FREAK OUT | ナノ


遠く、遥か彼方に聳え立つあの樹を見て、まるであれは人類の墓標だと、少女は思った。


<次はー、南登瀬町二丁目ー、南登瀬町二丁目でございます>


その日は、雨が降っていた。空は一面灰色の重い雲に覆われ、しとしとと雨が降りしきっていた。バスの座席で頬杖を突きながら窓の外を眺める少女は、空が泣いているのだと、他人事のようにそう思った。

本来、この場で泣くべきは自分である筈なのにと思えど、少女の眼からは一滴の涙も流れてはくれない。他に多くの乗客が利用しているバスの中で、センチメンタルに浸って泣き出す事態になっては困るのに、この空のようにさめざめと泣いてしまいたい想いが燻って、少女は目蓋を軽く伏せた。

視界が狭まれどバスが進めど、相も変わらず、雨雲で霞む巨大な樹が視界に映る。それが、ただでさえ鬱然とした少女の気分を更に落としていくが、此処――帝京国に住まう人間の中で、あの大木を見て気落ちしないものなどいないだろう。
それでも、自分はもっと気が沈むのだと、少女は膝の上に乗せた荷物を抱え直し、深い溜め息を吐く。同時に、手に握っていた紙がくしゃ、と僅かに潰れた。これはもうしまっておこうと、少女は紙を畳んで、スカートのポケットへと捩じ込んだ。

それは、少女が母親から貰った最後の手紙だった。


彼女の母親は先日、病によりこの世を去った。父親は五年前に行方不明となり、親戚も疎遠。その為、天涯孤独となった少女の身は、この手紙に記された先に預けられる事になっていた。

もう永くないと宣告された時分の母に、少女は知らされていた。母が帰らぬ人となった時、一人ぼっちとなる自分が、何処に身を寄せる事になるのかを。


「……嘉賀崎市千登瀬三丁目………慈島志郎(イツクシマ・シロウ)」


何度も読み返し記憶した、母の細い字で記された言葉を、誰にも聞こえないような声で呟いた。雨音とエンジン音に掻き消されるようなか細い声は、少女の鬱蒼とした気分をより一層強める。深い息と共に憂鬱を吐き出すと、少女は衣服で膨らんだ鞄を抱き締めた。


慈島志郎。それが今後、少女の保護者となる男の名前であった。

彼は父親の古い知人で、父親が行方不明になってから五年間、家族を陰ながら支えてくれていたのも彼だという。しかし、少女は慈島志郎について、母親から聞いた以上の事を知らなかった。

幼い頃に何度か会っているとは言われたが、過去の記憶を辿っても面影は浮かばず。また、彼の仕事の都合により、あらかじめ顔を合わせて話す機会を設ける事も出来なかった。その為、少女は慈島の顔すら知らないまま、彼の下へと向かう事になった。

母の葬儀を終えた後。慈島本人から連絡が来て、準備が出来たらいつでも来てくれと言われたので、ばたばたと荷造りをして、業者に大きな物を運んでもらって。其方に着く日を連絡すると、当日自宅近くの駅まで迎えに行くと言われたので、少女はバスに乗って、慈島の待つ嘉賀崎(カガサキ)駅へと向かっていた。

正直、顔も知らない男と急に一緒に住まうなど、不安でしかない。幾ら母が信頼を寄せた相手と言えど、少女にとって慈島は赤の他人だ。そんな男と、今後生活を共にしていかなければならないと思うと、気が沈む。母を亡くした悲しみの余韻も相俟って、重々しい憂鬱が、少女の中にずっしりと立ち込める。相手側の都合もある以上、落ち込んでもいられないのだが、それがまた一層疲れるのだと、少女は背を丸め、鞄に顔を押し付ける。

視界はいよいよ完全に閉ざされ、何も見えない。だのに、網膜に焼け付いたあの樹の蒼白い光がちらついて。


<お待たせ致しました。次は終点ー嘉賀崎駅前−、終点ー嘉賀崎駅前でございますー>


少女は、痛感した。

あれは、この世界に突如として現れた悪意の権化。災厄の象徴だ。星の奥深くまで根を張り、空を貫く高さにまで枝を広げ――やがて実を落とし、絶望を芽吹かせる悪徳の樹。

何人も、あの樹から眼を逸らすことは出来ないのだ。


「お、おい、運転手!スピード出し過ぎじゃねぇのか?!」


はっと顏を上げ、少女は漸くバスの異常なスピードと、乗客達のどよめきに気が付いた。
窓の外は、凄まじい勢いで景色が流れていく。アナウンスで知らされた終点すらも通り抜け、バスはめちゃくちゃな速度で駆け抜けて行く。


「ちょっと、終点が!」

「しゅぅうてぇぇん??」


一体、何が起きているのか。

車内に蔓延する混乱とざわめきは、運転手が粘ついた声で嗤うと共に、ざぁと静まり返った。


「まぁだだァ。お前らはまぁだ、降ろしてやらねぇぞぉお」


うじゅるうじゅると音を立て、無数の何かが撓う。乗客全員の視線が自ずと集まる中、運転手は体を前に向けたまま、ぐるりと首を回した。

縦半分に割れた顔から大量の触手を生やし、大きく位置のズレた眼をギョロギョロと動かす運転手の姿に、乗客達が凍り付く。そして、異形と化した運転手が舌なめずりすると、バス車内は絶叫の嵐に見舞われた。


「キャアアアアアアアアアアアアア!!」

「フ、フフフ、フリークスだああああああああああっ?!!」

next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -