FREAK OUT | ナノ


彼が獣になる前のことだ。幼い頃、近所の家の庭に柑橘類の木があった。具体的に何の果実かは、今となっても分からない。店売りの物に比べれば、色も大きさも随分貧相であった。
それでも彼は、少し手を伸ばせば届きそうな場所に実ったその果実を欲した。

何でもいいから口にしたいと思う程に餓えていた訳ではない。特別、柑橘の類が好きだった訳でもない。だのに、どうしてあの果実に手を伸ばそうとしたのか。鳥に突かれ、無惨にアスファルトの上に散ったそれを見下ろしながら、踵を返した時分には理解出来なかったが、今の彼にはよく分かる。

あの、然程美味そうでもない果実が輝いて見えたのは、それが人の物であったからなのだと。


「随分捗っているようですね、ケムダー」


厭味ったらしく粘ついた声がする。こういう話し方をする輩は、人の世にも化け物の世にもいるものなのだなと、ケムダーは避難区域から持ち帰った果物を齧る。


「よう、キムラヌート。こんなとこまで来るなんて珍しいな」


背後に浮かぶそれは、巨大な脳を持つ異形であった。

透明な球体に覆われた脳から生えたような、六つの黒い目玉が並んだ頭部。
上半身は痩せ細った人に似ているが、下半身は剥き出しの背骨と、醜い蟲を引っくり返したような腹部で構成され、背中からは鏃の付いた触手が生えている。

これこそが、”物質主義”を司る十怪の一角、キムラヌートである。


「……カイツールの”農園”、良くもまぁ此処まで手を入れたものですね。この為に彼と”新たな英雄”を?」


キムラヌートが、異常に長い腕部を折り曲げ、悩ましげに顎に手を宛がう。
その無機質な眼は、主を無くし、あれよあれよの内に所有権を移されたカイツールの”農園”と、それに手を加えたケムダーが映されている。


「おいおい、俺が”農園”欲しさにカイツールを見殺しにしたって言うのかよ」

「えぇ、まぁ。何せ貴方は、”貪欲”のケムダーですので」

「ハハ!流石、キムラヌート。伊達に頭でっかちちゃんじゃねーな」


皮肉を皮肉で返されたキムラヌートが、全ての眼を此方に向けて睨む。腹部に付いた眼球まで総動員して睥睨されながら、ケムダーは「何だ気にしてるのか」と鼻で一笑し、残る果物を芯ごと咀嚼した。


「そういえば、次のカイツールはどうなるんだ?」

「候補となる≪花≫はいます。が……そろそろラジネスの活動サイクルです。そろそろ彼も≪花≫に至る頃合いでしょうから、次の”醜悪”はラジネスに就いてもらおうかと」

「あいつ、こういうの向かないと思うんだけどなぁ」

「それは前のカイツールにも言えることでしょう」

「ハハハ、違いねぇ」


十怪は、母なる大樹の枝であり、フリークスの統括者である。

眷属を従え、自らの領地や”農園”を管理し、苗床を作る。そうした統治を行うことで、フリークスは数十年、人間を生かし続けてきた。


徒な捕食と増殖は、人類の絶滅に繋がる。より多くの≪樹≫が育まれるには、この星の最大の糧である人間を適度に残しておかなければならない。十怪はその為に作られたシステムである。

その存在そのものが災厄と称されながら、その実、十怪こそが人類最大の守護者であったなんて、良く出来た喜劇だ。そう嗤いながら、ケムダーは漸くキムラヌートの方へ向き直す。


「で、何の用?カイツールを悼む為でも、収穫具合見に来た訳でもねぇんだろ」


キムラヌートは小言が多いが、わざわざその為に余所の領土まで赴くような性分をしていない。乗っ取られた他人の”農園”の視察も、眷属にさせれば事済むことだ。

彼自ら此処に足を運んだからには――脚と呼べる部位は無いが――相応の理由があるのだろうと、首を傾けるケムダーに、キムラヌートは溜め息を吐くように告げた。


「……バチカルが動き出しました」


流石のケムダーも、僅かに息を飲んだ。

半ば予想は出来ていた。だが、このタイミングでかと自棄混じりに笑うケムダーに、キムラヌートは苛立ったように背中の触手を蠢かせる。


「うわー、ついにケツ上げたかぁ、あの地蔵」

「お陰様で侵略区域内のフリークスが半数以下にまで減らされました。それもこれも、貴方とアクゼリュスが」

「へいへい、サーセンっした」


――バチカル。

”無神論”を司るその座は、最強のフリークスに与えられるものである。


五年前、先代が討伐されるまで、カイツールと同じく代替わりすることのなかったその席には、紛れも無く最強にして最悪の”魔物”が君臨している。
眷属も領土も持たず、ただ一人、対岸に佇む異端のフリークス。いつも石像のように座り込んで、飽きもせず海の向こうを四六時中眺めていたが、どうやら先日のおイタが彼を刺激してしまったらしい。

彼が動いたとなると、避難区域が半壊レベルにまで追い込まれる可能性も否めない。
あれこそ、まさに天災に匹敵する存在。ただ其処に居るだけで、全てを破滅に追いやる魔の中の魔。人類もフリークスも、彼の前では等しく滅ぼされるものに過ぎない。キムラヌートも焦りを覚える訳だと、ケムダーは肩を竦め、溜め息を吐いた。


「アクゼリュスは既にあちらに向かっています。……貴方はどうしますか、ケムダー」


「うーん、俺は今回お休みするわ。知っての通り俺、バチカルと仲悪いからさぁ」

単に面倒だから、というのが第一であることはキムラヌートにもお見通しである。
だが、ケムダーが最もバチカルの神経を逆撫でする存在であることは事実であり、バチカルを鎮めるのにケムダーを投入するのは逆効果、というのも頷けた。

何より、ケムダーが大人しく事態収拾に努めるかも怪しい。


兎角、この男は何を考えているのか理解に苦しむことが多い。気紛れというには余りに打算的で、しかし、計算尽くというには思慮分別に欠ける。
母の声にこそ従うが、その範疇でとんでもないことをしでかすのがケムダーという男だ。

不本意だが、尻拭いはアクゼリュス一人に任せるのが賢明であるかと、キムラヌートが額に皺を寄せる。その横をすり抜けるようにして、ケムダーは”農園”の中を歩いて行く。


「何かあったら眷属から連絡が来るから、その時動くわ。それまで大人しく家庭菜園に勤しんでるんでよろしく〜」


言いながら、ケムダーは自ら監修の元、眷属達に手入れさせた”農園”を見渡し、適当に眼に付いたものを一つ手に取った。

それは直に収穫の頃合いだが、一つくらい摘み取ってしまっても問題ない。中には五つ入っているし、母体はそろそろ廃棄の頃合いだ。此処は気前よく振る舞おうと、ケムダーは手掴みで引き摺り出した赤ん坊をキムラヌートに差し出した。


「ところで、お一つ如何?キムラヌートさん」


壁一面、所狭しと並べられた、膨れた肉の塊。その悉くが人間の女性であり、妊婦である。


フリークスの中には、≪蜜≫と呼ばれる特異な個体が存在している。≪蜜≫は核にエネルギーを溜め込むことが出来ないという性質を持ち、摂取したエネルギーは全て体液に溶けて外に漏れ出す。
その体液は、コップ一杯分に人間一人分の熱量が含まれており、人がこれを口にすると、著しく巨大化・肥大化する。

肉に圧迫されて脳は衰え、物を考えることさえままならず。自らの体重を支え切れず四肢は退化し、脂肪の中に埋もれる。こうして人と呼べるものでなくなった人を、十怪は家畜として育て、繁殖させている。


万が一、うっかり滅ぼしてしまった時の保険として、有事の非常食として、人間という種を保存する。

それが”農園”。フリークスの手によって家畜化された人間の栽培所である。

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