FREAK OUT | ナノ


白い病室の中、その人は消えてしまいそうな程に儚い笑みを浮かべていた。


「ごめんね、志郎くん。忙しいとこ、わざわざ」

「いえ……」


痩せ細った体を寝台の背凭れに預け、小さく俯く姿は、まるで枯れ落ちるのを待つ、花瓶の花のようだった。

言い知れぬ不安と悲しみに眉を顰めながら歩み寄ると、一層。深く、死の匂いが鼻を掠めた。


「それより、容態は」

「……一年持ったら、奇跡だって」


自ら口にすると、逃れようのない運命が、心に杭を打ってきた。

その堪え難い悲痛に苛まれながらも、病に蝕まれた人は、努めて明るくしようと笑顔を作ったが。
間もなく、ひどく申し訳なさそうに項垂れて、その人は静けさの中に、か細い声を落とした。


「志郎くん……ごめんね。あの人が帰らなくなってからずっと、助けてきてもらったのに……その恩返しも出来ないまま」

「やめてください、華さん」


御田市内の病院に入院している。

当人からそう知らされた時から、ついにこの時が来てしまったかと、慈島は腹を括って、此処に足を運んだ。


夫である徹雄が、侵略区域で行方不明になって暫くした後。華は、その身を病魔に蝕まれた。

最初は、季節外れの風邪だと思われていた。通院で、治る見込みがあった。

だが、休養も投薬も意味を成さず。原因もはっきり分からぬまま、華の病状は次第に悪化し、ついに倒れた彼女は、入院を余儀なくされた。


その頃には、両者の間で、もしもの場合の話が進められていた。

もし、華がこのまま、病に侵されて命を落とした場合。一人残される娘を――愛を、どうするか。


万が一に備えて話していたことを、本格的に決めなければならなくなった。

慈島は、未だ目の前の悲劇を受け入れられなかったが。
誰よりもこの結末を拒みたいだろう彼女の前で、眼を逸らしてはならないと。慈島は、真っ直ぐ華に向き合った。


「……俺みたいな奴を、家族同然に受け入れてくれた貴方達の為に出来ることがあるなら、何でもさせてください。俺は……貴方達のお陰で、未だ人でいられるんですから」

「……ごめんね」

「謝らないでください」

「……ありがとう」


華が、ほんの僅か表情を緩めると、慈島は改めて、と、ベッド脇の椅子に腰かけた。

傍らで、活けられた一輪の花が、白い花弁を散らせる。
それを一瞥すると、慈島は、再確認するように、華に尋ねた。


「しかし……本当にいいんですか、華さん。愛ちゃんの後見人が、俺で……」


華の死後、一人になってしまう愛の後見人となり、彼女が自立出来るようになるまで、面倒を見る。
随分前からそう決まっていたが、いざとなると、本当にこれでいいのかと思えて、慈島は再度、華に問うた。

愛の世話を見ることが、嫌な訳ではない。今後支払っていく学費も生活費も、全く惜しくない。

ただ、彼女の親代わりが、血縁者でもなく、数年もあっていない歳の離れた他人――しかも、怪物である、自分でいいのかと。
これから自分と暮らすことになる愛のことを思うと、慈島は気が引けて仕方なかった。


他に、もっといい引き取り先があるのなら、そこにするべきだ。

自分は、彼女の今後に必要な手続きをしたり、費用を出したりと、最低限の干渉だけした方がいいのではないか。

居た堪れなさげに尋ねる慈島に、華は長い睫毛を伏せた。


「……私もあの人も、頼れる身内がいないから」

「ですが、まだ彼が」

「あの子は駄目よ。分かってるでしょう、志郎くん」


開け放たれていた窓から、風が吹き込んできた。

カーテンがそれを孕んで脹れ上がって、すぐに萎んで、揺れる。


心というものが目に見えるのなら、きっとこんな風に、容易く形を変えているのだろう。

華は、今にも憂苦で破裂しそうな心を丸めるように、点滴に繋がれた腕に申し訳程度の力を込めて、両手を握る。


「……貴方だけなの」


取り零してしまったもの、過ぎ去ってしまったものは、もう戻らない。それらを拾い直す時間も、彼女には残されていない。

ならば、今、手元にあるものを、最良の相手に託すしかあるまい。


華は、徐々に項垂れてきた慈島が折れぬようにと、自分が彼を娘の後見人として選んだ訳を告げた。


「あの人が消えて、私まで先立って……ひとりぼっちになる愛のことを救ってあげられるのは……きっと、貴方だけ。私は、そう思うから……貴方に愛を託したいの」

「…………」

「……お願い、志郎くん」


寄る辺は、探せば無い訳ではない。
頼めば、愛のことを引き受けてくれる人間は、他にもいるだろう。

それでも、華は、慈島にこそ、彼女を預けたいと望んだ。

化け物共の巣で消息を絶った夫が、最後に自分達を託した男。
義理固く、真面目で、不器用ながらも最善を尽くそうと努めてくれる彼ならば。必ず、来たる愛の孤独を癒してくれるだろうと。そう信じて、華は慈島に頼み込む。


「あんなことがあったけれど……あの子はもう忘れてしまったけれど……。
愛が、一人でも生きていけるようになるまで……私達の代わりに、貴方が支えてあげて……。私達の分まで、守ってあげて……。あの子…………泣き虫だから……」


河川敷で蹲る、小さな背中がフラッシュバックする。


一人で泣きじゃくる、幼い女の子。

彼女が、一人の人間と、怪物を忘れた日。

それから止まったままの時間が、動き出そうとしている。


(なぁ志郎。もし俺に何かあった時は……悪いけど、家族のこと頼むぜ)

(特に愛は、寂しがり屋で泣き虫だからよ。面倒見てやってくれ)


これもまた、逃れようのない運命なのかもしれない。

己が、生まれながらの怪物であるように。これもまた、覆せないものなのだと。
慈島は、一つの決心を胸に、深く頷いた。


「…………俺で、許されるのならば」


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