FREAK OUT | ナノ


自我というものが芽生えるより早く、それは知っていた。

血の滴る肉の味を。引き裂いたばかりの腹から零れる臓腑の温度を。恐怖に引き攣る獲物の顔に歯を立てた時の感触を。それらが与える快楽と恍惚を、それは知っていた。


故に、それは手当たり次第、無差別に捕食を繰り返し、脆弱な獲物を嬲ること、血肉を啜ることに没頭した。

其処に思考や知性が入り込む余地は無く。故に、それは肥大化した。


何かを考えるということは、何かを考えなければならない、持たざるもののすることだ。思念など、圧倒的な力を前にしては何の意味も無い。上から押し潰され、無惨に喰い散らかされるだけ。
それは、そんな不条理を体言出来るだけの力を持っていたのだ。


ただ本能に従っていればいい。反射的に人という種族を襲い、嗜虐の限りを尽くし、骨の髄まで啜る悦楽に浸って、それを繰り返しているだけで、自分は完成される。

雲より高く聳える、母なる大樹のように。


「あーあ、駄目だ駄目だ。やっぱ、能力者は食っても不味いし、力も出ねぇ」


食い千切った四肢を吐き捨てながら、それは進化の過程で会得した言葉を呟いた。


依然、それは智慧や言語を必要としていない。腕を振り下ろせば、それだけであらゆるものを圧倒出来るそれに、知能は不要であった。

しかし、生物として高位のものとなるに辺り、幾らか知性が伴う必要性があったのだろう。気が付いた時には、それは自己というものを認識し、拙いながら、思想に目覚めるようになっていた。


それを別段、不便に感じたことはない。知性を得ても尚、それは相も変わらず、無茶苦茶に捕食行為に勤しんでいるだけで十分だったからだ。

何かを警戒する必要もない。危機に対し敏感になることもない。故に、身に付けた知能が煩わしくなることもない。
脅威無き世界に対し、退屈という感情を覚えてしまったことだって、二秒経てば忘れられる。


だから、それは悲嘆せず、苦悩せず。目の前にぶら下がる衝動に喰らい付く。
より高位の存在と成り果てても尚、自分はそれだけで十分であると、そう認識しているが故に。生まれながらの化け物は、緩慢な動作で首を伸ばす。
この腹と、底無しの欲望を満たしてくれる獲物を求めて。カイツールと名付けられた化け物は、赤黒い目玉で辺りを見渡した。


「普通の人間は、何処行っちまったんだろうなぁ。このままじゃ、腹が減る一方だ」


わざわざ遠回りして、こんな所まで侵略してきたのは、人間を食い漁る為だ。
正面から対岸を渡るより、迂回した方がたくさん食えると聞いて来たというのに。これでは”農園”に持ち帰る分どころか、此処に来るまでの間に空いた胃袋の分さえ足りない。

何だか騙された気分だと傍らに転がる能力者の頭を徒に踏み潰しながら、カイツールは鼻をひくつかせた。


未だ、人間の匂いは、嗅ぎ取れる範囲内に残っている。

近くから嗅ぎ取れるのはごく少量だが、此処からそう遠くない位置から、ぎっしりと詰め込まれたような濃密な匂いが感じられる。


此処でようやくカイツールは、人間が何処か一ヶ所に集められているのだと察し、となれば、ちびちび抓み食いしてないで、其処に向かうべきだと、丸太のような足で歩み始めたが。


「蠢く樹木(デンドロフィー)」


踏み込んだ足は、突如地面から生えてきた無数の枝に貫かれ、間髪入れず、凄まじいスピードで伸びてきた蔓に四肢を絡め取られ、カイツールはその場に縫い付けられた。


カイツールの怪力を以てすれば、木の枝や蔓植物など、紙きれ同然。少し力を入れれば容易にへし折り、引きちぎれるような物だ。
しかし、カイツールの分厚い足を穿ち、鋼にも匹敵する硬度を誇る四肢の筋肉をギチギチと締め上げるこの植物は、どうも普通のものとは異なるらしい。

カイツールは、足の肉が裂けるのも厭わず鋭利な枝を踏み砕き、肉に食い込んで血が滲むのも構わず強固な蔦を無理矢理引っ張りながら、さてこれは誰の仕業かと周囲を見回し、彼女と顔を見合わせた。


「……貴方が、十怪のカイツール、ですね」


言いながら、彼女――栄枝は、カイツールの胴体に向けて、一抱えもある木を槍さながらに伸ばした。


彼女の能力・蠢く樹木は、植物を発現する能力だ。

発現出来るものは小さな草花から樹齢数百年レベルの木々まで多岐に渡り、同時に複数個、複数種発現させることも可能。
其処に根を張る為の土があろうとなかろうと、栄枝が視認出来る範囲内であれば何処にでも、何処からでも、自在に植物を生やすことが出来る。掃討にも捕縛にも優れた、多目的、且つ多角的な能力だ。

イメージとしては、任意の座標に種を植えるような感覚。そこに思い浮かべた植物をセットし、スイッチを入れると同時に成長させる。

栄枝は、腹を穿たれても尚、大した痛手を受けたような様子を見せないカイツールに向け、更に四、五本の木を発現し、その胴体を突き刺したが、カイツールは依然動じることなく、弛緩した眼差しで此方を見遣る。


「んん……ああ。お前、サカエダだな?キムラヌートのデータで見た顔だ」


腹を貫かれた程度では、致命傷にならないらしい。

カイツールはまるで、蚊に刺された患部を掻くように、腹部に突き刺さる木々を腕でなぎ倒し、にったりと口角を上げた。


「へっへ、本物の方が可愛い顔してるなぁ。お前、能力者じゃなかったら苗床にしてたのによぉ。へ、へっへ」


下卑た笑いを唾液と共に零している間にも、カイツールの体に空いた穴は、次々に湧き上がる肉によって、みるみる塞がれていく。

その無尽の再生力からすれば、胴体に穴を開けられるくらい些末なことなのだろう。

全く、絶望的だ。向こうは腕を軽く振り回すだけで此方の命を絶てるというのに。此方は何度心の臓を射抜いても足りないと来ている。
だが、あれは決して殺せない相手ではない。無限に等しい再生能力を有していようと、あれは不死の化け物ではない。それだけは確かなことだ。

であれば、攻撃の手を緩める理由は何処にも無いと、栄枝は腕を振り翳した。


「……口を開くのを止めなさい」


伸ばした腕を素早く振り下ろすと、その動きをなぞるように、先端の尖った樹木がカイツールの頭部を釘打つように貫いた。

上顎から下顎まで貫通した木の重みに堪え兼ね、カイツールの体が前のめりに傾く。其処に追い討ちをかけるように、栄枝はがら空きの背中に、鋭利な枝の雨を、弓矢の如く降らせていく。


相手が慢心している内に、削れるだけ削らなければならない。

例えそれが、百から一を削ぐだけに終わるとしても。その一を奪うことさえ難しくなる前に、可能な限り攻撃しなければ、勝機を掴めない。


元より、それが那由他の果てにあるものであろうとも。この戦いに勝利する可能性を僅かにでも上げることが出来るなら。自分は幾らでも足掻いてみせよう。抗ってみせよう。

それが、あの化け物を前に散って行った者達に出来る、唯一の鎮魂であると、栄枝は神木級の大樹をカイツールの頭上に発現させた。


「もうこれ以上、貴方には無駄口を叩くことも、何かを咀嚼することも許しません……。貴方は今、此処で潰えなさい!!カイツール!!」


振り下ろされた槌の如き一撃が、カイツールの骨を砕き、肉を削ぐ。

重量任せの攻撃は、カイツールの上半身をもぎ取り、その巨体を二分した。
割けた体からは血飛沫が上がり、剥き出しになった骨や臓器は砂煙に曝され、恐ろしく血生臭い空気が、粘ついた静けさを作り出す。


――流石に、効いたのか。


数秒間、一切の動きを止めたカイツールに、栄枝は束の間、深く息を吸い込むだけの余裕を取り戻した、が。


「怒るなよぉ。せっかくの美人が台無しだぜ」


獣は、その一瞬の隙を見逃さない。

腹の底まで響くような絶望的な声が、栄枝の鼓膜を通り抜けるよりも早く、頬を何かが掠めた。


それは、栄枝が発現した木だった。

あろうことか、カイツールは上半身が千切れたまま腕を動かし、体を貫く木を無理矢理引っこ抜いて、それを栄枝目掛けて放った。


もし栄枝が、あともう少し気を緩めていたら、それは彼女の頭部を貫き、後方に聳える建物の壁に突き刺さっていただろう。
遥か後方から、建造物が瓦礫へ成り果てる音を聴きながら、栄枝は戦慄した。

まともに踏み込むことさえままならない状態で。腕だけの力で放って、あの威力だ。全力で投擲したら、どうなるというのか。


(お前でも分かるだろう、栄枝。これまで一度も代替わりしていないという、その意味が)

(支部長の座に就いて数年程度のお前は知らんだろうがな。あれは、他の”花”とは違う。奴に対し我々がすべきは、最良でも最速でもはない。最善だ)


恐怖はとうに、呑み込んだ筈だった。


恐れることを拒むのではなく、恐れを受け入れた上で、自分に出来る最善を尽くそうと、そう覚悟して、此処に来た。

しかし、そんなものは一瞬のまやかし。強がりの延長に過ぎなかったのだと、栄枝は痛感してしまった。

今、自分の目の前にいるのは正真正銘、化け物の中の化け物なのだと。心ではなく体が、そう認識してしまったのだ。


理性で嚥下しても、本能が拒絶しては、覚悟など何の意味も成さない。

体は爪先まで凍えるように冷え切り、意識はほの暗く、遠ざかっていく。まるで、来たる死に備えるかのように。


此処でついに攻撃の手を止めてしまった栄枝を見ながら、体を再生したカイツールは、にたりと嗤った。


生物が己の死を悟った時に見せる絶望の顔。それが、堪え難い痛みや恥辱によって一層歪んでいくのを思い浮かべるだけで、口角が吊り上るのだ。

カイツールは徒に、硬直する栄枝に見せつけるように枝を踏み砕きながら、ゆっくりと前へ、前へと踏み出し――その巨影が彼女の体を塗り潰す所で、腕を振り上げた。


その命を摘み取るのは、容易い。だが、すぐに終わらせてしまってはつまらない。

せっかく、こんな所までわざわざやって来たのだ。しかも相手は、容姿も能力も優れた麗しの”聖女”と来ている。
楽しまなければ損だろうと、カイツールは勿体ぶるように、栄枝の片腕に狙いを定めた。


「笑えよ、サカエダ。嫌でも笑っちまうくらい、ぶっ壊してやるからよぉおおおお!!!」


まずは片腕をもぎ、バランスを欠いた体を掴み上げる。

骨が軋む力加減で細っこい胴体を握りながら、次は脚だ。
逃げる為に必要なものを失えば、どんな獲物も絶望するが、其処が失意の最大値にさせてやらないよう、脚は関節を外すか、へし折る程度に留めておく。

両脚を千切ってしまうと血がたくさん出て、すぐ死んでしまうのもある。長く楽しむ為には、大きな痛みを与える程度にしておくのが良い。

痛い痛い、誰か助けてと喚き出したら、其処から時間をかけて、たっぷりと嬲り尽くす。
爪先から徐々に齧っていくか。腹の中を舌で掻き回しながら血を啜るか。犯しながら背中の肉を歯で削り喰っていくか。


嗚呼、この女を如何にして壊し尽くしてくれよう。


悍ましい恍惚、陵虐の愉悦に顔を歪めながら、栄枝目掛け腕を振り下ろしたカイツールであったが。その爪の先さえ栄枝に掠ることはなく、彼の腕は忽然と消えた。


「――あ?」

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