カナリヤ・カラス | ナノ



この世界に生まれてきた意味があるとすれば。俺はきっと、鳩子と出会う為に生まれてきたのだと思っていた。


(夜咫ぁ、アンタまた来たわねぇ)


鳩子と出会う前の俺は、人間では無かった。いや、生き物ですら無かっただろう。


物心ついた頃には檻の中にいて、同じ年頃の子供達とまとめて、少年兵として買われていった。

お前達は道具だ。お前達は使い捨ての武器だ。お前達は弾除けだ。お前達は戦わなければ何の価値もない。お前達は俺達に買われた戦奴だ。

そう言い聞かされながら、毎日生きる為に必要最低限の水と食料の為に戦って、戦って、戦って――やがて、俺以外の子供が全員死んで、大人達も殆どやられて。嗚呼これはもうどうしようもないなと悟った時。俺は、鳩子と出会った。


(何度も言ってるけど、戦うのは私達大人がやることなの。アンタはまだ子供なんだから、アジトにいなさいって)

(でも、おれはアルキバの誰よりも強いよ、鳩子)


後で知ったことだが、俺の飼い主は反自治国軍のゲリラで。連中は行き過ぎたテロ行為を咎められ、自治国軍に集落を襲撃された。当時の、大亰自治国軍総帥の指示だった。

それを聞いた鳩子は単身、ゲリラの集落に向い、自治国軍による虐殺を止め、戦いを鎮め――殺された奴等を丁重に葬った後、子供の中で唯一生き残った俺を引き取ってくれた。


あの時は、また新しい飼い主が出来ただけだと思っていた。この女も、俺を水とパンで動く武器として使っていく心算なのだろうと。そう思っていた。

けれど、鳩子に名前を与えられた時、俺はようやく気が付いた。

彼女は俺を、一人の人間として、ただの子供として見てくれているのだということに。


(傷が治るのだって早いし……自治国軍の奴等だって、おれのことこわがって逃げてく。だから、おれがいた方が)

(そーいうことじゃないっての)

(いてっ)

(あのね、夜咫。確かにアンタは、此処にいる誰よりも強くて、体も頑丈よ。でも、やっぱりアンタは子供なの)


顔を隠しながら暗躍し、革命運動を進めていく鳩子には、いつも危険がついていた。
だから俺は、あらゆる敵、あらゆる兵器、あらゆる脅威から鳩子を守りたくて、度々大人達に混じって、自治国軍と戦った。

俺は子供だったけれど、レジスタンスの誰よりも強く、誰よりも戦果を挙げ、誰よりも革命運動に貢献していた。だが、鳩子は一度も、俺が戦いに臨むことを喜びはしなかった。

どれだけ俺が強くても、どれだけ俺が役に立っても。俺が子供である以上、鳩子は俺を戦わせたくなかったのだ。


(これは、私達大人が始めた戦いよ。いくら強くたって、子供のアンタが戦う理由なんてないの。それにね、アンタが強いからって戦いに出したら、他の子供達だって戦わなきゃいけなくなるのよ。あいつが出てるんだから、お前も出ろ……って、アンタが元いた場所みたいに、坊や目白や目黒……アンタの友達が戦争に駆り出されるようになっちゃうのよ。そんなの嫌でしょ?)

(…………でも)


分かっていた。鳩子がどんな気持ちで、俺を戦わせたくなかったのか。

分かっていても、戦う以外で鳩子の為になる術を持ち合わせていなかった俺は、頷けなかった。


(おれは……鳩子の役に立ちたい。おれの母親になって、おれをあそこから連れ出して、おれを育ててくれた鳩子に……恩返ししたい)


俺に名前を与えてくれた。食事と寝床をくれた。読み書きや計算を教えてくれた。誰かを思い遣ることの素晴らしさを説いてくれた。生まれてきてよかったと思わせてくれた。道具でしかなかった俺を人間にしてくれた。

そんな鳩子に、どうしても報いたくて。俺は駄々をこねるように、戦場に立つことを望んでいた。

だけど、鳩子は決して、それを許してはくれなくて。


(なぁーに言ってるのよ!!)

(わ!!)

(いーい、夜咫。恩返ししたいなんてのはね、大人になってから言うことよ。アンタがもっと大きくなって、成長して、立派になって……私がいなくても大丈夫ってくらいになった頃でいいの。だから、まだまだおこちゃまの内は、何も考えず、毎日楽しく遊んでりゃいいのよ。それが、子供の仕事なんだから)


そう言いながら、背負った俺に額を寄せて、鳩子は笑った。

それは、この世界で何よりも温かくて、柔らかくて、眩しくて優しい微笑みで。
嗚呼。そんな顔をされてしまったら、これ以上何も言えやしないと、俺が降参して額を当てると、鳩子は一層穏やかな表情を浮かべてくれた。


(でも、今日は助かったわ。アンタが来てくれたお陰で、何人も救われた。そこは、素直に感謝しとく)


灰色の髪に鼻を埋めると、無性に泣きたくなるくらい懐かしい匂いがした。

それは何故か、名前も顔も知らない母親を彷彿とさせて。この人と出会う為に俺は、長い長い道を辿って此処に来たんだと。心からそう思えた。


(ありがとう、夜咫。アンタは、私の自慢の息子よ)


俺達に血の繋がりは無い。けれど、俺は鳩子の息子で、鳩子は俺の母親で――俺達は、確かに親子だった。

照れ臭くて、一度も母さんと呼んだことはなかったけれど。俺のことを本当の子供のように愛し、慈しみ、大切に育ててくれた鳩子のことを、俺は母親だと思っていた。


(よーし!今日はアンタの大好物、肉団子のスープ作るわよ!)

(ほんと!?)

(いつもより肉団子増し増しでね!!そうと決まったら、買い物行くわよ、夜咫!)

(うん!)


夜咫・クロフォードという人間を生んでくれたのは、鳩子だ。

戦うことしか出来なかった道具は、生きる意味さえ分からないままに戦場を駆け回っていた武器は、鳩子と出会ったことで人になれた。

だから俺は、鳩子と出会う為に生まれてきたのだろうと、そう思っていた。


――あの日が来るまでは。




(逃げなさい、夜咫!!アンタ……私が言ったこと、忘れたの?!)

(でも……でも、鳩子ぉ!!)

(やれやれ、残念だ……いや。ここは残念だったな、と言うべきだな。鳩子・クロフォード)


革命運動は、順風満帆だった。

鳩子が亰と近隣集落から集めた同胞と、国を変えようと反旗を翻し、共に暗躍した軍の内通者の活躍によって、自治国軍はジリジリと追い詰められていた。

だが、自治国軍総帥の座が雁金巌士郎の手に渡って間もなく――鳩子が積み上げてきたものは全て、一瞬にして壊された。


(お前が革命運動の指揮者であったことは、とうの昔に知れていた。軍内部に手回ししていたことも、近隣の集落から戦闘員を掻き集めていたこともだ。だが、尻尾を掴んだ時にはお前は、此方から不用意に手が出せない程の大きな勢力を有していた。お陰で、随分と時間と手間を取らされたが……それも今日で終わりだ)

(う、があああああ!!)

(鳩子!!)

(この力を前に、お前が今日までせっせと集めてきたお仲間は全員屈した。高潔なる意志の元に集った革命の同志は、我が身可愛さにお前を売ったんだ、鳩子・クロフォード)


それは、絶望的なまでに大きな力を以てして、鳩子の希望を引き剥がした。

共に戦おうと固く握手を交わした仲間達は寝返り、素晴らしい亰の未来を夢見て誓いを立てた協力者達は裏切り、ひっそりと建てられたレジスタンスのアジトはみるも無惨に破壊され、鳩子を心から慕い、その命を捧げる覚悟で立ち向かっていった同胞達は、紙屑のように軽々と殺された。


まるで、悪夢を見ているようだった。

鳩子の目の前で、鳩子が懸命に積み重ねてきたものが壊乱されていくなんて。そんなことがあっていい筈がないと、ただ行われる暴虐を、俺は受け入れることが出来なかった。

けれど。それが最後に残された鳩子に手を伸ばした時。これは紛れもない現実なのだと何かの糸を切られたかのように、俺は飛び出した。


相手が、自分とは別次元に存在する化け物だと本能で理解していても、虫を潰すような容易さで吹き飛ばされるまで、俺は、立ち止まることが出来なかった。

そうしなければ、鳩子が殺されてしまうから。あの化け物の手によって、鳩子が。母さんが。


(やめろぉおおお!!!)

(……バンガイ)


恐怖は無かった。例え此処で死んでも、それで鳩子が助かるのなら、俺の命を引き替えにしても構わないと思っていたから、全力で踏み込んだ。

そんな俺の決死の特攻でさえ、あいつは簡単に受け止めて、勢いの死んだ体を地面に叩き付けて、身動きできないよう踏みつけて。


(ガキのくせに、中々骨があるじゃねぇか。だが、この都市が引っくり返ったって、俺にゃ勝てねぇよ)

(ぐ……)

(夜咫……ッ)


圧倒的な力は、全てを無に帰す。どれだけ抗っても、どれだけもがいても、上から叩き潰されればそれで終い。
熱意だとか懸命さだとか、そんなものは何の意味も成さないのだと、思い知らされた。死に物狂いになったところで、どうしようもないのだと、痛感させられた。

それが泣きたくなるくらい悔しくて、腹立たしくなるくらい悲しくて。転がったゴミのように踏み拉かれながら、俺は血が滲む程、歯を食い縛った。


――自分は、誰よりも強いと思っていた。この力さえあれば、鳩子を守れると信じていた。

そんな馬鹿げた幻想を抱えていた自分がどうしようもなく恨めしかった。一番大事な時に役に立てない自分が憎くて仕方なかった。


この身体も、この命も。此処で鳩子の為に使うことが出来ないのなら、何の意味も無い。

だから、立ち上がって、武器を取って、戦って、殺して、殺して、死んでも殺して、鳩子を助けないと、鳩子が。


酷い眩暈と骨が軋む痛みにやられながら、それでも意識を手放してはいけないと拳を握り締めていた。

一つでも希望があるのなら、それを見落とさないよう。僅かでも機会があるのなら、それを掴み取れるよう。みっともなく抗う俺を嘲笑うかのような眼が、悪意を湛えた声が、今にも壊れそうな躯幹に突き立てられた。


(さて、どうしてくれようか。今日まで散々弄んでくれたんだ……お前の息子にも、責任を持ってもらわねばなるまい)

(ま、待って……。夜咫は……その子は、関係な――)

(ほう。この子供は全くの無関係と言うか)


酷く愉しそうな笑みが、今も脳裏に焼き付いている。

鳩子の心までも穢し尽くそうとする男の嘲笑が、目蓋の裏から離れない。
あの日、あの時、何も出来なかった俺を責め立てるように。下卑た男の嗤い顔が、胸の奥を食い破る。


(であれば、選べ。鳩子・クロフォード。この子供の命と、お前の命……秤にかけて選ぶがいい)

(……何、を)

(お前の罪……その身で贖うか、其処な無関係の子供を贄に捧げることで免れるか。今此処で、選べと言っている)


邪悪そのものの微笑を浮かべながら、男は最悪の選択を鳩子に突き付けた。


血の繋がりの無い子供を見捨て、この場から逃れる権利を得るか。壮絶な凌辱の果てに屠られることを承知で自らを擲ち、赤の他人を救う権利を得るか。

どちらを選んでも、鳩子は死ぬしかなかった。


俺を贄にすれば、高潔なる革命家である鳩子は死ぬ。俺の為に自分を差し出せば、鳩子という人間が死ぬ。だから、男は戯れに選ばせたのだ。

鳩子がどちらを選んでも、先導者を失った革命は終わる。もし続いたとしても、バンガイという兵器がある以上、自分の牙城は揺るぎ無い。
そんな余裕から、あいつは鳩子に選ばせた。引っ張れば、心か体が滅茶苦茶に千切られる二本の紐。そのどちらを握るのかと。まるで、人を崖下へ突き落す装置のスイッチを押す時を待ち侘びるかのような顔で、あいつは囁いた。


(お前にとってその子供は、赤の他人なのだろう?であれば、何を迷うことがある。……ああ、私がどちらを選ぼうと、最終的に両方殺す心算だと考えているのか?ならば、大亰自治国軍総帥の名のもとに誓ってやろう。お前か、その子供……どちらか片方は必ず見逃してやるとな)

(……鳩子)


心底悔しかったが、俺は、この男の言う通りだと思った。


俺は結局、鳩子にとって他人でしかないのだ。そう割り切って、俺を捨てて、逃げ出せばいい。

亰のことも、革命のことも全て忘れて、世界の果てまで逃げて、逃げて。いつしか、誰かと恋をして、本当の家族を得て、過去のことは全て嫌な夢の中の出来事にしてしまえばいい。

それはとても罪深い生き方だろうけれど。鳩子にとって一番の幸せになるだろう。
だったら、それが鳩子の選ぶべき道だろうと、俺は眼を伏せた。

目蓋を閉じていないと、少しでも期待を滲ませてしまいそうだった。それが鳩子を悩ませたり、悔やませたりしてしまうだろうから、懸命に眼を閉じた。


俺は、鳩子に幸せになってほしかった。

例えこの体が、最後の一欠片になるまで痛め付けられることになろうとも。俺に一生分の幸福をくれた鳩子が助かるのなら、それでよかった。


――鳩子。俺は、此処で鳩子の為に死ねることを誇りに思うよ。俺の命はこの為にあったんだって、最後まで言えるよ。

少しも恨んだりしない。呪ったりしない。俺はこの心臓が止まるその瞬間まで、鳩子の幸せを望んでいるから。


(…………そうね。何も、迷うことはないわ)


だから、どうか。間違っても俺なんか選ばないでくれと祈るように、ぎゅっと目蓋に力を込めた。


けれど。その暗闇をこじ開けるような酷く優しい声で、鳩子は迷いなく、選択した。


(雁金総帥閣下、お願い致します。この子を……夜咫を、見逃してあげてください)


俺の為に、その命を捨てることを。鳩子は、選んでしまったのだ。


(鳩、子……。何、言って)

(……正気か、貴様)

(はい……。咎められるべきは、私の犯した罪です。どうか、私の身体と命を以て、償わせてください)

(ま――待ってよ、鳩子!!何で……どうして!!)


見開いた眼の中に映る鳩子は、馬鹿みたいに綺麗な顔で微笑んでいて。
これから手酷く嬲られ、ありとあらゆる苦痛の果てに殺されることが分かっているのに。それでも鳩子は、微塵も曇りない笑顔を浮かべながら、男の前に傅く。

それが、自分の体を切られるよりも痛くて。喉笛を締め上げられるよりも苦しくて。俺は堪え切れず叫んだ。


今ならまだ、間に合うから。今からでも、俺を捨ててくれれば、それで助かる筈だから。だから、そんな顔をして死のうとしないでくれと、俺は声を張り上げた。


(おれを、見捨てればいいじゃないか!!おれはここで、鳩子の為に死んだっていいんだ!!おれ……まだ鳩子に恩返し出来てない!!だから……今ここで!!)

(……言ったでしょ。恩返ししたいなんてのはね、大人になってから言うことよって)


だけど、鳩子はやっぱり、許してはくれなかった。


戦いたがる俺を優しく宥める時のように。鳩子は最後の最後まで、俺を踏み込ませなかった。

自分達はあくまで他人なのだから。本当の親子ではないのだから。そう本を読み聞かせる時のような声色で、鳩子は俺の希望を断裁していく。


(それにね、夜咫。あんたは、私とは何の関係もないんだから……恩返しなんてする義理、そもそもないのよ)

(やだ……鳩子……待って、鳩子……っ!!)


彼女もきっと、分かっていただろう。

何を言われたって俺は、割り切ることなど出来ない。無関係だと言われても、報いる義理などないと言われても。俺は、鳩子を手放せない。

そう分かっていても、彼女もまた、俺と同じように祈っていたのだろう。


どうか、何もかも忘れて、幸せに生きてくれ――と。


自ら死地へと赴いていく鳩子は、最後にとびきりの笑顔で、俺を突き放して行った。


(――ありがとう、夜咫。アンタは、私の自慢の息子よ)

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