FREAK OUT | ナノ


「蘭原さんって綾野井のこと好きなんっすか?」

「…………は?」


バタフライマシンに腰掛けたまま、何を言われたのかと硬直すること数秒。獲物に飛び掛かる豹の如き素早さで跳躍した蘭原は、光の速さで取り巻きの一人を捕え、そのまま飛びつき十字固めを決めた。


「痛い痛い痛い痛い!!ギブ!!蘭原さん!!ギブ!!」

「Give?もっとくれってことか?なぁ、渦見」

「いぎゃあああ!!」


トレーニングルームに響き渡る悲鳴から、他の取り巻き達が眼を逸らす。
触らぬ蘭原に祟りなし。それが彼等の共通認識である。それに、今のは彼――渦見走介(うずみ・そうすけ)が悪い。

いい薬になるだろうから、あのまま暫く放置しておこうと、各自トレーニングに戻る。そんな中、致し方ないと一人の少年が腰を上げた。


「その辺にしてやれ、琢也」

「……直生」


依然、技は掛けたまま。しかし、腕を千切らんばかりの力が抜け、渦見の絶叫が止んだのを見て、取り巻き達はやはり彼に任せて正解だったと安堵した。

天上天下唯我独尊を地で行く蘭原に物申すことが出来る人間は少ない。彼、猫吉直生(ねこよし・なお)はその数少ない人間の一人であり、蘭原の右腕として認められている人物である。

彼は他の取り巻き達と違い、蘭原とほぼ対等な関係を持ち、彼に意見することが許されている。猫吉も蘭原と同じく二世能力者であり、RISEに入ったのも彼とほぼ同時期であった。
それ故、付き合いが長いことに加え、補佐役としての能力の高さもあって、猫吉は蘭原のサイドキックとして一目置かれている。


「お前も空気読め、走介。出来ないなら、せめてもっと遠回しな言い方しろ」

「う、うぃーっす……」

「いや、そんな器用な真似出来るならこうなってないだろ」

「違いねぇ」


一方、渦見の方は取り巻き達の中で最年少且つ、蘭原の下について最も日が浅い。尚且つ、端的に言って頭が弱く、こうして不用意な発言をしては蘭原から折檻を受けることも少なくない。それでも蘭原組として扱われているのは、戦闘スキルとコミュニケーション能力の高さにあった。

やれば出来る、愛される馬鹿。そういうポジションを確立しているが故に、渦見は蘭原組に籍を置けている。

それに、チームに一人はこういう何も考えずに物を言う輩がいると、何かと都合が良いと、ようやく解放された渦見を見ながら、彼の失言に便乗して、取り巻きの一人が蘭原に尋ねた。


「で、実際どうなの?」

「……お前も渦見と同じ目に遭いてぇのか、貴船」


まさか、とわざとらしく肩を竦めたのは、貴船准汰(たかふね・じゅんた)だ。

蘭原組の中で最も体格が良く、班実習では切り込み隊長として前線を担っている彼は、この面々の中で一番肉弾戦に特化している。対人格闘の成績も優秀だが、如何せん能力が地味という一点で蘭原の下についているだけあって、貴船は中々に抜け目ない。

口走った渦見が蘭原を怒らせ、猫吉がそれを宥めたところで本題を切り出す辺り、見た目に反し計算高い男である。
蘭原は、彼のそういうところを疎ましく思いながらも、評価していた。が、この話は別だと言わんばかりに、蘭原はこれでもかと顔を顰める。


「どうもこうも、ある訳ないだろう。お前ら、俺を誰だと思っている」

「蘭原琢也さんです」

「そう。俺は蘭原統の息子、エリートの中のエリート、蘭原琢也だ」


普通であれば自称するのが憚れる言葉を堂々と口にするのは、蘭原が己の出自と能力に絶対の自信と誇りを有しているからだ。”英雄”の娘である愛こそ負けたが、自分の中に流れる能力者の血が貴いことも、自らが優秀であることも変わりない。

蘭原統が長子、蘭原琢也は紛れもなくエリートの中のエリート。次世代を担う選ばれし能力者だ。愛に敗北してから、彼は随分変わったが、そのスタンスは一切変わりない。故に、蘭原は彼等の言うことに憤っていた。


「その俺が、何をどうしたらあの万年落ちこぼれ底辺能力者の綾野井に惚れるっていうんだ。逆だろ、普通は」


知力、体力、能力に恵まれ、常にカーストの頂点に君臨してきた自分が、どうしてRISE一の落ちこぼれとして蔑まれ、虐げられてきた彩葉に入れ込むというのか。

彩葉の方が自分に惚れる方が自然だろうと蘭原は言うが、取り巻き達からすれば万に一つも無いのは其方であった。


「自分が綾野井に好かれる可能性があると思ってるのか、蘭原さん」

「打嶋ぁあああああああああ!!」

「まぁまぁまぁまぁ!!落ち着けって琢也!!」


今度は体を使って蘭原を押さえ込みながら、猫吉は確信犯だろう打嶋匠馬(うてじま・たくま)を睨み付けた。

打嶋は、徒に人を煽っては愉しむ悪癖がある。渦見が天然で空気が読めないのに対し、彼は敢えて空気を読まない性分だ。しかも、凡そ人が最も言われたくないだろう言葉を選んで来るので、一層質が悪い。

勘弁してくれと猫吉が懸命に荒れ狂う蘭原を押さえ付ける。それを余所に、取り巻き達は打嶋の発言に頷き、口を揃えて彼の言う通りだと言い始めた。


「でも、綾野井が蘭原さんに惚れるってのは無いだろうな。綾野井いじめようって言ったの蘭原さんだし」

「一番いじめてたのも蘭原さんだったな」

「一時期、蘭原さんの顔見るだけで泣いてたしな、綾野井」

「真峰がRISE出るってなって、蘭原組に入ることになった時も、この世の終わりみてぇな顔してたな」

「あれ『嘘、この私が蘭原さんと同じ班に……?』って顔じゃなかったのか?!」


そんな訳あるか、と蘭原を押さえていた猫吉含め、全員が頷いた。


愛の介入によって、蘭原達と彩葉の関係は大きく変化し、今やチームメイトとなった訳だが、それで過去の所業が水に流されることなどありはしない。

筆記用具をトイレに放り込む、机にゴミを詰める、ロッカーに虫を入れる、顔に飲み物をかける、脚を引っかけて転ばせる――こんなことを殆ど毎日やっておいて、どうしていじめの筆頭であった蘭原に好意が持てよう。

蘭原からすれば、あれはいじめではなく扱きで、そんなに手酷いことはしていないだろうと思っているのだろうが、彩葉の立場になってみれば、ふざけるなと言いたいところだろう。
いじめに加担していた自分達が言えたことではないのは百も承知ではあるが、それでも、自惚れるのも大概にしておけと猫吉達は思った。

自信に満ち溢れているところは蘭原の長所であり短所である。そして当人は、前者を当たり前のものとし、後者に気付いていない。だからこのような勘違いが起きているのである。


「あの恩知らずが……真峰がいないと何も出来ねぇ金魚のフンを憐れんで声を掛けてやったっていうのに」

「あれ、『真峰より自分の方が上手く使えることを教官達に証明してやる』って言ってなかったっけ」

「綾野井のこと心配してたんだな、蘭原さん」

「お前らぁああああ!!」

「どうどう」


今度は適当に宥めながら、猫吉は溜め息を吐いた。

この様子からするに、まず間違いなく蘭原は彩葉に好意を抱いている。当人は全面的に否定しているが、これは小学生男子が好きな女の子を暴かれて必死に「ちげーし!」と連呼しているのと同じだろう。

蘭原は間違いなく優秀だが、精神的に未熟で、彼が未だRISEに在籍しているのもそれが理由だ。
能力者として戦線に立てるレベルはとうに迎えている。しかし、中身があまりに成長しないということから教官達は彼の卒業を見送り続けているのだが、当の蘭原はそれを知らない。精確には、知らされていない。知ったところで癇癪を起こすだけだと思われているからだ。

蘭原には、帝京を背負う戦士としての腕はあっても器が無い。それ故、何時までも鉢植えの王様止まりになっている彼も、愛の影響を受けて少しずつ変わりつつある。その変化の過程で、彩葉のことを意識するようになったようだが、蘭原は断固として認めようとしない。


「ともかく!!俺は綾野井のことなんてこれっっっっぽっちも気に掛けてねぇ!!あいつを班に置いてるのは俺の統率力を教官達に知らしめる為だ!それ以外には何も無い!!」

「そういうことなら綾野井貰ってもいい?」


そんな彼を見兼ねて、という訳ではなく、シンプルな下心から手を挙げた取り巻きに、蘭原の顔が凍り付く。

それを横目に、猫吉達は正気を疑うような眼差しを眼鏡を掛けた少年に向ける。


「マジか、糊塗部」

「全然マジ。綾野井、結構可愛いし、おっぱいでけーじゃん。蘭原さんが綾野井に興味ねぇなら、俺行くわ」


糊塗部昂(ことべ・すばる)は、年頃の少年達で構成された蘭原組の中で最もこの手の話を好む質――とどのつまり、好色家である。
同期の女子と女性教官は大体脳内で抱いたと豪語する彼が、彩葉を良くない眼で見ていたことは誰もが理解していたが、此処まで不純を極めた動機で名乗りを上げるとはいい度胸をしていると、誰もが眉を顰めた。


「いや無理だろ。お前も一緒になっていじめてたじゃねぇか」

「そうか?綾野井って頼めばヤらせてくれそうなとこあるじゃん。いけるいける」

「俺ら全員どの口がって話だけど、お前ぶっちぎりで最低だな」


緊迫した状況下では、被害者が加害者に連帯感や好意を抱くことがあるというが、彩葉が此方を憎悪することはあっても恋愛感情を持つことは無いだろう。それを承知の上で糊塗部は、土下座すれば一発いけるだろうと言っている。目くそ鼻くその立場である自分達から見ても最低の発想である。

愛がこれを耳にしたのなら肉片一つ残らず消しに掛かろうとするに違いない。その愛がRISEを出てしまったので、糊塗部は好機と捉えているようだが――さてお前はどうすると、猫吉は蘭原に視線を向ける。


「……だ、そうだが?」

「…………俺には関係のないことだ」


自分にとって彩葉は、取るに足らない存在だ。傍に置いているのは、落ちこぼれ能力者さえ上手く扱って立ち回れる自分の有能さを証明する為に過ぎない。だから、好きにするがいいと吐き捨てて、蘭原はトレーニングルームを出て行った。

その顔はとても、無関係を主張する人間がするものではなく、彩葉がどうなろうと知ったことではないと言う表情でも無かった。


「……手ぇ出したら殺されるぞ、お前」

「だろうな」


糊塗部が本気で彩葉を口説こうとしている訳ではないのは、猫吉達にも分かっていた。
その気が全く無い訳でもないので質が悪いのだが、あれの目的は蘭原に危機感を持たせ、彼を駆り立てる為であると、渦見でさえ理解出来ている。

だのに、蘭原は鬼気迫る顔で糊塗部を牽制し、釘を刺すような眼で彼を睨んでいった。

冗談が分からない程度に衝撃を受け、焦っているのだろう。トレーニングルームを出て行ったのは、それを悟られまいとする為に違いない。全く素直じゃないと、取り巻き達は揃って深々と溜め息を吐きながら、肩を竦めた。


「しっかし、そんなに綾野井のことが好きなら、素直になればいいのになぁ。ツンデレかよ」

「だからモテるのに彼女いねぇんだよ、蘭原さんは。性格が悪いのも原因の一つだろうけど」

「お前も性格悪いけど彼女いるじゃねーか」

「相手も性格が悪いからな」

「お前も昴に劣らず最低だよな、匠馬」

「つーか何より、相手があの綾野井だから認めたくねぇんだろうなぁ、琢也。あいつプライドの塊だし」

「そこで後ろめたいからとかそういうの出ない辺りが蘭原さんだよな〜」

「それな。ハハ、やっぱあの人、性格悪いわ」


取り巻き達は蘭原に対し敬意を抱いてはいるが、彼に心酔している程でもないので、彼の性格は極めて劣悪であり、心底面倒臭いものであると思っている。それでも彼を慕っているのは、蘭原が間違いなく優秀だからに他ならない。

蘭原は紛うことなく優れた能力者だ。彼には能力者としてのセンスがあり、才能があり、見るものを引き付ける強さがある。

自分達が群れる羽虫なら、彼は光に違いない。そう信じさせてくれるものを彼が有しているが故に、取り巻き達は蘭原の人間性の低さを鼻で笑うことが出来る。

これを信頼と呼んでいいものかはさておき、彩葉のことについてどうしていくべきか。
暫し沈思した後、取り敢えず少し放っておこうと、猫吉は給水ボトルを手に、天井を仰いだ。

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