FREAK OUT | ナノ


(本当に行くんですか、徹雄さん)


引き止めた背中と、此方を向いて笑った彼の顔が、今も慈島の記憶に鮮明に残っていた。


(そりゃあ、上からのご命令だしなぁ。”英雄”真峰徹雄が、尻尾撒いて背中を見せる訳にはいかねぇさ)


選ばれし能力者の中でも選りすぐり。その中で唯一無二の名を冠した男。


――”英雄”真峰徹雄。


彼が最後に見せたその佇まいを、表情を、慈島は忘れる事が出来なかった。


(けど……侵略区域の中心部なんて……)


五年前、FREAK OUT統轄部は政府の命により、侵略区域奪還の為の遠征任務を精鋭部隊・ジーニアスに一任した。

それまでも幾度となく、ジーニアスによる侵略区域遠征は行われてきた。だがそれは、対岸から程近い範囲内の探索や、フリークスの巣の駆除、保存食として拉致された市民の救助などが主であり、最終目標たる悪徳の樹――クリフォトのある中心部を目指した遠征任務は、これで五度めであった。


(無茶だ危険だと言ってたら、いつまでも俺達は救われねぇ。誰かがあの化け物の巣窟に飛び込まなきゃ、人類は全滅を待つのみだ)

(分かってます……。でも徹雄さん……貴方には、家族が)


中心部への遠征は、数年に一度、痺れを切らした政府により強引に推し進められ、実行された。

フリークスの脅威に曝され、我が身可愛さに堪え兼ねた人々は、能力者達を死の坩堝へと放り込む。それが何一つ実を結ばぬどころか、大きな損失を産む事になろうとも、過ちは繰り返された。絶望の結末と、未だ侵略区域奪還は不可能という答えを持ち込まれるまで、お偉い方は頷いてくれない。その為に、何人――いや、何十人もの能力者が、フリークス蔓延る悪夢の地に送り込まれ、命を落としてきた。

選ばれし精鋭と集められた力ある能力者達。彼等を徒に犠牲にする、希望を食い潰す最悪の任務。四度めで打ち止められなかったその忌まわしき儀式に、徹雄を筆頭としたジーニアスの能力者二十二人が任命された。

今度こそ上手くいくなど、楽観視出来る者は、一人としていなかった。命辛々生き残った者達が持ち帰ってきた情報があろうと、これまで以上の人員が集められようと、絶望が薄まる事は無く。死に向かうも同然の任務を前に、選定された者達は嘆き、怒り、苦しみ、呪い、断頭台を登るような思いで、この任に就いた。

それは”英雄”と謳われる徹雄もまた然りだったが――彼は、歩みを止めなかった。


(家族がいるからこそ、俺は行くんだ)


例え、死が口を開けて此方を出迎えていようとも、多くの人に行かないでくれと縋り付かれても、他ならぬ彼自身がこの任務に絶望していても。それでも彼は、退かなかった。


(嫁と子どもが、何に怯える事も脅かされる事もない……そんな明るい未来が、俺は欲しい。ぶっちゃけ国土とか、そんなんはどうだってイイんだけどよ。あそこに俺と家族とお前らと……帝京の人達の希望があるってんなら、俺は行くぜ)


”英雄”と呼ばれた故――否、そう呼ばれて然るべきであったが為に、彼はあの場所へ向かってしまった。どれだけ微かで僅かでも、其処に光があるのならと。彼は、踏み出してしまった。


(なぁ志郎。もし俺に何かあった時は……悪いけど、家族のこと頼むぜ)


平和を願う市民の願いを受け、贄となった前人達の想いと魂を汲み、愛する家族と共に戦う仲間の明日を得ようと。”英雄”は、勝利を、奇跡を、希望を信じ――そして、消えた。


(特に愛は、寂しがり屋で泣き虫だからよ。面倒見てやってくれ)


人々に愛され、望まれ、敬われ、尊ばれていた彼が、どうして行かなければならなかったのか。どうして帰らぬ人にならなければいけなかったのか。彼を止められなかった慈島が思うのは、ただそればかりで。


(それじゃ、行ってくる)


あの時、選ばれたのが自分であれば良かったのに。”怪物”である自分が、死んでしまえば良かったのにと。そんな不毛な事ばかりが、最後の記憶と悔恨と共に、延々と廻り続けて迎えた幾度目かの朝。



「……じゃあ、行ってらっしゃい愛ちゃん」


仁奈の件から立ち直り、心身共に回復した愛は、元のように学校に通い出した。

あれから何度か、思い出しては著しく落ち込み、時たま嘔吐してしまう事もあったが、愛の顔付きは見違えた。笑穂が此処を訪れた日から一週間経った今。今だ完全にとは言えないが、それでも愛は、笑えるようになってくれた。


「はい。……あっ、そうだ慈島さん。確か、今日は帰りが遅いんですよね」

「あぁ、うん。今日は、本部の方で支部長会議があって……でも、六時頃には戻るから」


もう二度と、こんな顔を見れないのではないか、こんな風に話せないのではと思っていた慈島の胸には安堵感と、未だ拭えない罪悪感が残っている。だが、それを抱えているのは、彼だけではない。今こうして微笑んでいる愛もまた、慈島と同じく、罪に心を捕らわれている。

鎖のように絡まり、枷のように噛み付く、罪の意識。決して消えないその痛みを抱えたまま、二人は誓った。互いに手を取り合って、共犯者として、先の見えない闇の中で戦っていく事を。


「じゃあ、今日も学校から帰ったら事務所に入らせてもらいますね」

「うん……。仕事は、徳倉に指示してくれって頼んであるから」

「分かりました。それじゃ、いってきますね」


制服をはためかせ、ドアの向こうに消えた愛を見送り、慈島は眼を細めた。


――また止められなかった。


その想いが、小さな愛の後ろ姿に消えた”英雄”を重ね、また、どうにもならないことばかりを考えさせる。何年経っても変わらぬ自分への嘲笑と、父親に似て強く眩しい少女への羨望を小さな溜め息にして、慈島は玄関から踵を返した。


部屋を出るまで、まだ少しばかし時間がある。その時間をいつもと同じように過ごすべく、慈島はベランダに出ると煙草に火を点け、遠く彼方に霞む景色に紫煙を吹き付けた。
視界に映るあの災厄の象徴と、その根元。対岸の先にある筈の希望。

完全に消えるのは果たしてどちらか。いや、先に此処から消えて無くなるのは、自分の方か。そんな事を思いながら、煙草を吸い終えた慈島は、椅子の背凭れに掛けていたスーツに袖を通し、部屋を出た。


今日もまた、明けぬ夜に似た日々が始まる。

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