霊食主義者の調理人 | ナノ


悪魔とは、悪という概念から生まれた超越的存在である。書いて字の如く、悪から発生する魔。故に、彼奴等は悪魔と呼ばれている。

では、悪魔を生み出す悪とは何か。それは、人の持つ負の思念。怒り、妬み、恨み、憎しみ、欲望、敵意、嫌悪――そうした、いわゆる邪念とされるものの中から、悪魔は生まれ出ずる。

その殆どは、生まれたてはまさに小悪魔と呼ぶに相応しい矮小な存在で、イタズラ程度の害しか成せず。成長しても、聖典やグリモワールに描かれるような、サタンだのルシファーだの、ああした超大物級の悪魔にはなりえない。
だが、彼奴等もまた悪魔の名を冠するだけあって非常に狡猾で悪辣で。その上、魔術まで用いてくると来ている。低級の悪魔でも、人を死に到らしめる術を使えるおまけに、自ら魔術で《霊装》の強化までしてくる。

多彩でありながら、器用貧乏にならないのは、悪魔という種の地力あってのこと。これに加え、人の心に精通しているが故の邪悪さまで持ち合わせていると言えば、如何に悪魔というのが厄介な相手か、素人でも理解出来よう――。


そう講義で説かれたことを思い出しつつ、伊調は、これが走馬灯にならなければいいんだがなと、頬を伝う汗を腕で拭った。


「クソ人間が……よくもこのオレを……ッ!!」


黄ばんだ歯を剥き、怒りの形相を露にするそれは、先刻使ってきた術や、成人男性程の体躯から察するに、悪魔としては中級レベルであろう。
中級と言えば、そうたいしたことは無いように思えるが、相手は悪魔。種としての格が違うのだ。それは目の前の悪魔が、先に此処に派遣された第三級退魔師を返り討ちにしていること、これまでにも数人の退魔師を迎撃していることからも明白。恐らく、伊調が悪霊調理師となってから今日まで対峙してきたモノの中で、コレが最も手強い敵になるであろう。

血走った眼で此方を睨み付ける悪魔の重圧に、何故か笑いが浮かんでくるのは、極度の緊張でどうにかなってしまっているからなのか。まさか、自棄になっている訳ではあるまい。でなければ、こうも体に流れる血潮の熱さに浮かされたりしないだろう。伊調は吊り上る口角をそのままに、悪魔に向かって強く踏み込んだ。


「ッカァア!!」


短い咆哮を上げながら、悪魔が腕を振り翳す。変貌した川村流介の腕よりも、悪魔のそれは大きく、伸びた黒い爪も長く、鋭利だ。パワーもスピードも、先程の戦闘を基準にしていては痛い目を見るに違いない。伊調は踏み込みと同時に、自身の体に身体強化術を発動させた。


――等活の風。一時的に身体能力を飛躍的に向上させ、人間離れした筋力や速度を得る退魔術だ。


発動中は肉体的疲労も殆ど無いが、術後には反動で動けなくなるのが難点である。ハイリスクハイリターンの術。故に、伊調はこの術を使うことは極力避けてきたが、先のことを考えるより、今この瞬間だ。
此処で叩きのめされて動けなくなるより、相手に幾らかダメージを与えてから動けなくなる方が、最終的な勝利に繋がる。もし自分がやられても、限界まで削った相手を、羽美子がどうにかしてくれるだろう。ならば、こいつを出来るだけ食い易い状態まで持っていくのが自分の成すべきことだと、伊調は全身に強化術式を張り巡らせた。

術は伊調の心臓部から、押し出される血液と共に全身の隅々まで渡り、細胞一つ一つを活性化させていく。限界まで能力を高められた肉体。それに伴い、五感もこれ以上となく冴え渡り、さながら全身が感覚器のように、相手の動作を感知する。


「まずは、肉を切り開くところからだ」


悪魔が攻撃を仕掛けてくるより先に、対憑依霊用の霊切り包丁を投げて、相手の動きを制する。その一瞬の隙で《討霊具》を持ち替え、伊調は通常の霊切り包丁を両手に、悪魔へと切り掛かった。

大きく振り翳した初撃は、悪魔の片腕を貫いたが、すぐさまカウンターに入られた為、切り落とすまではいかなかった。早速霊切り包丁を一つ欠いたが、投資と思えば安いものだ。

反撃を食わらぬ内にと跳び退いた伊調は、悪魔の追撃を寸然で躱すと、姿勢を低くして踏み込み、再び悪魔へ距離を詰める。そこから脚へ、腕へ、再び背中へと、素早く立ち回りながら霊切り包丁を滑らせ、伊調は悪魔の体を切りつけて回る。


「こ……のッ! ちょこまかと……!!」


悪魔の毛は固く、当たりが浅いと、殆ど肉へダメージを与えられない。だが、渾身の力を込めて、大きな一撃を与えようと踏み込む余裕は中々与えられず。伊調は一進一退、ヒットアンドアウェイで、少しずつ、悪魔の肉を削いでいくしかなかった。


(等活の風を使っても、これが限界とはな)


余程、川村流介の中にいてくれた方がやりやすかったとさえ思わせてくれるのだから、悪魔というものは本当に恐ろしいものだと伊調は自嘲した。

天才だなんだと言われても、中級クラスの相手にさえ苦戦してしまっている始末だ。自分も所詮は人間なのだなと、己の限界を痛感させられる。だが、この戦闘を終えた時。自分が未だ、此処に立っていることが出来たなら。その時こそ、自分は”本物”になれるのではないかという胸のざわめきが、血を滾らせて止まない。

伊調はスーツや皮膚を引っ掻かれながらも、決して臆すことも怯むこともせず、悪魔の肉を着実に削っていく。其処で、まさにここぞというタイミングに援護してくれたのが結崎だった。


「ギッ」


悪魔が伊調に気を取られ、此方から完全に意識を剥離したその瞬間。結崎は素早く印を結び、悪魔の体を捕縛する結界の術式を飛ばした。蒼白く光る六芒星状の結界。それは悪魔の胴体と腕をがっちりと固定し、中級悪魔の力を以てしても、ビクともしなかった。

この結界は、長い時間発動出来るものではないが、結界の維持時間を強度の補強に回している分、非常に強固なものになっている。まさに、大きな一撃を食らわせたい時に持ってこいの捕縛結界。


「流石、結崎さん」


伊調は結界が消失する前に、大振りの霊切り包丁を取り出すと、それを両手で握り締め、渾身の力を込めて悪魔へと振り下ろした。


「ぐッ――ギャアアアアアア!!」


 
背中に一閃。鶏肉を切り開くが如く、真っ直ぐに刃を入れると同時に、捕縛結界は消滅した。だが、結界の作動時間内に次の一手を整えられたのは伊調だけではない。結崎当人もまた、捕縛結界で悪魔を捕える傍ら、もう一つ結界を仕込んでいたのだ。


「さぁ、一気にいきますよ、伊調様」


肉を切られた痛みで、思わず丸くなった悪魔の背中。其処から大きく広がる皮翼が、重力や悪魔の意思に逆らって、ビンと天井に向かって伸びた。いや、正確には、天井から下がる何かに引っ張り上げられた、と言うべきか。

草食動物さながらに広い悪魔の視野には、自身の翼が半透明の糸めいた何かに搦め取られているのが見えたが、時既に遅し。上向きに固定された翼は、痛撃を受けた背中を庇うこと叶わず。背後からの攻撃を防ぐ術を失った悪魔は、今し方受けたばかりの傷に、追撃を許してしまった。


「ギィイアアアアアアアアアアアアアア!!」

「効くだろ? 教会本部で栽培された一等級の唐辛子はよ」


傷口に塩を揉む、という言葉があるが、今回伊調が揉み込んだのは唐辛子だ。

唐辛子は、中国などのアジア諸国を始め、ヨーロッパでも魔除けの道具として用いられてきた。時に”悪魔的”とも比喩されるその辛さと、太陽な炎を彷彿とさせる鮮烈な赤色に、退魔の力があるとされ、唐辛子の魔除けは土産物として普及している程有名である。
退魔師教会では、より辛さと赤さを高め、退魔に特化した品種改良唐辛子を聖水で栽培しており、悪霊退治にも使用されているが、特に悪魔にはこれが良く効くと言われている。

日頃、様々な種類の《討霊具》を携帯していることに、これ程感謝する日もそうあるまい。備えあれば憂いなしとはこのことだと、伊調は苦痛に悶える悪魔の背中を蹴り飛ばした。


「味付け完了。次は加熱だ」

「な……メるなよ人間風情がァあああ!!」


悪魔は、これ以上は許してなるものかと歯を剥きながら、近くに転がる家具の残骸を投げつけた。
しかしそれも、一時的な目くらましにしかならない。伊調は霊切り包丁の柄で軽々と残骸を打ち落とし、残す調理工程――加熱に取り掛からんと、腕を上げた。

あとはもう、指を鳴らすだけで、それを合図に術が発動する。紅蓮の炎が悪魔の体を焼き、熱が《霊装》を剥がし、悪魔の丸焼きを皿に乗せれば、それで終いだ。

だが、あとそれだけというところで、伊調は思い知らされる。目の前にいるものが、これまで対峙してきた悪霊とは一線を画す存在――悪魔であるということを。


「なぁーんてな」
 

next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -