霊食主義者の調理人 | ナノ


件の教室の扉が視認出来る頃には、辺りは酷い獣臭で満たされていた。

まさに濡れた獣の、と比喩するに相応しい。そんな悪臭に顔を顰めつつ、伊調は頭の中で今日の食材の調理法を思案した。


「お嬢、蒸し焼きと煮込みだったらどっちがいい」

「前者を所望するわ。カルア・ピッグというハワイ料理……イムと呼ばれる地中の釜戸を使って、豚一匹を石焼きにしたもの。その起源では、アレを使っていたというから」

「なんだ、お嬢も気付いたのか」

「人間に縁深い生き物と言えば、ね。狐じゃないと言われた時、じゃあアレしかないわと思った訳」


対象が扉の向こうにいる以上、伊調にも何も視えていない状況で、羽美子にそれが視えている訳がないが、見聞きした情報などから、彼女も悪霊の正体を察したらしい。先代に立たれてから、神喰当主として幼いながらに各地で悪霊を退治してきただけのことはある。

狐かもしれないという希望もあって、未だ直感の範疇である内には口にしなかったようだが、かなり前から今回の悪霊が何者か分かっていたようだ。


――それにしても。


「……分かってて食う気なのか?」


今回の相手は、食が進むものではないだろうと、伊調は眉を顰めた。

悪霊を喰らうことで、祟りも呪いも一切残さず滅するのが役目にして務めである神喰当主が、選り好みをしていられまいと分かっていても、だ。お腹が空いた、早く食べたい、どんな味がするだろう、という顔をして向かうのは如何なものか。


「家にもいるだろう。何かこう……気まずいとか、そういうのねぇのか?」

「生き物と霊は別物よ。そもそも、生前の種族で食べる食べないを選ぶなら、狐を食べたがるというのもおかしな話ではなくて?」

「……仰る通りで」


確かに、生前何であったかで食べる食べないを考えていたら、霊食主義などやっていられまい。

そも、悪霊というのは殆どが人の霊魂の成れの果てであるし、生きていた頃を持ち出すのは詮無いことである。
生と死。その境目を越えた時点で、別物。それは正しい判断だ。退魔師という職に就く者としても、霊を喰らい霊を滅する術師としても。

本当に、子供らしくない思想の持ち主だと、伊調は尊敬の意を込めて溜め息を吐いて、扉に手を伸ばした。


「そんじゃ、調理開始といこうかねっと」


遮るものを失い、内包されていた匂いが爆弾のように鼻を攻める。

獣と、腐った血の匂い。短期決戦に持ち込まねばという使命感に駆られる悪臭の中、それは突如現れた自分達を見て、威嚇の姿勢を取った。


「グ、グルゥウウウ」


泥水のように濁った涎を垂らし、揺れ動く湯気のような黒毛を逆立てる四足の獣。それの生前の姿は知らないが、随分様変わりしてしまったことは何となく察する。

少女達は、これをはっきりと眼にしてはいなかっただろうが、ほんの少し視えただけでも、この強烈なビジュアルには戦慄するだろう。

肋の浮いた骨ばった体、黄ばんだ乱杭歯に、血走った赤い双眸。好きでこう成り果てたのではないことも考えると思わず同情してしまうが、羽美子も言った通り、生き物と霊は別物。生前がどうあれ、今が悪霊なら、情けをかけるべきではない。これが望まずしての結末なら、尚更だ。

伊調は、ツールボックスをトンと蹴り、霊切り包丁を両手に握った。


「悪いな。お前のご主人様は、生憎来れねぇもんでよ。お前の相手は、俺らがするぜ」

「ヴぅうう……ガァアッ!!」


それは、伊調が踏み出すよりも先に、勢いよく飛びかかってきた。
流石獣とあって、しなやかなバネを使った跳躍は圧巻だ。物が散乱した教室内でもお構いなしと来ている。

振り下ろされる爪を霊切り包丁で防ぐと、伊調は渾身の力を込め、それを押し返した。

痩せぎすの体は吹っ飛ばされ、黒板に激突すると、それは「ギャイン!」と悲鳴を上げる。そこに畳みかけるように、伊調は霊切り包丁を上から突き立てた。

寸でのところで身を翻され、一本は躱されてしまうも、もう一本は脚を捕えた。だが、それは力任せに体を捩じり上げ、脚一本を犠牲に自由を得て、後方へと跳び退く。
その身のこなし、動物的な戦い方は、足場の悪さも相俟ってどうにもやりにくい。伊調は、道具を変えた方がよさそうだと霊切り包丁を放り、同時に、コンコンと爪先で床を叩いた。すると、ノックに応じるようにツールボックスが発光し、新しい《討霊具》が飛び出してきた。


「阿鼻の鉄砲串、ね」


針山地獄をモチーフに造られたと言われる、鋭利な串。霊切り包丁と同じ蒼白いオーラを纏うそれは、串というにはあまりに長く、レイピアのような印象を受ける。
それを計六本、木製の柄を指と指の間に挟むようにして掴むと、伊調は悪霊めがけ、腕を振る。その動きに合せ、串は柄だけを残して射出し、打ち出された傍から次の串が装填され、さながら銃火器のように悪霊を襲った。


「グガぁっ!!」


飛び上がり、回避するそれを追うように、伊調は身を捩じり、串を振るう。

狙うは、着地点。それが足を付くジャストのタイミングを見計らっての攻撃は、見事に決まった。


「ギャイイイイン!!」

「叩き完了……っと」


滅多刺しにされ、だらだらと真っ黒な血を流すそれに、幾何かの罪悪感を覚えつつも、伊調はすぐさま次の工程に取り掛かった。

先刻放った霊切り包丁。これで体毛を削いだところで、塩と魔種油で力を奪い取り、仕上げへ
移る。


「悪いな。せめて、美味くなるようしてやっからよ」


パチンと指を鳴らすと同時に、宙に浮いた悪霊の体が燃え上がった。

未だ残したままの《霊装》。その上から焼くことで、中身を蒸し、おのずと《霊装》が剥がれ落ちるようにする。これは、炎を用いた調理術――奈落の炉だ。


「さぁ、あとはアンタの仕事だぜ、お嬢」


焼き上がり、縛式の皿の上に乗せられた悪霊を前に、羽美子は眼を細め、優艶に笑んだ。

いざその眼で視えるようになっても、彼女の思想は変わらないらしい。丸ごと蒸し焼きにされたそれを前にしても尚、羽美子は躊躇うことなく霊餐のフォークを取り出す。


「安心なさい。貴方の魂は私の腹の中で消化され浄化され、生まれ変わる。その先で、いつか会える日が来るわ、きっと」


待ちに待った食事への昂揚と、慈しむような憂いをその眼に湛え、羽美子はそれを刺し貫く。退魔師として、霊食主義者として、再度消えゆく命を想いながら。


「いただきます」


prev next

back









×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -