FREAK OUT | ナノ


それから半年が経った頃。貫田橋の存在をまたもやすっかり忘れていた雪待が、所用の為に渋々ながら事務所に向かおうと自宅を出た時。彼は再び、現れた。


「……何だ、お前」

「私、こういう者でございます」


完璧な所作で懐から名刺を取り出し、にこやかに微笑む七三頭の男。彼が手渡した名刺を見て、雪待は眉を顰めた。

その名前に憶えは無い。だが、男の顔と声を知っている。そんな違和感に苛まれながら、じっと男の眼を見遣ること数秒。雪待の口から「あ」という声が出るや、男はしたり顔でにっこりと打ち笑んだ。


「憶えていただけておりましたか」

「いや、完全に忘れていた。だが……そうか、お前はアイツで間違いないのか」


今の今まで記憶領域から消えていた筈の男の姿と、眼の前の男。二つの肖像は殆ど一致しないが、紛れも無く同一である部分が見受けられる。当人も否定しないので、間違い無い。半年前、いきなり自分の下で働きたいと申し出てきたあの男だ。


「形から入るタイプか、お前」

「身嗜みを整えるのは当然のマナーでございますので」

「……口調も変わったな」

「言葉も碌に遣えなければ、お話になりませんので」


嫌味の心算、では無かった。藁にも縋る想いで門を叩いたビジネスマナー教室で礼儀作法を一から十まで身に着けてみて、成る程確かにと思ったのだ。


何度か殴り倒しそうになった講師曰く、言葉遣いは心遣いという。適切な言葉を選んで用いることは、相手に対する心配りが出来るということ。故に全ての道は言葉遣いに通ずるのだと説いた、心の中で幾度もチビハゲ野郎と罵った講師のことを思い出しながら、貫田橋は上体を四十五度に傾けた。


「あれより半年……貴方様の需要にお応え出来るよう、己を鍛え上げて参りました」


この半年間、貫田橋は我武者羅に何で出来るを目指して奮闘してきた。

ビジネスマナーのみならず、家事教室やパソコン教室にも通い、ボールペン習字の通信教育で悪筆も矯正した。運転免許を取得し、秘書検定にも受かった。雪待が犬を飼っているという話を聞いたので、ドッグシッターの資格も取った。この間、能力者としてのトレーニングも欠かさなかった。

ふと自分は何をやっているのかと思うこともあった。自分は何処へ向かっているのかと虚無感を覚えることもあった。だが、”帝京最強の男”に挑むのだと思えばこの程度、と乗り越えられた。勢い余って、どう考えても要らない資格まで取った時は、流石に方向性が狂ったと感じたが――何はともあれ、自分は此処までやったぞという自信が、貫田橋の背を押した。


「事務作業、経理、送迎、諜報、家事雑事は勿論、ペットのお世話まで……何なりとお申しつけください、雪待様」


其処までするか、普通。

雪待には貫田橋が此処までする理由が分からず、眉を顰めた。


自分に弟子入りしたいと申し出てきた能力者は、何人もいた。

”帝京最強の男”という称号。ジーニアスという肩書き。それらに純粋に憧れ、自分に近付きたいとする者も居た。美味い汁を啜るべく、此方に取り入ろうとする者も居た。


その悉くを、雪待は払いのけてきた。気が乗らない、気に入らない、その気が無い――様々な理由を付けて、様々な人間を拒んだ。

それも、侵略区域遠征までの話だった。


彼の地から逃げ帰り、上層部から見放され、”島流し”を受けたことで、此方に近寄る人間より遠巻きにする人間の方が多くなった。その中には、自分を心から尊敬している等と口にしていた者も居た。

雪待自身、それが当然のことだと感じている。”帝京最強”という鍍金が剥がれ落ち、脆弱で醜悪な中身が露出した己に、誰が価値を見出すのかという話だと、そう思っていた。
だから、少し時間を置けば、この男も眼が覚めるだろうと考えていた。何を想って自分の下で働きたいと思ったのか知らないが、あそこまで言われた上で尚食い下がってくることも無いだろう、と。

だのに、彼は再び現れた。此方の求める需要に応えるべく、半年間血の滲むような努力をしてまで、だ。一体、何が彼をそうさせるのか。この男が求める一切合切が理解出来ないと、雪待は溜め息を吐いた。


「……それだけ出来れば、もっと良い働き口があると思うが?」

「就労先は星の数程あれど、”帝京最強の男”はこの世に貴方一人です」

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