FREAK OUT | ナノ
翌朝。目覚ましより一時間早く起きた愛は、机の上に並べたメイク道具を前に鬼気迫る表情で佇んでいた。
化粧をするのも、随分久し振りだ。一応、前日夜に予行練習をしておいたが、本番に限って大層な失敗をしでかす気がして、愛は鏡に映る己を睨み付けた。今日だけは絶対にしくじるな、と。
余計なことはしないをスローガンに、慣れた道具で慣れたメイクを慎重に施していく。
もっとこうした方が、という思考は沼に嵌り兼ねないので捨てた。とにかく最低限で最善を尽くす。それが今日のテーマなのだと言い聞かせ、愛は化粧ポーチを閉じた。
服は、昨晩の内に選んでおいた。ダークグリーンのフレアワンピースに、秋用の黒いロングコート。靴箱にしまったままのブーツも、昨日ピカピカに磨いておいた。
去年、笑穂が大人っぽくて可愛いと褒めてくれたコーディネートなので間違いない筈だ。何度も鏡の前で指差し確認し、愛は「よし」と部屋を出た。
「おはよう、愛ちゃん」
「お……おはようございます!」
既に身支度を終え、リビングで待っていた慈島の格好は、誕生日祝いの時と殆ど変わっていなかった。
物凄く見慣れた黒いTシャツが薄手のニットになった程度で、ボトムスは物凄く見慣れたジーンズのまま。視覚的変化は皆無と言っても良い。しかし、彼がニットを着ているのを見るのは初めてだ。そんな些末な変化に新鮮味を感じてしまうのは、惚れた弱味に違いあるまい。
「それじゃ、行こうか。…………ところで、体調は?」
「元気です!未だかつてなく!」
「そっか。……途中で気分悪くなったりしたら、すぐ教えてね」
調子の良いことをアピールしようと、無駄に大きな声で返事してしまった。自分一人浮かれているのが馬鹿みたいだと、後からじわじわと込み上げる羞恥心を噛み締めながら、愛は玄関に向かう慈島の後ろを歩く。
「……そういえば」
「は、はいっ」
靴を履こうと屈んだ直後、慈島が此方を振り返る。
ガスの元栓か、窓の鍵でも閉め忘れていないかと思ったのか。それとも、自分に何かおかしな所でも――と案じる愛の前で、慈島はふっと眼を細めて笑った。
「今日の服、可愛いね。俺なんかが横歩いてるの、なんか申し訳ないな」
頭がそれを処理するのに、些か時間を要した。
暫しポカンと立ち尽くしていた愛は、慈島の言葉を理解すると同時に顔を真っ赤にして狼狽えた。
「そそそ、そんなことないです!!こ、これくらいオシャレしてようやく釣り合うっていうか……慈島さんは、か、かっこいいので……その……あの……」
「……ごめん。なんか、気遣わせちゃって」
「そういうんじゃないです!ほ、ほんとに……ほんとに、そう思ってるので……」
褒める為に自分を卑下したことで、返答と反応に困ってしまったかと慈島が己の発言を悔いる横で、愛は火が噴き出しそうな程に熱い顔を項垂らせ、ワンピースをぎゅっと握り締めた。
素直に喜べば、彼が謝ることも無かっただろう。けれど、あれを上手く受け止めるのは、無理だ。彼に釣り合うように、彼に可愛いと思ってもらえるようにと選んだ服を褒められて、どうして冷静でいられよう。今だって、叫び声を上げながら走り回って欣喜雀躍したいくらいなのに!
だが、狂喜の余韻に浸っている場合ではない。この気まずさを何とかしなければ、今日という日が無為に溶けてしまう。
「……たくさん悩んで選んだので、嬉しいです。ありがとうございます、慈島さん」
「……ん」
気恥ずかしさを孕んだ顔で、慈島がごく小さく打ち笑む。
その姿を心から愛しいと思う気持ちが弾けたような笑顔で、愛は慈島に続いて靴を履いた。