霊食主義者の調理人 | ナノ


鮮やか過ぎる程に赤い舌が見えた次の瞬間。伊調の眼の前に羽美子が現れた。結崎の背後で、確かに守られていた筈の羽美子が。まばたき一つした直後には、悪魔の腕に捕えられていた。

一体、何が起きたというのか。どうしてこんなことになったのか。訪ねるように視線を向けた先には、羽美子を死守せんと構えていた筈の結崎の姿が見えなくて。彼のいた場所には、煌々と輝く魔法陣だけがあって。伊調は呆然と、目を見開くことしか出来ずにいた。

それが面白くて仕方ないというように、悪魔は口が裂けんばかりに口角を吊り上げてみせる。鋭利な爪の先を、羽美子の喉笛に押し当てながら。


「お前、思っただろ? 怒濤の攻撃で、魔術を使わせる隙さえやらなかったぞ。俺の力は、悪魔にも通じるんだなって」

「うっ……」

「お嬢様!!」

「ざぁーーんねんでしたぁ。俺が魔術を使わなかったのは、使えなかったからじゃない。既に使っていたから使えなかったんだよ馬ぁ鹿」


べろん、と出された舌の上に刻み込まれた魔法陣が、此方を嘲笑うように光る。

悪魔の言う通り、伊調も他の二人も、息も吐かせぬような攻撃で、奴に魔術を使わせずにいたと思っていた。反撃や不意打ちのモーションさえ見落とすことなく、相手が肉弾一本に搾れるよう、矢継ぎ早に畳みかけていたと、そう信じていた。だが、悪魔は狡猾に、魔術を行使していた。

悪魔が伊調達に押されていたのは事実だ。あのまままともに戦っていれば、間違いなく皿の上に乗せられることも分かっていた。数人の退魔師と交戦してきた経験から、悪魔は初撃を交えた時分には、伊調とまともに当たった時の結末が見えていたのだ。


だから悪魔は、魔術も使えず不様にやられていく様を演じながら、口の中で魔術を拵えた。伊調達が勝利を確信したそのタイミングで発動し、形成を一瞬の内で覆せるようにと。空間転移魔術を丁寧に丁寧に構築し、ここしかないという機会を射抜くように、悪魔は術を発動させたのだ。

結果、決して崩せぬ盾として君臨していた結崎は何処かへと飛ばされ、防壁を失った羽美子はまんまと捕えられることになった。


――悪魔と対峙する時は、全てを疑え。悪魔というのは、人の心に付け込むことに何より長けた存在なのだから。

かつて退魔術の講師にそう言われたことを思い出しながら、伊調は歯を食い縛る。悪魔が魔術を使わないことを、自分の力を、勝利を信じてしまったが故の、失態。それが取り返しのつかない事態を招いていることに、伊調は未だかつてない憤りと絶望を噛み締める他無かったのだ。


「そしてお前は、今こう思っている。お嬢様が取り押さえられていても、悪霊だけ切る包丁を使えば大丈夫だって、なぁ。だが、またまた残念。こいつを押さえておくのは俺じゃあない」


そこに、更なる失意を注ぎ込むように、悪魔は捕えた羽美子を、ゆらりと立ち上がった男に手渡した。あの時確かに、悪魔から引き剥がし、その身を解放させた筈の男に――川村流介に。


「お、前……!」

「ありがとよ、優しい退魔師さん。お前が、こいつの体を殆ど傷付けなかったお陰で、こうして人質が取れる」


川村流介は、悪魔さながらの笑みを浮かべながら羽美子の髪を掴み、その顔に携帯ナイフを向けた。そのあまりに流暢な言動は、とても悪魔に操られているとは思えないものだった。

先程の調理工程で、悪魔とのリンクは確実に断たれている筈なのに。どうして彼は、悪魔の片棒を担ぐような真似をするのか。これではまるで――と、脳が最悪の答えを弾き出したところで、伊調は思わず、悪魔好みの絶望に満ち満ちた言葉を口から零してしまった。


「……お前、まさか自分で」


にたり。堪え切れないような笑いが、悪魔と川村流介の顔を歪めた。

じっくりと練った脚本が、見事観客の喝采を攫ったような。そんな快哉に酔いしれた面持ちで、川村隆介は答え合わせをする。伊調達にとってこれ以上とない、最悪の答え合わせを。


「そう。俺は、悪魔に憑りつかれたんじゃない。自分から、悪魔を体に宿したんだ」
 


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