霊食主義者の調理人 | ナノ


こんな感じだ、とかつての自分に答えつつ、伊調は短く息を吐いた。


「ご馳走様でした」


今日も今日とて、家庭科の教科書が推奨するような理想的な朝食を食べ終え、食後の一杯をいただく。この時間、自分は世界中の誰よりも贅沢をしているようだと眼を細めつつ、伊調は香り高いコーヒーを啜った。


食後の一杯をその日の気分で選べる程度に、神喰邸には様々な茶葉やコーヒー豆が揃えられており、お茶一つでも玉露からほうじ茶、ジャスミン茶――紅茶も含めると凄まじい種類があって、特に飲み物に強いこだわりがあるでもない伊調は、寧ろ狼狽した。

お茶をくださいと頼んでお茶が出てくればそれで十分。最悪白湯でも構わないくらいなのに、ずらっと十数種類の選択肢を出されても……。と、困惑していたところに「よろしければ、私のおすすめをお出し致しますが」と結崎が助け船を出してくれて以降、伊調はざっくりとしたオーダーを元に出される結崎おすすめの品をいただいてきた。

流石は結崎というべきか。毎日三食食後に出される飲み物は、まさに今の気分にぴったりという物ばかりで、どれも素晴らしい充足感を齎し、伊調の心を癒してくれた。

これを毎日堪能出来るだけでも、悪霊調理術を学んだ価値があるものだと伊調がカップを置いたのを合図に、隣で様子を見ていた羽美子がパンと手を鳴らした。


「さて、次は私の番ね」


伊調の朝食が終わりは、羽美子の食事の始まりだ。
主である羽美子の方が後、というのもおかしなことだが、彼女の食性上、後回しになるのは致し方ない。

別に、伊調が現地までの移動中、適当にパンやらおにぎりで済ませたっていいのだが、羽美子曰く「最高のコンディションで仕事に臨んでもらいたいから」とのことで、伊調は毎朝こうして素晴らしい朝食をゆったりと味わうことが出来ている。

全く有り難い話だと、伊調は体をうんと伸ばしながら、気の利く主に感謝した。これから始まる重労働を思えば、このくらいは許されてもいいだろうとも感じられるが。感謝の気持ちは大切だ。


「で、今日はどんなメニューで?」


朝食を終えたら、結崎から羽美子のメニューという名の資料が手渡される。この流れも、もうお決まりになってきたなと伊調が感慨に耽っていると、メニューを開くより先に羽美子が口を挟んできた。


「今日はまず、外来の相談を受けることになっているの。外に出るのは、昼過ぎになるかしら」

「外来……?」

「依頼人が、直接うちに来るのよ」


伊調が神喰に来て一週間が経つが、何れも羽美子自ら現地に赴いていたので、神喰邸にいたまま調理というのはこれが初めてになるが、外来はそう珍しいことでもないらしい。

対象が、持ち運び可能な物や動植物、移動する気力や体力のある人間に憑いている場合。且つ、依頼人の都合がつく時は、わざわざ移動せずに済むのなら、それに越したことはないと、向こうから出向いてもらっているという。

ということは、今回はそういう手合いなのだなと、伊調が何となしに顎を掻いている横で、羽美子は如何にも来客を待ち侘びているような顔で笑む。


「昨日電話があってね。どうしてもすぐに診てくれっていうから、今日の朝、来てもらうことにしたの」

「……此処の依頼優先度ってどうなってるんだ?」

「基本的には受け付け順になりますが、事態が深刻で、早期解決を要するものが繰り上げられることもしばしばございます。あとは、お嬢様の気分になります」

「……成る程。これから来る依頼人は、お嬢の気分的にぐっとくる何かをお抱え、と」


結崎の言う通り、神喰に来る悪霊討伐依頼は、基本受け付け順で処理されるが、急を要するような案件や、教会上層部等から直々の依頼が来れば、其方が先行されることもある。それ以外は羽美子の気分次第というのは恐らく、教会の前調査を見て、その日一日のコースや食べ合わせなどを考えてのこと。もしくは、食指が動かされてのことなのだろう。

昨日来たばかりの案件に今日の朝から取り掛かるというのも、恐らくそれだ。妙に機嫌のいい羽美子の様子を見れば、何となく察しがつく。

無論、依頼人達の都合や、各々の状況なども考えての繰り上げなのだろうが――さて、どんな依頼人が来るかと伊調は肩を竦めると、脳内に留まったままの質問に答えるかのように、羽美子が話を繋げてきた。


「今日の依頼人はね、団体様なのよ」

「団体?」

「全部で五人。何れも、上場御(うわばみ)大学の学生さんよ」

「上場御って……隣の県じゃねぇか」

「外来で来るクライアントにしては、近所の方よ。時に私に会う為に海外から来る人もいるくらいだから」

「……流石、教会最強は伊達じゃねぇな」


上場御大学――ちょうど県境の辺りに位置する、そこそこの規模、そこそこの偏差値レベルを持つそこそこの大学だ。高校時代の友人が通っていたので、名前と、凡そどんな場所かということは知っている。

一度、学園祭にお呼ばれして行ったこともあるが、まぁ特に印象に残るものを見た記憶もなく、そこそこ楽しめたなぁくらいの思い出しか残っていない。

ミスコンも、そこそこくらいのラインナップだったし……と、かなり失礼な感想を掘り返しつつ、伊調は資料に目を通した。


 
今回の依頼人は、上場御大学にある映研のメンバー。

映研のリーダー兼監督、喜代原純男(きよはら・すみお)。カメラマン、塩留吾郎(しおどめ・ごろう)。脚本担当、川床廉(かわどこ・れん)。役者の岩南乙美(いわなみ・おとみ)と多木口琢人(たきぐち・たくと)の五人だ。

何でも先々週、コンテストに出品する映画製作の為、撮影に使用出来そうな場所の視察に向かって以降、心霊現象に悩まされることになったとのことで。退魔師教会に頼み込む以前に、巷の霊媒師や寺院などを周っていたとのことだが、どうにも事が収まらず。ある寺を訪ねた際に、教会を紹介され、そこから神喰に話が流れてきた、という経緯で此処に来ることになったそうだ。


「大学生五人が一度に、ねぇ……」


外来の依頼を受ける為に設けられた、だだっ広い客間で待機しながら、伊調は資料を眺め、まるでネットの掲示板で見た怪談のようだなと、短く息を吐いた。

怖いもの知らずでお調子者な若者達は、触れてはならない物や、踏み入ってはいけない場所に近付き、とんでもないモノに憑かれる。それを払おうと各地を周り、やがてその道では有名な先生を紹介された若者達は、自分達に憑りついているモノが如何に恐ろしいものかを思い知らされ、己の愚行を悔やみながら、厳しい除霊に臨むことに……お決まりのような流れだが、存外あれは本当のことだったのかもしれない。

そんなことを思いつつ《討霊具》を磨いていると、シングルソファに腰掛けた羽美子が「まぁ、若気の至りでしょうね」と呟いてきた。若気どころか幼気な十歳児の言う台詞ではないだろうに。尤も、悠々とソファに座るその姿には、幼さやいじらしさはまるで感じられないのだが。


「しかし、この映研が視察に行っていた場所……心霊スポットでも何でもない自然公園ってのが気になるな」


それより気掛かりなのは、今回の一件だ。

資料を見る限り、映研メンバーにも、彼等が赴いた場所にも、怪しい点は無い。近い過去に心霊スポットや曰くつきの土地に行ったということもなく、誰かが家の倉庫から呪いの何たらを見付けた、ということもない。
問題は自然公園の方にあると考える方が妥当に思えるが、此方もごく有り触れた、市が管理する普通の公園だ。緑豊かで、散歩コースとして人気が高く、これまで、特に何か大きな事件が起きたという話もない。

ここまで怪しい点がない方が、寧ろ怪しい。伊調は顔を顰めながら、五人の依頼人は何を引っ提げて来るのかと訝んだ。


「公園にも悪霊の一匹二匹いるだろうが、五人同時にやられる程のモンが住み着くとは想像出来ねぇな」

「件の自然公園には、大きな池があるわ。水場には霊が集まりやすいから、其処で何か育まれていたのかも」

「放流されたカミツキガメか、ブラックバス辺りだったらいいんだがな」

「カミツキガメの霊……精がつきそうね。是非賞味してみたいわ」

「すっぽん的な感じなのか?」


思い返せば、件の自然公園にある池は、よく飼育放棄された外来種が放流されているとニュースになっていた。

身勝手な飼い主に捨てられ、危険生物と見做され駆除された生き物が悪霊と化し、人間に報復を……。怪談というより、B級映画めいてきたなと、伊調は苦々しく口元を歪めた。その時。


「っと……おいでなすったようだな」


扉の向こうから感じられる気配と、僅かに香る匂いに、伊調と羽美子がそれぞれ反応を示した直後。コンコンと、控えめに扉をノックする音が、客間に転がった。

壁掛けの時計が示す時刻は予定より十五分ほど早いが、依頼人達の焦燥を思えば妥当な頃合いか。


「お嬢様、依頼人の方々をお連れ致しました」

「ありがとう。通してちょうだい」


羽美子の許可が降りたところで、和島――前髪が左分けなので、姉の閑花の方だろう――が、扉を開き、後ろに控えていた依頼人達がおずおずと、客間に入ってきた。

荘厳な屋敷の造りや雰囲気に圧倒されているのか。おっかなびっくり、互いに先へ進むよう促すようにしながら、依頼人達は羽美子の前へと足を進める。

既に話を聞かされているのか。羽美子を見ても失望の色を見せず、ああ本当に子供なのだなと驚くような面持ちをする若い男女五人。その顔が目に入らない程度に、伊調の視線は彼等の背後に釘付けになっていた。


「…………」

「……伊調?」

「……若気の至り、なぁ」


いつも、そう血色のいい顔をした男ではないが、今の伊調は一層、顔色を悪くしていた。それこそ、依頼人五人がどよめく程度に、伊調は眉を顰め、吐き気を抑えるような面持ちで、目を伏せた。


「何処まで至ったらこんなモンくっつけられんだか……あぁ、クソ、最悪だ」

「な……」

「そ、そんなにヤバいのか、俺ら!」


そのような態度をされれば、必然、依頼人達の不安は煽られる。余り、怯えさせるような真似はしたくないと考えている伊調だが、これは話しておかなければなるまいと、嫌に渇いた口を開いた。


「……お前ら、水子って知ってるか」

「水子、って」

「確か……胎児や幼い子供の霊、ですよね」


答えたのは、脚本担当の川床廉だった。眼鏡をかけているせいか、メンバーの中では最も知識人のように見える彼だが、そんな川床の背中にも他の四人と同じモノが憑いているのだから、この際、容姿だ内面だは関係ない。伊調の眼も思考も、彼等の背にしがみつく悪霊にすっかり捕らわれていた。


「あぁ。お前らに憑りついてんのはその水子霊……しかも複数体、それぞれ憑いてやがる」

「「!!?」」


視たままの事実をありのまま告げれば、案の定、五人は衝撃を受け、狼狽えたが、伊調は当人達より余程ショックだった。


例えるなら、それは青白く発光する蛙の卵に似ていた。光るゼリー状の卵塊のようなものに、歪んだ子供の頭部が幾つも入っており、それが数本、五人の背後でうねうねと蠢いている。

今日まで様々な霊を視てきた伊調でも、かなり堪える図だ。これからあれを調理するのかと考えるだけで気が滅入るのも無理はない。

辺りに漂う水が腐ったような汚臭に、何処か甘いミルクのような匂いと、目の前の悪夢のような光景に、頭が痛くなる。
更に追い討ちをかけるように、水子霊は微かに聴こえるくらいの声量で、しかし確かに鼓膜を撫でるように、オギャアオギャアと泣き声を上げてきて。伊調は、本当にとんでもないモノを連れてきてくれたものだと、五人を睥睨した。


「通常、水子は縁あるものにしか憑かねぇモンだ。複数体が同時に一人に憑くなんてこと……水子塚や水子地蔵によからぬことでもしでかさなきゃ起こりえない」

「そんなこと!!」

「俺らは普通に、映画の撮影の下見に行っただけだ! 地蔵だのなんだの……そんなモン触ってねぇし、見てすらいねぇよ!!」

「やだぁ……複数って……なんで、そんな」

「こっちが聞きてぇよ。ったく……マジで何しでかしたらこんなことになんだか」


自分達に憑いているモノの正体を知り、五人は困惑し、紅一点の岩南乙美は膝から崩れ落ち、泣き出してしまった。

視えていないだけマシだというのに。なんて毒づいてやりたいが、彼等を詰ったところで不毛なだけだ。

資料の情報を見ても、こうして面と向かってみても、この五人に、悪霊に憑かれるようなことをした覚えがないのは確かだ。彼等は本当に、ただ自然公園に赴き、映画の撮影に使えやしないかと話していただけらしい。


――それで、どうしてこんなモノに憑りつかれるのか。


分かったところで仕方がないし、自分のやるべきことは変わらないので、もうどうでもいいかと、伊調は大きく息を吐きながら、覚悟を決めた。


「まぁ、いい。とにかく、てめぇらに憑いてる水子、全部引っぺがしてやるから其処に座れ」

「で、出来るのか、そんなこと」

「だからてめぇら此処に来ることになったんだろうが。ほら、いいから背中向けて座れ」


未だ混乱と恐怖が抜けきらない一同を、ぞんざいに扱いながら、伊調は《討霊具》選びを始めた。

ツールボックスに入れる必要性がないので、今日は《討霊具》一式をサービングカートに乗せている。其処から、水子の調理に使う物を選定していると、ここまで口を閉ざしていた羽美子が、声を掛けてきた。


「苛立ってるわね、伊調」

「……水子霊の調理ってのは、根気がいるんだ。それを複数体……しかも五人分とくりゃ、苛立ちもする」


水子は、生を謳歌出来ずに死んだ幼子達が、現世への未練と羨望によって霊化したものだ。故に水子は、生者への憧憬や嫉妬が強く、一度憑りつけば、容易に離れてはくれない。
視認出来るだけでも、此処にいる水子霊は数十体。それを全て引き離さなければならないと、考えるだけで嫌になる。

しかし、これが仕事である以上、放置する訳にはいかないし、これだけの量なら羽美子の腹もちも期待出来る。
伊調は肩を落としながら霊切り包丁を手に取り、それを手遊みに放りながら、羽美子に訪ねた。


「さて……お嬢、甘いもんとしょっぱいもん、どっちの気分だ?」

「甘いものだわ」

「かなりの量になるが」

「構わないわ」

「……了解」


移動がない分、重労働になっただけのことと割り切ろう。嫌だ嫌だとごねたところで、仕事が片付いてくれやしないのは、元職場で経験済みだ。やりたくないと思うこと程、集中して早く片付けるに限る。
伊調は深く息を吸い込み、霊切り包丁を握った。


「調理開始だ」
 

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