霊食主義者の調理人 | ナノ


本来ならば其処で、伊調の命は終わっていた筈だった。真っ向から祟り神に突っ込んでいった彼は、圧倒的な力によって叩き潰され、一瞬で手足を粉砕。臓器損傷。ただの一撃で致命的な重傷を負い、あとは祟り神の八つの頭に群がられ、骨の一本、肉の一欠片も残さず食い尽くされる。そうなる筈だ。そうならなければおかしい。それなのに。


「……なんだ、あの力は」


襲い来る祟り神の攻撃を躱し、高く跳び上がった。それだけならまだ、奇跡と呼べた。だが其処から空中旋回し、巨大化した霊切り包丁で祟り神の首を一つ落とした時。膳手は初めて現状を正しく受け入れた。


「馬鹿な……ッ! 等活の風でも、あれ程の動きは出せない筈……あんな、人を外れた力――」


有り得ないことが、起きている。食材としては駄作だが、使い魔としてはこれ以上となく完成された存在である祟り神が、初撃で圧倒されている。造り出した自分でさえ制御に苦戦しているモノを相手に、中級悪魔にさえ手こずっていた男が、何故。

呆然としている間にも、伊調は元のサイズに戻した霊切り包丁を手に、縦横無尽に祟り神の周囲を飛び交い、分厚い皮下脂肪に守られた胴体を切りつけていく。そのパワーも、スピードも、以前の彼時とは比にならない。悪魔を介して全て見ていたが、あの時の彼は確かに全力であった筈だ。それが何故、今になってこんな力を――。

持てる霊感の全てを研ぎ澄まし、光の矢の如く飛躍する伊調を凝視し、其処で膳手は気が付いた。術式を掛けている訳でもないのに、伊調の動きは人を外れている。そう、まるで別の物になったかのように。


首がまた一つ切り落とされ、祟り神がのたうつ轟音が響く中、一つの相違点が答えであることに辿り着いた膳手は瞠目し、刃の欠けた霊切り包丁を投げ捨てる伊調を見詰めた。


「……お前、まさか」

「……俺達悪霊調理師は、魂を調理するのが専売特許だ」


其処でようやく羽美子も全てを察した。皿の上の悪霊や、あまりに濃厚な祟り神の匂いがあって上手く嗅ぎ取れずにいて、その違和感に気付けずにいたが、彼女は伊調が現れた時には理解していたのだ。

彼の魂の匂いが変わっていることに――自分の本能を煽るような、芳しさを纏っていることに。


「本来この技術は、悪霊にのみ使われるが……生きた人間に使うことだって出来ない訳じゃないって、講義で聞いただろ? 先輩」


それは、人ならざるモノの匂い。真に人を外れたモノに比べればごく僅かだが、確かに香るその匂いは、彼が人でない何かに変貌を遂げた証。


「貴様……! 自分の魂を調理したというのか?!」

「まぁ、な」


あっさりと認めると、伊調はシャツのボタンを上から千切り、自ら手を加えた心臓部を見せた。

彼の胸には真新しい切り傷と、それを塞ぐように奔る赤い紋様が刻まれていて。心臓の鼓動に合せてドクドクと脈打つそれは、伊調の体に人ならざるモノの力を血液と共に巡らせる。何故そんな状態になって生きていられるのかと疑問に思えるその姿は、まさに人外のそれで、膳手は言葉を失った。


「しくじったら死ぬだろうが、どうせ成功しなきゃ死ぬからな。あんたを倒せる可能性が上がるなら、やるしかねぇだろうがよ」

「わ……分かっているのか!? 生きた魂を調理するということは、人として在ること自体が変わるということだ!! お前の体に浮かぶ紋様も……魂が変異した影響だ!! このままではお前は、人でないものに変わり果てるぞ!!」


生者にとって不可欠である体と魂の結び付きは非常に深く、魂の変化は肉体の変化に繋がる。

魂が生霊と化したことで肉体が滅びかけた酒々井沙綾然り、悪魔に憑かれたことで腕が異形化した川村流介然り、肉体は魂に引かれ、変貌する。伊調が人間を超越した力を持ったのも、魂が人のものではなくなった作用。恐らく、そう遠くない内に、伊調の体には更なる変化に見舞われることだろう。

人間を人間たらしめているのは、人間の体と人間の魂だ。どちらか片方でも失われるないし損なわれるようなことがあれば、人間は人間では無くなる。だから、生者の魂の調理は可能であれど、使うべきではないと見做され、その技術が磨かれることは無かった。当然、伊調が己の魂を弄ったのも全くの我流であろう。
しくじればその場で死に絶えていただろうに。そのリスクも、遠からず完全に人では無くなることも承知の上で、伊調は自らの魂を調理した。

一体、何故そこまで――と考えている余裕は、伊調が許してくれなかった。


「敵の心配してる場合かよ、先輩」


落されて尚動く祟り神の首に巨大な串を打つと、伊調は迫り来る残りの頭部を躱し、身を翻した。

彼の魂は、元々人を外れかけた力を持っていた。それこそ、膳手が悪霊にして羽美子に食わせようと目論んでいた程度に。それが人ならざるものへと加工されたことで、彼の身体能力は爆発的に向上し、ただの一蹴りで、祟り神を見下ろす程に高い位置まで跳躍可能だ。其処から更に、踵落としをお見舞いすれば、蹴りを食らった祟り神の頭は陥没し、コンクリートの床へと沈む。


――これは最早、退魔ではない。共食いだ。


目の前の光景に戦慄する膳手の前で、伊調は全身に祟り神の体液を被りながら、滅茶苦茶な動きで調理を続けていく。


「俺は所詮、数十年に一人程度の天才だ。百年に一人の天才であるアンタには、人であることを捨てるくらいしねぇと勝てやしねぇ。なら……人でなくなろうがどうなろうが、やるしかねぇだろうがよ!!」


互いを喰らい合う獣のように、祟り神と鎬を削る伊調。彼とて全ての攻撃を躱し切れる訳ではなく、時たま牙が掠ったり、胴体の手足に引っかかれたり、撓う尾に振り払われたりする。それでも構うことなく、猛然と攻撃の手を緩めない彼の姿に膳手が立ち尽くす中、もう堪えられないと、俯いた羽美子が声を零した。


「どうして…………」


直視出来なかった。戦闘が始まってから、徐々に輪郭が霞んでいく伊調の姿を、人からかけ離れていく彼を見ていられなくて。羽美子は、コンクリートに零れ落ちる涙を見送りながら、悲痛な声を上げる。


「どうして貴方はそこまでするの!! 私なんかの為に……どうして!!」


やめてくれ。自分にそこまでされる価値は無い。例えこの世にただ一人の霊餐使いだとしても、優れた退魔師は他にもいるし、伊調がそうなれる可能性だって十二分にあるのだ。それ程までに優れた霊感と力を持ち合わせているのなら、人のままに高みに上り詰めることだって出来た筈。だのに、その未来を捨て、人であることを放棄してまで、どうして自分なんかを救おうとするのか。母親の魂を喰らって此処にいる自分なんかを、どうして――。

今にも泣き崩れてしまいそうな体に、罪と罰を浴びながら、羽美子は深く項垂れる。そんな彼女の顔を上げさせたのは、酷くよく響くのに、嫌に穏やかな伊調の声だった。


「同じことを二度も言わせないでくださいよ、羽美子様」


呆れたような。それでいて照れ臭そうな、この場にまるでそぐわぬ伊調の声が、涙で滲む視界を鮮烈にする。

見上げた先にある、祟り神に霊切り包丁の雨を降らせる伊調の背中は、未だ幻のように揺らいでいる。だが、確かに聞こえる声が、鼻を衝く匂いが、彼が――伊調理人が此処にいることを物語る。例えこの身が、魂が人でなくなろうと、伊調理人という存在は変わらず在り続けるのだと知らしめてくるように。此方へと振り向いてみせた伊調の笑顔は、羽美子の眼にもはっきりと映った。


「あんたは生きなきゃならない。生きて、こいつらみてぇな奴を食い続けなきゃならない。世の為、人の為……何より、あんた自身の為に」


どうしてなんて尋ねてくれるな。他ならぬ貴方がくれたのだ。

ただ何となくこの世界に踏み込んで、ただ生きる為だけに退魔師をやっていた自分に、貴方は戦う理由をくれた。誇りをくれた。心の底からこの人に仕えたいという想いをくれた。

それは何一つとて間違ってはいない。貴方が齎してくれたものは、自分にとって確かに幸福だった。消耗品の如く冷遇され、人格ごと否定されるような職場で勤めて、何の為に働くのかも、何の為に生きているのかさえ分からずにいた自分にとって、これ以上とない幸せだった。このまま死んでしまっても、貴方さえ救い出せたなら、自分は何も悔やまず、何も恨まず逝ける。だから――。


「だから、あんたが生き延びる可能性が少しでもある内は、俺は諦めない。俺は、神喰羽美子という退魔師を未来に繋げる為に、戦う!!」

「伊調……っ」

「オォ……オオオオオオオオオオ!!」

「さぁ、仕上げに掛かるぜ」


殆どの頭を潰され、いよいよ怒りの臨界点を突破した祟り神の咆哮が響く。それを頃合いと見做し、伊調はツールボックスを蹴り上げ、宙高く飛び上がったそれを見据えながら、両手を組んだ。


「大叫喚鼎・鬼烹煮(だいきょうかんてい・おにほうしゃ)!!」


号令と共に、ツールボックスはパチッと音を立てて開き、中から凄まじい光を放った。その光が描く途轍もなく巨大な魔法陣が祟り神を呑み込んだのも刹那。眩しさに塞いだ眼を開ける頃には、祟り神は光の中から現れた鉄塊に左右から挟まれ、鈍い轟音と共に閉じ込められた。


「あれは…………」


ぴったりとくっつくことでその形を露にした、鉄の塊。それは、超大型の鍋だった。以前伊調が汨羅の鬼に使った女殺油地獄釜よりも遥かに巨大で深い鍋。その中はダムさながらに溜め込まれた聖水で満たされ、もがく祟り神から力を奪い取っていく。まるで出汁を取るように。


「蛇ってのは、蒲焼や唐揚げにされてるらしいが……スープも人気だそうだぜ」


大叫喚鼎は、召喚時に大きさを自在に操ることが可能な《討霊具》だが、あれ程巨大にすることは、膳手にも不可能だろう。あれは巨大化の際、使い手の体力を奪う。あんなにも大きな鍋を出しては、それだけで倒れてしまうだろうに。

これが人を捨てたモノの力なのかと、改めて伊調の覚悟に慄きながらも、膳手はこれ以上好きにさせて堪るかと、腕を翳した。


「や……やめろぉおおお!!!」


まだ、戦闘用の悪霊にはストックがある。呆気に取られ、すっかり忘れていたが、神喰邸に置いてきたモノも呼び戻せば、流石の伊調でも持ち堪えられまい。

その隙に羽美子を連れ出せば――伊調が加熱を始めるその前に勝負を付けようと、膳手が召喚陣を作り出した、その時。


「ワン!!!」

「うぐっ!?」


この瞬間を待っていた、と言わんばかりに飛び出してきた白い影に吹き飛ばされ、膳手は悪霊召喚に失敗した。

召喚に力を注がんと防護術式を弱めていたのも痛打だった。本来ならば足を揺るがされることさえ無かった筈の、ただの体当たりに吹き飛ばされ、壁に打ち付けられたところで、更に膳手を弾丸が襲う。


――対人用麻酔弾。肩と脚を抉ってきた二発の弾に、膳手は意識を失い、その場に倒れ込む。

其処に、とどめと言わんばかりに肉球スタンプを食らわせると、彼はまた高らかに「ワン!」と吠える。それを合図に、メイド二人が窓を蹴破って屋内へ飛び込み、呆然と佇む羽美子へと駆け出し、膳手の気絶を確認した彼も飼い主の元へと走っていく。


「「お嬢様!!」」

「ワン!」

「閑花、静花……それに、ガストロ……貴方達まで……!」


作戦は見事成功した。伊調の捨身の策により膳手は討たれ、あとに残るは、彼の生み出した養殖霊のみ。これを煮立てて皿に盛れば、全てが終わる。

伊調は、再会を喜び主にしがみ付く同僚達を一瞥すると、最後に羽美子に向けてニッと口角を上げて――。


「これで、仕上げだ!!」

「ジシャアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


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