FREAK OUT | ナノ


RAISEの訓練兵達の多くが、配属希望に第五支部を上げるのも頷ける。栄枝美郷は評判通り、本当に、非の打ちどころのない素晴らしい人物だ。

若くして第五支部所長に就任したキャリアを持ちながら飾らず。いつも明るく朗らかで、誰にでも分け隔てなく接してくれる人の良さ。加えて、トップでありながら何事も率先して行い、机仕事や雑務は勿論、事務所周辺の掃除まで行う誠実さ。
おまけに見目麗しい美人と来れば、誰もが彼女を慕わずにはいられまい。

まるで天からの遣いのようだ。”聖女”という二つ名を冠するのに、これ以上相応しい人はいないだろう。

吾丹場着任から二週間。純一無雑な栄枝の人となりを近くで見てきて、愛は早い内からそう確信していたのだが、未だに、彼女の求心力には驚かされる。


「おぉ、栄枝さんだ!」

「本当だ!栄枝さん!!」


事務所近くの商店街を通った所で、栄枝に気が付いた人々が、次から次へと声をかけてきた。

仕事に勤しむ店主も、品選びに没頭していた買い物客も、偶々此処を通りがかっただけの通行人も。
誰もが栄枝を見るや顔を明るくして、大きく手を振ったり、声援を送ったり。中には、わざわざ近くに駆け寄って挨拶してくる者までいた。


「巡回ですか?ご苦労様です!」

「ありがとうございます。皆さん、今日は一日お変わりなくお過ごしでしたか?」

「お陰様で、今日も吾丹場は平和ですよ!」

「栄枝さん達が熱心に見てくださってますからね!」


気が付けば、栄枝の周囲には人だかりが出来ていて。老いも若きも、男も女も、一目見よう、一声掛けようと彼女を囲んでいる。

宛ら、ちょっとした芸能人が来たような、この賑わいよう。
第五支部が民間支持率ぶっちぎりの第一位というデータを知っていても、流石に、この人気っぷりには驚かされる。

わいのわいのと栄枝を取り囲む歓迎の人垣を見遣りながら、愛は思わず顔を強張らせたが、鬼怒川達は慣れきっているのか「はいそこ押すな押すな」と冷静に対処している。
いよいよ人気タレントとマネージャーのようになってきたなと愛が唖然としていると、ややあって、一人の老婆が栄枝に声を掛けてきた。


「栄枝さん、栄枝さん」

「三島のおばあさん。こんにちは。今日はお暑いですね」

「本当にねぇ。ああ、それよりもね、これ。あんたに貰ってほしいのよ。ホラ、こないだ荷物を持ってくれたでしょう?そのお礼がしたくてね、あんたが此処を通るのを待ってたのよ」

「わぁ、夏蜜柑!いいんですか、こんなに」

「いいのいいの。事務所の皆さんと一緒に食べてちょうだい」


何処かで見覚えのあるようなと思えば、彼女は先日、巡回中に栄枝が助けた老婆だった。
老体にはさぞ堪えるであろう重たげな荷物を持っていた老婆を見兼ね、栄枝が目的地まで手伝おうと助け船を出し、巡回ルートが大きく変わったことが記憶に新しい。

それでも、思い出すのに幾らか時間を要したのは、栄枝の人助けが決して珍しいことではないのが理由だろう。


栄枝は、困っている人を見たら助けずにはいられない性分だ。

泣いている子供がいれば声をかけ、迷い犬を見付けたら飼い主探しに向い、喧嘩をしている現場に出くわせば仲介に。募金活動をしている学生がいれば、一緒になって声掛けをし。果ては、ティッシュ配りがいれば、持てるだけのティッシュをもらっていく始末だ。

あまりに人が良すぎやしないかと時たま所員に呆れられることもあるが、それでも見て見ぬフリが出来ない栄枝は、いつしか市民の味方として持て囃されるようになっていた。


「栄枝さん!うちのも持ってってくれよ!うちのチビ助が、こないだ世話になったお礼だ!」

「じゃあうちからも!日頃の感謝ってことで貰っててくれよ!」

「これ、あんた達!そんなに押し付けたら、栄枝さんが困るじゃないかい!」

「いいんですよ、おばあさん。皆さん、ありがとうございます!有り難くいただきまーす!」

「……本当に、すごい人気ですね、栄枝所長」

「そりゃねぇ。何せあの人、吾丹場の”聖女”サマだからね」


そんな彼女を誇るように、蜂球磨はヘヘンと鼻を鳴らし、鬼怒川は深々と頷きながら、櫓倉姉妹の手を借りつつ大量の贈呈品を受け取る栄枝を見遣った。

老若男女問わず、誰からも愛される”聖女”。彼女が慕われる様を、まるで我が事のように――いや、きっとそれ以上なのだろうが――喜ばしく思っているであろうその眼差しは、この世界で何よりも清く、尊く、美しいものを見るかのようで。
特に鬼怒川の眼は、息を呑むほど眩い夕陽や、澄み切った青空を前にしているかのようで、愛は思わず押し黙ってしまった。


「能力者ってのは普通、民間人からは恐れられ、距離を置かれる存在だ。だが、あの人は『守るべき市民に寄り添わずして、どうして彼等に手を差し伸べることが出来ようか』と、所長に就任する前から、市民の心に寄り添う活動を続けてきた。誰よりも吾丹場の平和と人々の安寧を願い、常に最善を尽くすことを考え、第一線で戦ってきた彼女の熱意と誠意が、市民から恐れを取り除いた。あの人が”聖女”と呼ばれるのは、それが所以だ」

「…………」


普段の鬼怒川は、どちらかと言えば寡黙な方である。必要最低限以上のことは喋らず、黙々と仕事をこなしていくタイプで、自ら何かを語ることは少ない。

そんな彼でも、栄枝の話題の時だけはこうも饒舌なのだなと愛が驚いていると、蜂球磨がニタァっと口を吊り上げながら、敢えて鬼怒川に聞こえる声量で耳打ちしてきた。


「副所長、美郷さんのことになるとすげーお喋りだなって思ったっしょ?」

「そ、そんなこと!」

「アハハ!!いいのいいの、事実だから!つーか、美郷さんのこと話して長くならない奴っていないからさ」


露骨に心情が顔に出た愛のことも、彼女の肩を軽く叩いて笑う蜂球磨のことも咎めずにいるのは、それを自覚しているからだろう。
これに関して、言い訳をする所以は無いと言わんばかりに、鬼怒川は堂々と腕を組み、何故か昂然と胸を張っている。

いつも蜂球磨に茶化されるなり冷やかされたりすれば、拳骨なり怒声なり飛ばす彼が。この一点については認めざるを得ないと開き直っているのか。
それとも、蜂球磨の言うように、誰もが栄枝のことになれば小五月蝿くなるのだから、気にすることではないと思っているのか。はたまた、その両方か――。

その理由を私事のように理解している蜂球磨は、胸の奥に大切にしまい込んだ宝物を取り出して眺めるような顔をして、向こうで子供と握手を交わす栄枝を見つめた。


「あの人は、ほんとにすげぇ人なんだよ。市民にとっても、俺達にとっても。……俺はさ、この世界に神様なんていねぇと思ってるんだけど、それでも美郷さんのことは正真正銘、本当の”聖女”だと思ってるんだ」


神様なんている訳がないと失望しきった世界に現れた、唯一の奇跡。
全てを諦めかけた手を取り、先の見えない闇の中を導いてくれた彼女は、自分にとって”聖女”に他ならず。故に、彼女が天からの御使いだと言われても、神の恩寵や啓示を受けている言われても、ああやっぱりと頷けてしまう。

信心など、遠い昔に溝へ吐き捨てた。それでも、自分は今後何があろうと、栄枝のことを疑うことは無いだろうと、蜂球磨は、かつて彼女が握ってくれた手を確めるように握り締めた。


「お前の言葉に乗っかるのは甚だ不本意だが、同感だ」

「いでっ。え、ちょ、キヌさん、なんで肘打ち」


そんな彼を肘で軽く小突きつつ、鬼怒川は、此方に向かって「もう少しだけ待っててくださいね」と言うように、やや困ったような笑顔を見せながら手を振ってきた栄枝に、黙って手を振り返した。


次から次へと栄枝のもとへ集まっていく人々の想いが分かるが故に、急かすことが出来ずにいるのか。わざわざ自分のところまで赴いてくれる市民の気持ちを無下に出来ない栄枝を気付かっているのか。多分、その両方なのだろう。

鬼怒川は、その威圧的なまでの強面に似つかわしくないほど穏やかな表情を浮かべながら、蜂球磨と同じように拳を握った。


「この腐りきった世界に生まれ落ちていながら、何物にも穢されることなく清廉潔白で在り続けられる所長は、救世の”聖女”だ。あの人が救いの手を伸ばしてくれたからこそ……俺は今こうして、陽の光を浴びていられる」


小さく嫋やかでありながら、どんなものでも掴み取って掬い上げてしまえそうな強さと温かさを持った彼女の手が伸ばされた日のことを、自分は生涯、忘れることはないだろう。

あの日あの時、彼女が手を差し出してくれた瞬間が、全ての始まり。

何もかもが憎らしくて仕方なかった世界は終わりを告げ、不浄の道を爬行する自分は一度息絶え、其処で生まれ変わったと言っても過言ではないのだ。

忘れる訳がない。忘れられる訳がない。


鬼怒川は、きっと彼女以外の何者にも掴めることはなかったであろう己の手を握りながら、栄枝が解放されるまでの暇潰しにでもと、自身の過去を語り始めた。


「お前には話したか?真峰。俺が、所長に手を差し出してもらった日のことを」


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