霊食主義者の調理人 | ナノ


発信源は、同病棟内。伊調達がいた階の下で、騒ぎは起きていた。


「こいつは……」

「ワン!!」


其処にいたのは、騒ぎにろりめき、逃げ惑う人。混乱の最中で対応に追われる人。その渦中には、座り込んだままピクリともしない男性と、彼の背中から生えた悪霊がいた。


――いや、正しくは男性の背中に付着しているというべきか。


視える限り、霊と男性の接合部分は浅く、体の内側からあれが出て来た様子ではない。その辺りが憑依霊とは違う。あれは恐らく、悪質な背後霊の類だろう。

背後霊は名前の通り、人間の背後に憑く霊だ。その殆どは無害で、時に対象を事故や不運から遠ざけることから守護霊と呼ばれることも多いが、中には害意を持って人に憑くモノも存在する。目の前で暴れているのは、そういう手合いだ。
しかし、退魔師教会のお膝元で、何故悪霊が――と伊調が考えあぐねていた、その時。


「あ、貴方! 退魔師の方ですか?!」


ぐんと腕を引っ張られ、またガストロかと見開いた眼を向ければ、酷く狼狽した様子の若い男にしがみ付かれた。

男は、伊調よりも年下で、随分と小柄な体に白衣をまとい、胸には「退魔師教会所属治療術師・研修生」と書かれた名札を付けている。如何にも気弱そうな顔付きで、特徴的な大きな眼鏡がずれているのにも構うことなく、あたふたと伊調の腕を引く、この男。言っては悪いが、絵に描いたような非戦闘員系だ。辺りにいるのも彼と同じく治療専門の術師。後は外来の一般人といったところか。


「お願いします! あいつを討伐してください!! 患者さんの面会に来たご家族に憑りついてた奴が、突然暴れ出して……!!」


治療術師も一応、基礎的な退魔術を会得しているとは聞いているが、此処にいるのは研修生達ばかり。悪霊と対峙したこと自体、殆ど無いだろう彼等に、あれの対処は出来まい。

退魔師は基本、治療或いは療養以外で病棟に赴くことはない。教会と病棟は隣接しているので、すぐに誰かが救援に来るだろうが、それまで持ちこたえられそうな状況ではない。現状、頼みの綱は伊調のみ。彼がこの場を請け負わなければ、応援が来るまで病棟内の人間は逃げ惑うしかない。退魔師が此処にいる以上、怪我をしているだろうことは百も承知だ。だが、どうか、何卒、と男は縋り付く。


「って、言われてもだな……」


伊調も、どうにかしてやりたいのは山々だが、これが二つ返事で快諾出来る状況でもないと、返事を渋っていた。

まず問題なのは、手元に《討霊具》が無いことだ。一応、《討霊具》無しにも発動出来る退魔術は幾つか習得しているが、ここで第二の問題が邪魔立てしてくる。


「お前、治療術師なら分かるだろうが……あの背後霊、このまま倒せば憑かれてる人間が無事じゃすまねぇぞ……」


背後霊は、接合部から男性の生命力を取り込み、肥大化している。あれを切除し、討伐すれば、背後霊の消失と共に男性の生命力も消滅するだろう。あれだけ背後霊が成長しているとなると、男性は最悪、一生植物状態に陥る可能性もある。

こういう手合いは本来、男性ごと結界で封印し、長い時間を掛けてゆっくりと背後霊が取り込んだ生命力を男性に還元し、大方戻ったところで霊を切除し、討伐する。もしくは、霊的障害を一切残さない方法――霊餐で、片を付けるしかない。
だが、此処には羽美子は不在。伊調の手元にも《討霊具》は無く、今使える術では、悪霊を討伐することは出来ても、男性を救出することは出来ない。となれば、此処は教会から退魔師が来るまで、場を繋ぐのがベターだろう。伊調は、簡素な肉体強化術を掛け、時間稼ぎと避難の援護をと、拳を構えた、が。


「ワォーーーーン!!」


廊下に谺する遠吠えに研修生の男が「ヒッ」と叫びながら跳ね上がると同時に、伊調の目の前に光の輪が――魔法陣が浮かび上がった。

それは、伊調が大型の《討霊具》を召喚する際に用いる転送魔法と同種。金色の光を放ちながら、空間と空間を繋ぎ合わせ、魔法陣は瞬く間に、伊調のツールボックスを吐き出した。

転送魔法は、使用者が物の位置を正確に把握していなければ使えない。よって、件の屋敷で倒れてから、ツールボックスが何処に置かれているのか知らずにいた伊調には、これを呼び出すことは出来ない。では、一体誰が――その答えは、考えるまでもなかった。


「ガ……ガストロ?」

「ワン!!」


さぁ、これを使えと言わんばかりに、大きく一吠えするガストロに、伊調は思わず苦笑いした。

いつぞや、神喰邸にいるものは誰も彼もが只者ではないと、彼のことも疑っていたことがあったが、まさか、本当にそうだったとは。
世にも珍しい、魔法を使う犬を前に、伊調は口角を上げながら、ツールボックスを爪先で蹴った。


「……ハッ。やっぱりお前も、只者じゃなかったのか」


いつもの合図を受け、ツールボックスの封が開く。同時に飛び出してきた霊切り包丁を二丁手に握って、伊調は思い切り踏み込み、暴れ回る背後霊へと跳躍した。


「ったく、どいつもこいつも……。これじゃ俺が、ますます霞んじまうじゃねぇかよ!」

「ワオーーン!」


逃げそびれた研修生を引っ掴む背後霊の腕を、上から叩き斬る。その痛みに怯み、甲高い悲鳴を上げる背後霊に、伊調は正面から切り込まんと、懐へグンと間合いを詰める。

迫り来る伊調を迎撃せんと、背後霊は白樺のような腕を複数本、槍のように伸ばすが、全て霊切り包丁で上手いこと流されていく。
未だ、体は重く、塞ぎ切っていない傷も痛むというのに、伊調は不思議と良く動けていた。あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、体は本能に順応するように素早く、そしてしなやかに、一切の無駄なく稼動する。

背後霊の攻撃を軽やかに躱すと、伊調はそのまま刃を滑らせるようにして、背後霊と男性の接合部へと霊切り包丁を入れた。


「ギィ、アーーーーーッ!!」


真一文字。一切の迷いもなく、鮮やかに切り裂かれた背後霊は、切り倒された樹木のように倒れていく。だが、その体は床に落ちるよりも早くに蹴り上げられ、空中に放り出された背後霊は、眼にも止まらぬスピードで微塵切りにされた。

霊装ごと切り裂かれ、後はもう消滅するのみとなった背後霊だが、その体は、輪廻の輪へ至るよりも先に、床から突如現れた巨大な瓶の中へと吸い込まれていった。


「あれは……」

「魔封瓶か?!」


魔封瓶は、悪霊を生け捕りにし、封印を施す《討霊具》の一つだ。

本来は見習い退魔師の研修や、研究サンプル用の悪霊を保管しておくものだが、伊調はこれを、羽美子の保存食製作用にと所持していた。


「ギ、ギギィ……」

「調理完了……って言うには、まだ早いか。特製シロップの味が染みるまで、それなりに時間が掛かるからな」


コンと爪先で蹴ると同時に、魔封瓶は市販のジャム瓶程のサイズにまで縮小した。それを拾い上げ、ポケットの中にしまい込むと、伊調は呆然と此方を見遣る研修生達に声を掛けた。


「あんたら」

「はっ、はい!」

「悪い。こいつ、ちょっくら貰っていくから、あんたらの方で報告してくれ。こいつはきっちり処理してもらうからよ。ああ、あとこの人を頼む。未だ霊とのリンクは切れてないから、取られた分の生命力は消えてない……が、戻ってもいない状態だ。体力の回復と保持を」


言いながら、倒れ込んだ男性を一瞥すると、伊調はツールボックスを手に歩き出す。

未だ、事態が収束を迎えたことを呑み込み切れていない研修生達であったが、倒れた男性が小さな呻き声を上げると、呆けている場合ではないと、各自弾かれたように動き出した。その様を見遣りつつ、伊調は自分を待つようにお座りしていたガストロの元へ歩み寄り、彼の頭へと手を伸ばした。


「……心配かけたな、ガストロ」

「ワウン」


感謝と嘉賞の意を込め、わさわさと頭を撫でると、何処までも真っ直ぐな黒い瞳が此方を見つめてきた。
自分の意思を尋ねるようなその眼に映る顔は、未だ頼りないが、時化てはいない。しょげてはいない。

そう、それでいいのだ。所詮自分は、退魔師の世界に入ったばかりの、ひよこも同然なのだ。やる気と根気。それだけあれば十分だ――。


伊調は改めて、自分が歩むべき道へと踏み込む決意を胸に、顔を上げ、遠くを見据えた。


「お陰で決心がついた。……今から一緒に、神喰に戻ろう」


その様子を、柱の影から大徳寺が見ているなど露知らず。伊調は随分と生気を取り戻したような顔で、ガストロに微笑んでみせる。

半ば強がりだが、虚勢を張れるようになっただけ、随分マシになったものだと、伊調は歯を見せ、不遜に笑う。


「どうにも、このままあの人に厨房を乗っ取らせる訳にはいかねぇ気が済んだ。……悪いが、もうちょっと俺に協力してくれるか?」

「ワン!!」


未だ自分は、彼女の専属調理人を外されてはいない。


――ならば、帰ろう。


自分がいるべき場所は、向かうべき場所はあの家だと、伊調は《討霊具》を手に歩み出す。この時既に、神喰邸に彼女はいないと、知りもせずに。
 

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