FREAK OUT | ナノ
明くる日。空は当たり前のように青く澄んでいた。
重い灰色の感情が圧し掛かった自分を置いて、世界は忌々しいくらいの快晴。
その眩しさに眼を細めながら、愛は屋上に座り込んでいた。
本部から慈島の部屋に戻ってから、朝までずっと、自室に籠っていた。
慈島と言葉を交わすのが心苦しくて、彼と、現実から逃げるように、布団の中で身を丸めていた。
そのまま朝になって、慈島が申し訳なさそうに「学校には、休むって連絡入れておいたから」と、ドア越しに報告してきたのを黙って聞いて。彼が、仕事の為に家を出て、暫くした後。
愛は、どうにも落ち着けなくなって、屋上に足を運んでいた。
「…………」
此処で、能力トレーニングをしていた頃は、きっと自分は強くなれるのだと信じていた。
心身共に、”英雄”であった父のように強くなって、惨劇を食い止め、慈島の助けになれると、そう思っていた。
だが、念願の能力再発現に至ったところで、愛は再び、痛感させられた。
自分の弱さと、愚かさ。
あの日、もう二度と直面したくないと願ったものは、覚醒し、力のコントロールを得た今も、拭えていなかった。
「……どうして、こうなるのかなぁ」
力を得れば、何もかもが変わる筈だった。それなのに、自分は何一つとして、進化も進歩もしていない。
それが悔しくて、悲しくて、腹立たしくて。愛は膝を抱え、背を丸めた。
こうするのも、また、あの時を繰り返しているようで。
嗚呼、だから自分は部屋から出てきたのかと、愛が一層自己嫌悪に陥った、その時だった。
「ん、誰かいんのか?」
背後から、ガチャンと音がしたかと思えば、間もなくドアが開かれて、誰かに声を掛けられた。
誰か、なんて疑問は、振り向く前にはもう、答えが頭に浮かんでいた。
耳に残る、力強い錆声。聞き覚えのある声の主は、此方と眼が合うと同時に、片手を軽く挙げて会釈してきた。
「……徳倉、さん」
「よう、お嬢。意外だな、こんなとこにいるたぁ思わなかったぜ」
徳倉は、挙げた手をそのまま後頭部に回し、ぼりぼりと短く刈った襟足を掻いた。
それは、気まずさから取った動作のようであったが、徳倉はそうしながらも、敢えて引き返すことはせず。
依然蹲ったままの愛の傍まで来たかと思えば、苦笑いを浮かべながら、何故に自分がこんなとこにやってきたのかを、弁明してきた。
「慈島がピリピリしてっから、煙草吸いがてら逃げて来たんだが……邪魔しちまったみてぇだな」
「い、いえ…………気に、しないでください」
それは、恐らく、というか、間違いなく自分のせいだから。
そう言えば、更に徳倉を困らせるのではと瞬時に悟って、愛は口を噤んだ。
愛が、覚醒したことを黙っていて、その結果招いた騒ぎに、慈島は精神を窶しているという。
徳倉は、その飛び火を食らって、此処まで逃げてきたというのだ。
ならば、彼に此処を譲って、自分は早々に退却すべきだと、愛は腰を上げようとしたのだが。
「聞いたぜ。覚醒、したんだってな。いや、してたっつーべき、か?まぁ、何にせよ、大変なことになったな」
腰を浮かしかけたところで、徳倉が話し掛けてきたので、愛は席を発つタイミングを見失った。
煙草を吸いがてら来た、と言っていたのに、隣に愛がいるので遠慮しているのか。
徳倉はスーツのポケットから取り出した煙草に火を点けぬまま、愛の隣に腰掛けて、そのまま話を続けた。
「これからのこと、慈島に聞いたか?」
「……えぇ」
「そうか。ついこないだ来たばっかだってのに、忙しねぇな、お嬢」
労うように言われて、愛は思わず、俯いた。
何もかも、自分が招いたこと。自己責任の果ての末路だ。同情も配慮も、勿体ない。
気遣いなどしないでくれと、そう嘆願するように、愛は火の点いていない煙草を咥えている徳倉を見た。
そこでようやく、徳倉は「失敬」と言って、ライターを取り出した。
言わずとも自分の意図が通じたことで、愛の気分は幾らか軽くなってくれた。
同時に、これまで抑え込んできたものが、心の解れから溢れてきて。愛は、こんなことを徳倉に尋ねていいものかと思いながら、また、確認するように彼を見遣った。
そうするだけで、凡そのことを汲み取ってくれるらしい。徳倉は「どうした?」と、此方に視線を合わせてきてくれた。
それで観念した、というより、安堵したという方が大きかった。
話を聞いてもらえることが、話をしてもいいということが、今は何よりも救いで。愛は浅く呼吸をした後、心の内側に溜まった不安を、少しずつ解くように、口にした。
「……養成機関で訓練を受けて、それから配属が決まる。そう、慈島さんは言っていました。……私は、此処には配属されないだろう、ということも」
「そう、かぁ」
徳倉は、紫煙を燻らせながら、深く頷いた。
愛が覚醒したと聞いた時から、彼も、慈島と同じことを考えていた。
”英雄”・真峰徹雄の娘、帝京の希望に成り得る新星。そんな彼女が覚醒したとなれば、上層部は侵略区域奪還の切り札として、愛を丁重に扱うことだろう。
こんな場所で腐らせることだけは、回避するに違いない。
当の愛は、全くそんなことを考えていなかったようだが、無理もないと徳倉は思っていた。
ついこの間まで、ただの普通の女の子だった。
幾ら父親が”英雄”であっても、愛自身は戦いとは無縁の暮らしを送ってきた、一般人。
学校に行って、友達を遊んで、当たり前の日常を過ごして然るべき、普通の女の子だったのだ。
そんな愛に、化け物を殺して、奪われた国土を取り戻せなんて期待を寄せる方が、どうかしている。
徳倉は、煙を吐き出しながら微かに眉を潜めたが、愛は自分の想いを喋るのに精一杯で、気付いていない。
またぎゅうっと膝を抱えて、愛は押し潰されそうな体を縮こまらせていく。
「私……何処に配属されるんでしょう」
「さあなぁ。それはお嬢の今後と、上層部の考え次第だが……」
ジジジ、と一気にフィルターを燃やし、肺を紫煙で浸す。
その間に、頭の中で言葉をまとめて、粗方整理がついたところで、徳倉は長く息を吐いて、推察を語った。
「お嬢はあの”英雄”の娘。しかも、聞いた限り、相当すげぇ能力に目覚めている。”英雄二世”になれる素質は十分だ。
いい指導者のもとで、実戦経験を積ませてぇと、お偉いは考えるだろう。となれば……対フリークスの戦闘が多い、FREAK OUT支部の配属が妥当。
崩壊したばっかの第二支部や、トップが荒っぽい第三支部に行かされるとは思えねぇから……第一支部・潔水事務所か、第五支部・栄枝事務所だろうな」
「第一支部か、第五支部……」
愛は、かつて資料として見せてもらった各支部の所在地を思い浮かべて、項垂れた。
第一支部・潔水事務所は、伊稲市。第五支部・栄枝事務所は、吾丹場市。
どちらも、此処から電車を幾つも乗り継がなければ行けない距離にあり、かつて嵐垣達が出張に行かされていた上野雀よりも遠い。
もし徳倉の予想通り、このどちらかに配属になってしまったら、養成機関を出た後も、慈島と暮らすことは叶わない。
離ればなれになることは回避出来ないのだと、愛は顔を更に薄暗くする。
分かり易い反応だ、と、徳倉は小さく肩を竦め、そう深刻にならずともよいと、励ますように捕捉した。
「まぁでも、FREAK OUTは異動も多いからよ。本部勤務になることもあるかもしれねぇし、ドリフトとかに配属されたなら、引っ越す必要なくなるぜ」
「……ドリフト?」
「災害地、戦災地、支部のない市街に、海外まで。あっちゃこっちゃに赴いて、人命救助、汚染物質の撤去、復興作業、海の向こうの内紛鎮圧なんかをするのが仕事の派遣部隊だ」