒な程に惨めな姿だ。あれがかつて”英雄”と呼ばれたものの成れの果てにして、当世最強のフリークスだとは。


しかし、成る程。あれはまさに”無神論”の名に相応しいと、エーイーリーは皮肉を込めた眼差しを向けていた目玉を引っ込めた。


「大人しくなったね、バチカル」

「何処かの誰かが”英雄二世”にちょっかいを出さなければ、暫くああしてくれていることでしょう」


キムラヌートが釘を刺すように睨め付けられても何処吹く風。悪徳の樹の根元にふてぶてしく腰掛けるケムダーは、わざとらしく唇を尖らせ、口笛を吹いている。


何故コイツが十怪に選ばれたのかと、つくづく思う。

カイツールやアクゼリュスも、残る十怪の中にも、協調性や帰属意識の無い者は多い。
強烈な欲望に従って人を喰らい、力を高め、この地位に着いたが故、手前勝手な者が集まるのは必然とも言える。

捕食、凌辱、戦闘。そういった己の欲求にのみ従い、行動する手合いの中で、ケムダーが異常に鼻に衝くのは、その得体の知れなさ故だった。


彼もまた、間違いなく自らの欲望を第一の行動原理にしている。だが、その欲の形が他のフリークスより複雑怪奇で、彼が何を求めて動いているのか掴めない。
あれが牙を剥くのは、人類だけに留まるのか。その疑念に焦燥を覚えることすら、滑稽なのかもしれない。

一先ず、形も底も見えないものに構うことは止めて、目先の問題の処理に着手すべきだろうとキムラヌートはケムダーから眼を逸らした。


「”英雄二世”の捕獲は、当面保留にしましょう。今回失った枝を補う為にも、次の準備に移行します」

「……ラジネスか」


たった一ヶ月の間に十怪のうち二つの枝が消失し、同時に数多の眷属が屠られた。
後者の代替えは幾らでもいるとはいえ、流石に失くした駒の数が多過ぎた。

バチカルの贄として使い捨てた数は必要経費の範疇であったが、雪待尋の足止めに使った数が想像以上だった。
”帝京最強の男”を舐めていた訳ではない。彼の実力は、五年前の侵略区域遠征で知っていた。だが、それでも足りなかった。あの男の力と執念を見誤っていたと認めざるを得なかった。


結果、失った兵力は最早看過出来ない領域に昇った。このまま胡坐をかいていれば、FREAK OUTはこれを好機と捉え、此方に攻め込んで来るだろう。

十怪二体と眷属らを欠いて尚、あちらが圧倒的に不利であることに変わり無い。FREAK OUT全戦力を投じたとて、万に一つも人類が勝利することは有り得ない。それでも、付け入る隙を作ってはならない。十怪という機構が設けられたのも、その為だ。

母なる大樹の名の元に、絶対の絶望として君臨する。それが十怪というポストが常に十体のフリークスで構築されている所以なのだ。

損失は速やかに補わなければならない。次の侵攻は、その為に行うものだ。


「我々は既に二つの枝を喪失している……母なる大樹の為に、次の侵攻で仕掛けましょう」


ラジネス。怠慢の名を冠するそのフリークスは、非常に怠惰で緩慢だ。

母なる大樹にも匹敵する巨体は燃費が悪く、起動には膨大なエネルギーを要する。その為、喰っても喰っても核の成長に繋がらず、未だ≪蕾≫止まり。十年前の侵攻で受けた傷もようやっと完治した所だ。

この鈍重極まる手余者を、こうも甲斐甲斐しく面倒見てやっているのは、あれが開花に至れば先代を遥かに凌駕するカイツールとなるからだ。


ラジネスは、核そのものが他のフリークスに比べて異常に大きい異形個体だ。それ故、進化に必要なエネルギー量が平均値を逸脱しており、≪蕾≫になるまでにも長い時間を要したのだが――蓄えられたエネルギー量だけで見れば、ラジネスは既に≪樹≫の領域に届いている。

これが≪花≫となり、≪樹≫に至ったのなら、ラジネスはたった一体でこの星全てを支配する程の超巨大樹となるだろう。母なる大樹は、それを求めている。


「ケムダー、何が仕出かす心算なら今の内に」

「俺ってそんなに信頼無い?これでも色々尽力して来たんだけどなァ」

「この間の戦犯が何か言ってるわね」

「オイオイ、戦犯はアクゼリュスだぜ?俺はアイツを止めに入っただけだ」


ツァーカブから糾弾の眼を向けられ、ケムダーが心外だと言わんばかりに肩を竦める。
吾丹場侵攻で自分達が”英雄二世”と接触したことが、バチカル暴走の引き鉄となったのは事実だが、彼女を害そうとしたのはアクゼリュスで、自分はそれを制したに過ぎない。

真に戦犯と呼ぶべきはアクゼリュスだ。だから彼女も逃げるように避難区域へ向かい、真峰愛を捕縛しようとしたのだろう。それを利用したが為に戦犯扱いされているようだが、バチカルを起こしたのは間違いなくアクゼリュスだとケムダーは嗤う。


「大体、あそこで俺が乱入してなかったらバチカルの野郎……」

「…………ケムダー?」

「……あー、成る程。俺もまんまとしてやられたってことか」


クリフォトに凭れていた体を起こし、バチカルが座り込む岸の方へ顔を向ける。

あの時、自分はキムラヌートの帰還命令に従ってアクゼリュスを回収し、侵略区域に帰還した。今思えば、一触即発という所で間に合ったのも、そもそも自分が大人しく指示に従って動いたことも不自然だった。

母なる大樹が呼んでいるとはいえ、だ。あの狂宴に飽いたでも、カイツールの死に危機を感じたでも無く、まぁいいかという気紛れを、何故あの時起こしたのか。

答えは一つ。娘を守らんとする彼の能力に動かされたから、だ。


「ハハハ!マジにとんでもねぇ能力だ。人が持っていい力の範疇を超えてやがる。どーりで”人喰い”にゃ喰えねぇワケだ」


無意識下でも作用し、己が望む方向へ運命を捻じ曲げる超常能力。同じ因果干渉能力でも、先見の眼とは次元が違う。こんなものを手にしているのは、神と呼ばれる高次の存在だけだろう。

所詮この世界を構築する一部に過ぎない生き物が、世界の在り方すら覆す力を持つことなど、有り得はしない。


――あの男は、力に目覚めたその日から、人間では無かった。


そう思えば、諦めるしかない。だが、それが全てを投げ出す理由にはならない。

神になる術は無くとも、神を殺す術はある。そうして世界は、この手の中に落ちる。
結果的に一番欲しい物が手に入れば、それで良い。最後に笑うのは此方の方だと、ケムダーは舌なめずりをした。


「キムラヌート。俺、次の侵攻もノータッチで行くわ」

「……次の、ということは」

「俺の本命は次の次、だ」


刹那、その眼を青く光らせると、ケムダーはキムラヌート達をそのままに歩き出す。

次の侵攻は、自分が関わるまでも無い。だから安心して作戦会議に打ち込むと良い、と。


「その為の仕込みに入るから、猫の手でも借りたくなったら呼んでニャン」

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