FREAK OUT | ナノ
息をするだけでこんなにも辛いのならば、いっそ呼吸するのを止めてしまおうか。
何度も何度も繰り返し願った、痛みの無い世界。
時に、顔も名前も知らない衆多の誰かを犠牲にしても、自分一人が贄となることから逃げ出したかった。
内側から金槌で叩き付けられるように痛む頭。思うように動かなくなっていく体。徐々に色を失っていく視界。
母も、その母も、そのまた母も、そうして死んだ。
自分だけが悲劇を背負っているのではない。神室の巫女達は皆、大義の為にその全てを捧げてきた。己の身を轢き砕きながら未来を見据え、幾人もの男と交わっては子を成し、この眼と使命を引き継いできた。
それが力を持って生まれた者の責務であると、誰もが自分が救われることのない未来を受け入れた。
うんざりする程、高潔だ。彼女達の誰か一人でも、我が身可愛さに世界を捨ててくれたなら、自分がこんなにも苦しむことは無かったのに。
この世に生を受けたことすら恨めしくなる。それでも生きることを止められずにいるのは――。
「お体の具合は如何ですか、日和子様」
「……兵房」
閉じた眼を薄く開き、優しく額を撫でる手を見つめた。
彼にこうされるだけで、全てが報われた気になって、あらゆる痛みが和らいでくれる。
伯父の能力でさえ癒せなかったところを、彼の手が取り除いてくれているようで、黒い感情の澱すら掬われる。
――この時だけ。この時だけが、身も心も安らげる唯一の時間だ。
僅かに乱れた前髪を整える兵房の手に頬を寄せながら、日和子は深く息を吸い込んだ。
「さっき、伯父様が来てくださったの……少し、楽になったわ」
「然様でございましたか」
「…………兵房、手を」
「はい」
ただその一言で、彼は全てを理解してくれる。
その大きな手で自分の手を壊れ物のように包み込んで、流されそうな物を繋ぎ止めるように握る。
思うように力が入らず、食事を摂ることさえ儘ならなくなってきたこの手が、いつか何も感じられなくなることを日和子は恐れている。その想いを知るのは、兵房ただ一人だ。
「……もう何も、視たくないわ。未来を視るのって、とても辛くて、痛くて、怖いの」
「はい」
「お母様もおばあ様も、未来の為に死んでしまった。自分のいない未来の為に。……私には、きっと、無理だわ」
「はい」
「私は、お母様達のようになれない。私を犠牲にして救われる世界を許せない」
「はい」
兵房にしがみ付くようにありったけの力を込めても、彼が握り返してくれなければ、この身も心も、荒れ狂う奔流に飲み込まれてしまうだろう。
――彼無しでは、生きていられない。だが、彼がいてくれるなら。
死に絶えてしまいたくなる度々に己の醜さを吐露しても、その全てを受け止める兵房の手に縋りながら、日和子は温かな陽射しを浴びるような顔で微笑んだ。
「でもね、兵房。私……貴方の為なら、何だって出来るの」
世界なんてどうでもいい。誰が死んだって構わない。
けれど、彼の為になら――自分の全てを懸けて、全てを救う。そんな反吐が出るような生き方も死に方も、喜んで受け入れよう。
「貴方だけが私の救い。貴方さえいてくれるなら私、未来の為に死ぬわ」
痛ましい程に健気な少女だ。世界の救済の果てに待ち受けるものが自らの破滅と知りながら、ただ一人の男の為に運命を享受する。
その生き様と選択を憐みながら、兵房は打ち笑む。己もまた、彼女を贄に生き残る者であることを自覚しながら。
「勿体ない御言葉です、日和子様」