FREAK OUT | ナノ


灰皿に山盛りにされた吸い殻を見て、芥花は近くで書類整理をしていた太刀川の肩をトントンと叩いた。あれを片付けてもらえないか。そう視線で語りかけると、太刀川は無言で頷き、ゴミ箱片手に慈島の机へと向かった。ひりついた空気の中でも、仕事とあらば躊躇なく踏み込める彼女の強さには痛み入る。それに引き換え、彼女が気にしないのを良い事に雑務を任せた己の情けなさったら無いと、芥花は深い溜め息を吐きながら、綺麗になった灰皿に即煙草を捩じ込む慈島を見遣った。


慈島は、苛立っていた。理由は明白。先日の――実野里家の件だ。

あの事件の後、愛は著しく体調を崩し、部屋に籠ってしまった。日がな一日体をベッドに横たえ、食事はほぼ受け付けず。何も摂らぬままに嘔吐を繰り返す――そんな実に痛ましい状態に陥っているという。


言ってしまえば、現状は、愛の自業自得でもある。慈島に警告されておきながら、嵐垣の誘いに乗せられた結果、見ずに済んだものを見てしまったのだから。だが、彼女をそうさせてしまったのは、己の不注意さにあると慈島は考えている。

嵐垣が、まさか愛を連れて行くなどと思いもしなかったなど、言い訳にしかならない。最初から自分が実野里家に向かっていれば、愛が深く傷付く事も無かった。此処は、あらゆる危険と可能性を想定し、最も安全な策を講じ続けなければならない世界だというのに。

そうした怒りと自己嫌悪に加え、傷付いた愛にどう接すれば良いのかという焦りと迷いで、慈島は此処数日、ずっと気が立っている。お陰で、煙草の消費量が凄まじい。今日だけでも、一体何箱吸っている事か。普段それほど数を吸わない彼が、何の解決にもならないと分かっていながら次々に煙草を消費していくのを見て、芥花は肩を竦めた。


これは、止めきれなかった自分にも非がある。フリークスのいる場所に踏み込めば、こうなると分かっていたのに芥花は、止められなかった。嵐垣を、ではない。彼が止められなかったのは、愛の方だ。

もしあの時、自分が能力を行使してでも止めようとしたとする。それでも彼女は、食い下がってきただろう。何の力も持たない、ただの少女の牙。芥花は、それを恐れた。だが、それは正当な理由にはならない。あの時、彼女を止められたのは自分だけだったのだから、例え噛み付かれようとも、手を伸ばすべきだったのだ。


果たせなかった責任が重く圧し掛かる。だが、あの時こうしていれば等と今更考えても、仕様が無い。変えようのない過去の事をより、今、これからをどうするか思案すべきだ。
建設的思考に努める芥花だが、現状を打破する妙案の一つでも浮かんでくれたなら、こんな風に思い悩む事も無い訳で。さて、どうしたものかと、芥花が今日何度目かの溜め息を吐いた時だった。


「すみませーん、誰かいませんかー…?」


コンコンと控えめなノック音と共に、重苦しい静けさを湛えていた事務所に、声が響いた。聞き覚えのない、若い――というより幼い、少女の声だった。

芥花は見開いた眼で、誰か声の主に身に覚えはあるかと室内を見回した。

太刀川は、来客の予定はない筈だと、首を小さく傾げている。慈島は、煙草を咥えたまま訝しげにドアの方を見ている。どうやら、扉の向こうの人物を知る者は、この場に居ないらしい。
では、実野里家の件で謹慎を喰らった嵐垣・賛夏や、外で見回りをしている徳倉の客か。恐らくそれも否だ。彼等を訪ねてくるような年若い女の身内の話は、聞いた事が無いからだ。


考えられるのはFREAK OUTの関係者だが、それなら誰か居ないかと尋ねる前に、電話の一本でも寄越してくるだろう。

一体誰が来ているのかと芥花がドアを見つめていると、慈島が視線を向けて来た。あれは、ドアを開けて応対しろ、という指示だ。

扉の向こうの人物が何者か分からないが、相手が人間であることは慈島が嗅ぎ取っている。適当に話を聞いて、応対しろ。彼の眼はそう言っていた。因果が巡ってくるのは随分早いものだと肩を落としながら、芥花はドアノブに手を掛けた。


「はーい」

「ヒャッ!」


余りに静かだった為、人が出て来ると思っていなかったのか。声の主が軽く跳び上がりながら、短く叫んだ。おっかなびっくりとしたノックと声色から、緊張していたのもあるだろう。恐る恐る此方を見遣る人物を見て、芥花は目をぱちくりとさせた。


「あれ……君、」

「は……初めまして!わ、私……鹿子山笑穂といいます!」


どもりながら、慌ただしくお辞儀をした少女は、見覚えのある制服を着ていた。それで芥花は、彼女が――笑穂がどんな用件で此処に来たのか、何となく察しがついた。


「あの、えっと……私、此処でお世話になっている真峰愛の友達で……今日は、彼女に会いに来まして……」


愛が着ているものと同じ、御田高校の女子制服。それを目にした時、もしかしてと思ったが、その通りだったらしい。

一体何事かと気を張っていたのが馬鹿らしくなった芥花がへにゃりと笑うと、暫く此方をじぃと見つめていた笑穂が、まさか、と言いたげに問い掛けた。


「……慈島さん……じゃ、ないですよね?」

「アハハハハ!うん、違う違う。俺は芥花想平。シローさ……慈島さんの部下だよ」


話に聞いていた慈島は、三十半ばの男性で、寡黙な印象を受けた。ので、扉を開けた男は慈島ではないだろうとは思った。案の定、応じたのは別人だという。

では、慈島当人は此処にいるのか。突然、衝動のままに此処を訪ねてしまったので、彼が居るのかどうかさえ分からなかった笑穂だが、運良く、慈島は事務所に居た。


「シローさんはあっちの人。シローさーん!この子、めーちゃんの友達ですってー!」


声高々に通された先。慌てて煙草を消して席を立った男の姿を見て、今度こそ笑穂は確信した。ああ、彼が慈島さんだ、と。


「……初めまして。鹿子山笑穂です」

「……初めまして。慈島志郎です」


互いにぎこちなく挨拶を交わした所で、慈島は額に汗を掻いた。

愛がよく話すので、笑穂の事は知っている。が、実際に会うのは初めてだ。それは笑穂も同じだが、気まずさで言えば此方で勝る。慈島は元々話下手で、初対面の人間を苦手としている。その上、相手は女子高生。ただでさえどう接したら良いのか分からない相手だというのに、笑穂は、愛の友達。つまり、実野里仁奈の友人でもあるのだ。


押し寄せる罪悪感と居た堪れなさで、慈島は非常に参っていた。

笑穂が此処に来たのは、愛がまた学校を休み出した事か、仁奈の件か。どちらの件についても、謗られ、責められる覚悟は出来ているが――と、慈島が沈黙していると、笑穂がやや緊張した面持ちで、話し始めた。


「あの……愛、体調崩してまた休んでるって聞いて……メッセージも返ってこなくて心配で……。突然の事で本当に申し訳ないんですが……愛のお見舞いがしたいので、部屋まで案内していただけないでしょうか……」


笑穂がわざわざ事務所に来て自分を訪ねて来たのは、愛が此処に住んでいる事は知っていても、このビルの何処にいるか分からなかった為らしい。

それならば、と慈島は芥花達に断りを入れて、笑穂を自宅まで案内する事にした。


「この上が、家になってるんだ。愛ちゃんは……部屋に居ると思う」


これは好機であった。

愛の現状は、自分ではどうにも出来ない。だが、愛と最も親しい友人である笑穂ならば、彼女が立ち直る切っ掛けをくれるかもしれない。

掛ける言葉も見付けられず、弱り果てた愛の背中を撫でてやる事すら出来ない自分では、手の施しようがなかった所に、彼女の訪問は僥倖としか言い様がない。

慈島は藁にも縋る思いで、笑穂と共に事務所を出て、自宅に続く階段を上がった。

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