霊食主義者の調理人 | ナノ


殆ど勢いで病室から出てきたことを悔やみつつ、伊調はふらふらと足を進め、教会病棟の屋上へと出た。

何も本気で、今からハローワークに行こうと思っていた訳ではない。いや、近々行くことにはなるだろうがと、想像して気を暗くしながら、伊調は屋上の手すりに上体を預ける。


「はぁ……何やってかなぁ、俺」


空は依然、伊調の心象風景さながらに曇っている。せめて晴天であったなら、少しは気が明るくなったのだが、そんなことまで嘆いても仕方ない。伊調は深い溜め息を吐きながら、さてどうしたものかと眼を伏せた。


羽美子のことだ。あんな不始末をしでかした自分を、解雇処分するということはないだろう。だが、自分より実力もキャリアもある先任調理人・膳手が戻って来た今、二人も調理人を抱えておくことを教会がよしとしない筈だ。何より、彼の傍で悪霊調理人としてやっていける気がなくて、伊調は嘆息した。

少し前なら、せっかく限りなく理想的な労働環境につけたのだ、追い出されてなるものかと憤慨しただろうが、今の伊調は悪霊調理人としての矜持と、羽美子の為に働いていたいという忠義の心がある。それが成されないのなら、いっそ、自らあの屋敷を出ることも辞さないと思える程度に。


「……あの人も、そうだったのかな」


神喰に向かう前に一度、幼い羽美子と澄子の写真を見せてもらったことがある。

羽美子の方は、当たり前なのだが、今よりもずっと子供らしくて。澄子の方が余程、今の彼女に近いと思えるくらいには、二人はよく似ていた。見た目もそうだが、身に纏う雰囲気や、立ち振る舞いも。

だから、彼が澄子を尊崇していたように、自分も羽美子を敬慕しているとしたら。何となくだが、主を失った時の膳手の心情が理解出来る気がする。

自分のそれと彼のそれは比べ物にならないだろうが。根本的なところでは同じなのではないか。なんて、らしくもないことを考えて、感傷的になっていた時だった。


「ワン!」


曇り空が落ちてきそうな、大きな声。びくりと肩を跳ねさせながら振り向けば、其処には見慣れた白い毛玉がいた。


「お、前」

「ワン」


何故彼が此処にいるのか。それはなんとなく、彼の主のことを思えば想像がついた。


――ずっと傍にいられない自分に変わって、彼を見ていてやってくれ。

恐らく、そんな理由で病室に置かれていたのだろう。此方にとてとてと歩み寄って、大人しくお座りをする忠犬に、伊調は苦笑した。


「……なんだよ、いつもみたいに飛び掛からないのか、ガストロ」

「ワン」


賢いこの犬のことだ。自分が未だ、全快ではないことを心得ているのだろう。毎朝そうしていたように飛び掛かることもせず、遊べ遊べと催促することもせず、ガストロはただ足元に寄り添っているだけ。

はて、この犬はこんなにしおらしい奴であったかと苦笑しながら、伊調は膝を折って屈み込み、ガストロの豊かな白い体毛に手を埋めた。


「……ハハ。惨めな俺を慰めにきてやったってか」

「くぅん」


頭をわしゃわしゃと撫でても、ガストロは手に顔を寄せてくるだけで、何だか気を遣われているような気になる。

普段なら、テンションを上げて此方の顔をべろべろと舐めてくるだろうに。まるで此方の心情を汲み取っているかのように頬擦りしてくるガストロに、伊調は背を丸めた。


「…………情けねぇなぁ、俺」


吐いても吐いても際限なく込み上げてくる、本日何度目かの溜め息。
いつか誰かに、溜め息を吐くと幸福が逃げると言われたことがあるが、そも、溜め息を吐いている時点で幸せもクソもない。これは、胸の中に溜まりに溜まった憂鬱を逃がす為の措置なのだ。

そんなことを自分に言い聞かせながら、伊調は息を吐き、ガストロの頭に鼻を埋めるように項垂れた。


「お嬢様一人守れねぇオマケに、自分より腕のいい先輩が出てきたことに拗ねて……挙句、ワン公に慰められるなんてよ。いい歳して、何やってんだか……」

「ワゥン」

「ああ、悪かった。お前は、わざわざ慰めに来てくれたってのによ」


捨て鉢な物言いを責めるように、ガストロが小さく吠える。単に、頭に体重を乗せられたことを抗議しているのかもしれないが、この賢い犬はきっと、いつまでもヘソを曲げているなと言っているのだろう。バシバシと肉球パンチをお見舞いしてくれているのも、多分そういうことだ。伊調は、悪かった悪かったと言いながら立ち上がり、最後にこれだけ、と言うように軽く息を吐いた。

大徳寺の言葉や、ガストロの叱責もあって、少しだけ気が楽になったような気がする。それでも、未だ割り切れなくて、腹の底で何かが渦巻いているような底気味悪さがあって、伊調はどうにもすっきりと出来ず。本当に、これからどうしていくべきかと、天啓を待つように鈍色の空を仰いでいた。その時だった。


「ワンワンワン!!」

「ちょ……どうしたんだよ、ガストロ!」


それまで大人しくしていたガストロが、突如大声で吠えたてたかと思えば、患者衣の裾に噛み付いて、体をグイグイ引っ張ってきた。

このままでは服が破けると、慌てて足を前に出せば、ガストロは此方を急かすように吠えながら、何をしているこっちだ早く、と言うように、先へ先へと駆けて行く。


「ワンワン! ワン!!」

「おま……何処に行く気だよ、おい!!」
 

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