僕は宇宙人系男子 | ナノ
「ありがとうございました」
四時間後。火之迫先輩の忠告も、僕の鬼胎もまさかの杞憂に終わり、僕が地球人の限度を越える動きをすることもなく、退勤時間間近となりました。
この間、何事も無かったといえばそれは否なのですが。日比野さんが牛乳パックをレンジで温めたり、月峯さんがコーヒーを引っくり返したりと、その程度のことで済んだので、僕は安堵の息を吐きました。
これらの事象をその程度のこと、と言ってしまう辺り、どうなのかとも思うのですが……ともあれ、僕が地球人らしいままで事が済んだのなら、それでいいのです。
そんなことを思いながら、ピークを過ぎて落ち着いた店内を眺めつつ、今日一日をやり遂げた感傷に浸っていると、同じく一息吐いていた日比野さんが、突如ハッとした顔をして、ポンと手を叩きました。
「そうだ、先輩! この間話してた、オススメの漫画のことっすけど!」
「……あぁ、そういえば」
火之迫先輩の雷が落ちたのと、月峯さんのことで、そんな話をしていたことを、僕はすっかり忘れていました。
しかし、日比野さんはそのことを覚えてくれていたようで。制服のポケットから折り畳んだメモ用紙――なんだか可愛らしい、キャラクターものでした――を、手渡してくれました。
「あの後すっかり忘れちゃって。帰ってから思い出して、家の本棚見ながら、オススメのやつメモしてきたっす! はい、どうぞっす!」
「……わざわざすみません」
メモを広げてみれば、丸っこい字で日比野さんオススメの作品タイトル約十個と、ざっくりとしたあらすじが書かれていました。
その、微妙にバランスの崩れた文字列を見ていると、メモ帳片手に本棚を眺めている日比野さんの様子が、目に浮かんでくるようで。
本当に、律儀な方だなと込み上げてくる微笑ましさに眼を細めながら、僕はメモをもう一度畳んで、ズボンのポケットにしまいました。
「ありがとうございます、日比野さん」
「いえいえ! 先輩には、いつもお世話になってるっすから!」
タイトルやあらすじから、凡そどのような作品かイメージは浮かびますが、実際手に取って、中身を見るまで分からないものです。
地球の漫画というのは、我々異星人が思いもつかないような設定や展開に溢れていますし、何よりこれらは全て、日比野さんのオススメですから。
この中に課長のお気に召すものがあるかは分かりませんが、メモを参考に書店散策をする時が、とても楽しみです。
と、メモをしまったポケットを軽く叩きながら、次のお休みに思いを馳せていた時でした。
「あっ。漫画で思い出したっすけど、月峯先輩も漫画詳しいんっすよ!」
「そう……なんですか」
そうなんですか、とは言ったものの、何となくそんな気がした為か、語尾に疑問符が付くことはありませんでした。
月峯さんとはあまりプライベートな話をしないので、彼の趣味嗜好を知らずにいましたが、漫画好きと言われると、色々納得がいきました。
言われてみてば、月峯さんの言動の節々には、漫画のキャラクターめいたところがあり、彼がそれらから影響を受けている可能性は多いにあります。
加えて、月峯さんはとても絵が上手いと評判で。店長が度々、彼にPOPや貼り紙の製作を依頼しているのですが、どれも非常に素晴らしい出来栄えでした。
あれも、漫画好きが高じてのことでしょう、と月峯さんについて考察した直後。僕は、日比野さんから思いがけない事実を聞かされることになりました。
「漫画の学校行ってるくらいっすからね! 自分が読んだこともないような漫画も、いっぱい知ってたっす!」
「……漫画の、学校」
「はい! 隣の駅にある、専門学校っす」
地球には、漫画の専門学校という特異な教育機関があることは、存じていました。
地球の漫画に魅了され、自分も是非漫画の勉強したいと、地球人に擬態して潜伏留学する宇宙人が近年増加しているからです。
実際、それで地球で漫画家デビューを果たした方もいるそうで、そのことが大宇宙連合ニュースで大々的に報じられたこともありました。
月峯さんが専門学生ということは知っていましたが、まさかその、漫画の専門学校に通われていたとは、思いもしませんでした。
此方も、言われてみれば至極納得出来ることなのですが、実際に漫画を描かれる方がこんな間近にいたというのは、とても驚きです。
「こないだも、休憩室で課題の漫画描いてたっすよ、月峯先輩。普段は人に見せないって言ってたんっすけど、特別にって見せてもらたっす!」
「そうでしたか。……面白かったですか? 月峯さんの漫画」
「うーん……自分には難しくて、よく分からなかったっす!」
月峯さんが聞いたらショックを受けそうな感想ですが、彼の漫画がどんな作風なのか、凡そ理解出来ました。
彼が漫画を描いている、と知った時から、何となく予想はついていたのですが、実際読んでみたら、どんな感じなのでしょう。
僕が頼んで、見せてくれるだろうか。日比野さんだから、読ませてもらえたのでは……と、思案していた時でした。
日比野さんから、聞き捨てならない衝撃の一言が発せられたのは。
「あ、でも主人公が先輩みたいですごかったっすよ! レジ打ちしてる時の先輩みたいに、バヒューンって敵を倒してたっす!」
「……主人公が、僕みたい…………?」
「はい!」
だらり。擬態の背部と頬に、嫌な汗が伝いました。
この感覚は、あの時――日比野さんに、宇宙人系男子と称された時と同じ。
まさかという不安と、押し寄せる危機感が鼓動となって警鐘を打ち鳴らす中。日比野さんは屈託のない笑顔で、こう言ったのでした。
「背が高くって、めっちゃ素早くって……それに、宇宙人だったっすから! きっとあれは、先輩がモデルのキャラクターっすよ!」
それから間もなく、レジ点検の為、バックヤードに赴いていた月峯さんが戻って来ました。
今日は珍しく、数え間違いがなかったのでしょう。誇らしげな面持ちをしながらの凱旋です。
「月峯先輩、レジ点検どうだったっすか?」
「フッ……。刮目するがいい。此処に刻まれし、始まりと終わりの象徴を」
「おぉー! 今日はゼロっすね! お釣りの渡し間違えとかなくってよかったっす!」
そんなまさかとは思います。しかし、万が一ということもあります。
月峯さんに正体を知られてしまったかもしれないという疑念が生じた以上、白黒はっきりさせねければならないでしょう。
どうにかして彼の作品を検め、真相を確めなければと、僕は、無事に点検を終えてほくほく顔の月峯さんを見据えながら、拳を握り締めました。
いざという時は、彼の脳を弄らせていただくことも辞さないという覚悟で。