FREAK OUT | ナノ
後方から、五人。それぞれ一定の距離を保ちながら、自分を見張っている。
攻撃する気は、今のところはないのだろうが、ただ観察に徹しているという訳でもないだろう。
向こうが何もせず、後をつけてきているだけなのは、自分が大人しくしているからだ。
今此処で、戯れに尾の一つでも見せれば、相手は面白いくらい狼狽えながらも、即座に攻撃体勢に移ることだろう。
それはそれで面白いかもしれないが、あからさま過ぎない程度に匂わさせられている気配からするに、此処で徒にふざけてみせるのは、良くない。
姿が視認出来ず、匂いを運ぶ風も何処か不確かで、確かな数は分からない。
だが、後ろからつけている連中と同じくらいの数が、自分を誘導するかのように動いているのは感ぜられる。
距離は、尾行している五人よりも幾らか遠いおまけに、各方角に散り散りになっている。此処で妙に動けば、彼等を取り逃がしてしまうかもしれない。
ならば、御望み通りの方へ歩いてやろうではないかと、足を進めていく。
ちょうど都合の良いことに、自分も此処に来る手筈だったのだから――と、長いこと人の気が失せている路地を進んだ時だった。
「……絶空(アスフィケーション)」
突如、鼻を衝いた匂いに振り向いた刹那。吹き付ける凄まじい突風が、体を後方に飛ばした。
風はまるで、剃刀で出来ているかのように鋭く、反射的に構えた腕の肉がこそぎ落とされ、煽られた体もあちこち切り裂かれていく。
これは――と考える間もなく、アスファルトに不時着せんとした体が、何かに触れたと思った直後に、爆炎に包まれた。
「泡と散る(バブルオーバー)」
パチン、と小さな破裂音が鼓膜を震わせた。そこから間髪入れずに、また体が爆撃を食らい、よろめいた先で更にまた、パチンと何かが割れては、身が爆ぜていく。
爆発は爆発を呼び、息つく間もない怒濤の攻撃に焼かれていく最中。視界に僅かに映ったのは、泡だった。
それは赤銅色をしたシャボン玉のようなもので、ほんの少し、指先でも触れれば即座に割れて、同時に爆発していく。
どうやら、何かしらと接触することが、起爆スイッチになっているらしい。
ならば、と無理に踏ん張って足を止め、泡に触れぬよう身を翻そうとしてみるが、回避行動は許されなかった。
「棘の鎧(エキノデルマータ)!!」
地面から生えてきた無数の針に脚が刺し貫かれ、動きが封じられた。
そこに追い討ちをかけるように、泡の爆撃と、背後から再び鎌鼬と、容赦のない攻撃が絶え間なく浴びせられていく。
しかも、ただ闇雲に撃ってきている訳ではない。
互いの打ち消し合うことなく、寧ろ攻撃の隙を埋め、味方の力を助長するかのように、連携を取っている。
成る程、頭を使った戦い方だ。感心する。だが、いつまでも食らってやるのも癪だ。
数も揃ったみたいだしと、猛攻の嵐の中を立ち上がり――人の姿をした化け物は、反らした喉から咆哮を上げた。
「オォオオオオオオオオ!!!」
雄叫びのような声が、廃墟と化したビルと、一瞬で血の気の失せた肌を震わせる。
それを囲んでいた一同は、一気に持ち場から後方へ距離を取り、台風の目の中に立つそれを凝視した。
「ったく、人の姿だってのに容赦ねぇなぁ、お前ら。ちったぁ躊躇とかしろよなァ」
辺りに立ち込める砂煙を、夥しい歩肢の生えた尾が振り払う。
遮るものが失せ、露になったその姿に、誰もが固唾を飲む中。それは口角を上げ、びっしりと生えた獣の牙を見せて嗤った。
「……こいつが、十怪のケムダー…………」
獅子の頭、鱗の生えた腕、百足の尾。翼は今は見えないが、間違いないだろう。
目の前に立つ化け物は、十怪が一角。此度の侵入者、貪欲のケムダーだ。
「なんだ、やっぱり知ってて追っ駆けてきてたのか。お前ら、随分自信家なんだな。流石はエリート組ってところか?」
ケムダーは、鬣をわしわしと掻きながら、飄々と軽口を叩いてきた。
四方八方は在津を筆頭に、十二人の能力者達が囲んでおり、今この瞬間にでも攻撃を再開する体勢でいる。
誰もが全神経を彼の一挙一動に注ぎ、視線と殺気の筵にしている。
だというのに、ケムダーは余裕綽々と言った様子で、辺りを見渡していた。
「思っていたより数が多いな。風の流れが妙なもんで上手く嗅ぎ取れねぇと思っていたが……どうやら、お前に一杯食らわせたみてぇだな」
言いながら、ケムダーは首をねじり、背後に構える在津を見て、赤紫色の眼を細めた。
彼の言う通り、在津は自らの能力を用いて、気流を起こし、自分達の匂いを滅茶苦茶に流した。
正確な人数を悟らせないことで、不意打ちを狙ったのだ。
今現在、ケムダーの前に立っているのは、合流し攻撃に加わった第三班を含め、十二人中十人。
残り二人は、ケムダーに決して嗅ぎ取られないようにと匂いを掻き消し、各自指定の位置に着かせた。
片方は狙撃、片方は後方支援の能力者だ。何れも、敵に位置を把握されないことで真価を発揮するが故に、在津は二人を周到に隠し、セットしておいた。
手厚くサポートしてやるだけあり、二人共非常に優秀な能力者である。
彼等の援護があれば、ジーニアス到着までの間、ケムダー相手にダメージを与え、時間を稼ぐのはそう難しいことではない筈だと、在津は考えていた。
在津は、FREAK OUTで二十年以上、前線で戦い続けてきた能力者である。
今日まで乗り越えてきた、数多の苛酷な戦場で得た知識や経験から、彼は最善を取ることに誰よりも長けていた。
完全勝利とまでいかなくても良い。多少の犠牲が出ることになろうとも、構わない。
それでも、リスクや代償を最小限に止め、戦いの規模を限界まで小さくし、結果的に此方の勝利と言える結果が出せるようにと、在津は常に誰よりも努めてきていた。
誰よりも冷静に現状を把握し、相手と自陣の力量差を計算し、最善を尽くす行動が選ぶことが出来る。
それこそが在津の強みであり、彼自身、己の最も優れたる点は其処であると自負していた。故に、この時も在津は、十怪のケムダーを相手にしても泰然自若と、知恵を巡らせ、最善への算段を整えていた。
これまで、ケムダーは数度、FREAK OUTと交戦してきた経歴がある。
その時のデータと、自分を含めた迎撃部隊の戦力を重ね合わせてみるに、不足はないと在津は考えていた。
今回集めた所員達は、第二支部の中でも特に腕の立つ実力者揃いである。
此処に来るまでに、ケムダーの力の程や、行動パターンなどは十分に叩き込んであるし、元より、カイツールの件で特別訓練も施していたのだ。対策も申し分ないと思われる。
とはいえ、相手は未だ未知数の化け物だ。油断や慢心は、即、死に繋がる。
だからこそ、在津はあくまで自分達はジーニアス到着までの時間稼ぎとして、ケムダーに挑むことを決定したのだ。
踏み込み過ぎなければ、致命傷を受けることはそうないだろう。
最低限かつ最大限の人数で囲み、じりじりと甚振るようにしながら弱らせられるだけ弱らせて、止めをジーニアスに任せる。それが在津の考える、今回の最善であった。
それを知ってか知らずか。ケムダーは依然、悠々と笑みながら、くるりと踵を返して在津と対峙した。
「まぁ、数は多い方がいいから、俺としちゃ寧ろ好都合なんだが……」
「……好都合、だと」
意味深な言葉が、背筋を焼くように凍らせた。
正体不明の恐怖が、足元から這い上がってきているのに、体が麻痺して、何処まで来ているのか分からない――そんな状況の中。
ケムダーは舌なめずりをしながら、これ以上となく狡猾な笑みを浮かべた。
「網にかかった獲物は、多いに越したことねぇだろ?」
その一言が、在津の綿密に組まれた策謀を、砂の城が如く崩落させると共に、何から頭上から降ってきて、コンクリートに叩きつけられた。
ぐしゃ、と音を立て潰れたそれに目を向けることも出来ぬまま、一同は硬直し、瞠目した。
大きな影が射すのが、嫌にスローモーションで見えた。
それはみるみる内に大きくなって、やがて、先に落ちた何かを踏み潰し――息さえも出来ない緊迫感の中。妙に間延びした声が、路地に響いた。
「おい、ケムダー。随分遠くに隠れてやがったが、こいつらもかぁ?」
声の主はそう言いながら、何かをケムダーに見せるようにして、片手を持ち上げた。
所々膨れ上がった、醜い肉の腕。それが掴んでいるものと、足元で潰されているものの正体に気付いてしまった在津達は、爪先から脳天まで一気に迸るような恐怖心に中てられて、悲鳴を上げることさえ出来ずにいた。
「美味そうな匂いしねぇだろ?なら、そいつらも能力者に決まってんだろうが」
「ん……あぁ、ホントだ。こいつ、てんでうまそうじゃねぇや」
片やゴミのように放られ、ビルの壁にぶち当たって潰れ、片や徒に足で蹴り転がされていたのは、後衛についていた筈の所員二人であった。
決して居場所を悟られることのないようにと、周到に隠され、持ち場に着いていた筈の二人。
それが今や、見るも無惨な姿になっていて――いや、そんなことは、この際、どうだってよかった。
二人の屍に気付いたことで、何が起きているのか。それを察してしまった在津達は、最早それどころではなかったのだ。
「それより、頭は潰すんじゃねぇって言ったろ、カイツール。キムラヌートに叱られるぞ」
隠れていた筈の二人を肉片に変え、現れた巨躯の化け物――十怪のカイツールが、今此処に現れ出たこと以上の衝戟など、ある筈もないのだから。
「バ……バカな……」
「じゅ、じゅ……十、怪、が…………」
「二体……も」
揃って顔を蒼白させる第二支部の面々を、ケムダーは滑稽を通り越して可哀想だと憐み、笑覧した。
ほんの少し前まで、彼等は自分に勝つつもりでいた。
無論、百パーセント完全にして完璧な勝利をもぎ取れるなどとは考えていなかっただろう。
この中の数人が斃れ、民間にまで被害が及び、それでも自分を仕留めきれないかもしれない――そういう事態が起こり得ることを念頭に置きながらも、それでも、最終的には勝ちと言えるような結果を掴めると、在津達は考えていた。だからこそ、彼等は自分に挑んできたのだ。
勝てる見込みも無しに、向こうから襲撃してくるような連中ではない。
”教授”と呼ばれた能力者と、彼に鍛え上げられたエリート達が、そんな愚行を犯す訳がないのだ。
事実、あのまま彼等が計算通りに事を運ばせていたのなら、ケムダーとて危うかった。
確実に負ける、とまでは行かないとは思うが。それでも、この面々を相手にしている内に、増援でも呼ばれたら、流石に参っていた。
だが、自分が今日此処に出てきた時点で、彼等に勝ちなど微塵も無かったのだ。
策を企て、罠を張り、勝利を確立させていたのは、此方だった。
そうとも知らず、果敢にも挑んできてくれた一同の、戦意が失意に変わり果てた顔を眺めながら、ケムダーはご愁傷様、と嗤う。
その横で、何も分かっていないらしいカイツールは、軒並み蒼白い顔を見回しながら、ぶへぇと醜い溜め息を吐いた。
「あーあぁ、じゃあこいつらも全員まずいんだろうなぁ。能力者だもんなぁ」
「だぁーから、とっとと片付けちまおうぜ。シゴトが終われば、楽しい自由時間だ」
「そうだな。ぐっへへ……自由時間なら、うまい人間食いにいけるな」
言いながら、カイツールが一歩踏み出すと、何処からか「ヒィッ」と情けない悲鳴が聞こえた。
――嗚呼、駄目だ。そういう、恐怖や絶望で染まり切った声は、ただ獣の嗜虐心を煽り立てるだけだ。
ケムダーは、心臓の鼓動と共に湧き上り、全身を駆り立てて来る衝動に突き動かされるようにして、たじろぐ哀れな獲物達へとにじり寄った。
「っつー訳だ。お前ら」
頭の奥で、ざわめきめいた声が、聴こえた。
風にそよぐ木々の葉がこすれ合うような、微睡の中で聞く母の子守り歌のような。
そんな優しげで、甘やかな響きをしていながら、途轍もなくドス黒く、濁り切った魔性の声が、囁く。
こいつらを、とびきり残酷に殺せ――と。
「全員、今すぐに、死んでくれ」
けだものの笑みが、虐殺の始まりを告げた。