カナリヤ・カラス | ナノ
乾いた風は、潮ではなく死の香りを運んでいる。
この星を殺した、長きに渡る戦争。それにより干上がった海の亡骸の上を、二隻の舟が進む。
一つは、流星軍が保有する巨大な舟。もう一つは、それに連結された金成屋のクルーザーであった。
「うーん、でけぇ舟ってのは眺めもちげぇな。やっぱ次はこん位の戦艦を買おうかね。カカカ」
流星軍の舟に招かれ、彼等と共に遺跡を目指すことになった金成屋一行は、目的地までの道程を甲板で過ごしていた。
クルーザーとは比べ物にならない巨大な舟は、体をうんと伸ばしている鴉が言う通り、見える景色も随分と違っていた。
相変らず辺りは砂、砂、砂。時々瓦礫だが。目に映る範囲がぐっと広がり、空の青と砂の黄が交わる境界線や、遠くで跳ねるサバクトビウオの群れもよく見えた。
しかし。それらを夢中になって眺めているのは、操縦の任から解放されて、眺望に専念出来るようになったギンペーだけで。
「…鴉さん、あまり楽しそうじゃないですね」
「……やはり、お前もそう思うか」
雛鳴子と鷹彦は、如何にも楽しんでいるという様子を取り繕っている鴉を見て、眉を顰めていた。
同盟の話が一段落着き、クルーザーを繋げて再出発してからというもの。鴉の調子はどうにもおかしかった。
それを感じ取れたのは、付き合いの長い鷹彦と、鴉という男を把握してきた雛鳴子だけで。
元々人の機微に疎いギンペーも、今日会ったばかりの流星軍の面々も、静かで穏やかな彼の異変には、気付く筈もなかった。
だが、普段荒々しく粗暴な金成屋・鴉は、大人しい時程恐ろしいものだと、二人は知っている。
何がどうして悪いのか。それまでは分からないが。
「あいつにしては今一つ乗り気ではないというか、なんというか……。何にせよ、あいつが珍しく楽しんでいるフリをしているなんて…異常だ」
いつも自分の欲望に忠実で、他人の意見など意に介さない鴉が、気乗りしない事案に乗っかり、更に楽しむ演技をしているなど。
彼を知っている人間からすれば、悪い予感がして止まない。
雛鳴子も、鷹彦も、知っているのだ。
鴉は気まぐれなではあるが、何も考えていない男ではない。彼はいつも腹の内に何か隠して、それをとんでもない時に出してくる。そういう男だ。
だから、来る時に迅速な対応が出来るようにと、雛鳴子と鷹彦はこの異変について、鴉が今潜ませている思考について考え――すぐに一つの可能性を見出した。
「…星硝子さんのことが、気になるんですかね」
殆ど考えるまでもなく、真っ先に浮かんだこれが、答えに違いなかった。
好色家の鴉が食指を動かさず、疎ましいと言いたげな眼で睨んでいた、名前から纏う色から口八丁までよく似た女傑。
星硝子がこの舟から現れるまで、鴉は二人の良く知る鴉であった。ならば、間違いなく原因は彼女にあるだろう。
そこに辿り着くのは容易いが、では実際、星硝子の何が問題で、鴉はあそこまで揺るがされているのか。それが分からなければ、何の意味もない。
二人は、向こうで地図を見ながら、団員達とあれこれ話しては、快濶に笑う彼女に視線を向けながら、思いついたことを考えてみた。
が、やはり気掛かりなところは、一点しかなかった。
「……本当に、よく似てますね…。顔は全然違いますけど……」
「なんだ、お前らもそう思っているのか」
「「!!」」
これしかないと呟いたことが思わぬ第三者に拾われ、雛鳴子と鷹彦は大きく肩を跳ねさせながら、声の主の方へと顔を向けた。
相手は、そこまでオーバーなリアクションをされたことを滑稽に感じているのか。いや、恐らく違うことを考えているのだろう。
改めて近くで見ても整った顔に、苦々しく歪んだ笑みを浮かべる彼に数回瞬きをしてから、雛鳴子はつい先刻知った男の名前を口にした。
「あ、えっと…孔雀、さん……?」
適当に手を挙げて会釈を返しながら歩み寄ってきたのは、先程鴉と交戦していた男。孔雀であった。
その眉目秀麗に見合わぬ険しい顔付きから、人に声を掛けることを余りしないだろう彼が、まさか此処で、この話題を拾って来るとは。
雛鳴子は驚いて未だ眼をぱちぱちとされていたが、鷹彦の方は先に、投げかけられた彼の言葉を手に取っていた。
「…お前らも、ということは……そっちも」
「あぁ。……あれだけ似通ってるっていうのに、気にしてないのは星硝子くらいだろう。あいつは、他人を有益か否かでしか判断しないからな…」
孔雀はそう言って、横目で向こうの星硝子を見て、口元をくっと吊り上げた。
露骨に現れている呆れと、それ以上に含まれているのは――信愛と言うべきだろうか。
ズボンのポケットから出した金の煙管を咥える孔雀の笑みには、間違いなく自身にとって重大であろう問題すらも気にせず、
目先の地図と近付きつつある遺跡に夢中の星硝子を、嘲りながらも慕わしく感じているのが窺えた。
愚かしいと思う反面、そこが好ましいというような。
「星硝子は、そういう女だ。あいつは、人間の余計な面を見ようとしない。
かといって、表面だけをなぞっている訳でもなく…原石を見抜くのに長けた眼をしているが故に、ただの石ころの輝きを疑わない。そういう、おかしな奴だ」
多少の毒気を持ちながらも、彼が星硝子に対し、深い信頼を抱いていることが、その言葉で汲み取れた。
彼と同じように、流星軍の面々も皆、彼女を心から信頼しているのだろう。
進路について話している団員も、何等かの作業の片手間に擦れ違い、その都度声を掛けてくる団員も。
この舟に乗り合せている、星硝子というリーダーに従う者は全て、彼女を信奉し、敬愛している。
だからだろう。流星軍の誰も、星硝子に鴉について問うことなく、目的地まで己の作業を全うしているのは。
「…審美眼もまた、よく似ているな」
「そうなのか。だが…あいつの方は、見たくもない面に捕らわれているように見えるな」
ふぅ、と独特の香りがする紫煙を吐き出し、孔雀は手すりに肘を乗せて一人、水平線を見つめる鴉に、また顔を歪めた。
隣で望遠鏡を借りてはしゃいでいるギンペーの横で、鴉が湿気た作り笑いをしているのが、初対面の彼にまで分かっているのだろうか。
鷹彦は、何も言えずにぼりぼりと首の後ろを掻いたが。その代わり、雛鳴子の口からはぼつりと、雨粒のような言葉が落ちてきた。
「………どうしてですかね」
透き通る青い瞳に、丸くなった黒い背中を映して。雛鳴子は責め立てられているような顔を、さっと足元へ向けた。
彼女をそうしたのは、恐らく鷹彦が、孔雀に何も言えなかったのと同じ理由だろう。
これまで生きてきて、色んなものを諦めて、色んなものを捨てて来た鷹彦は、ただ少しの気まずさを感じただけであったが。
未だこうした感傷に耐性のない雛鳴子は、軽く打ちのめされていた。
孔雀達が星硝子にしているように、鴉を信じてやれないことに。雛鳴子は、心を痛めていたのだ。
「そこまで似てるっていうのに……どうして、ですかね」
どれだけ共に歩んできた年月や道程が増えても。鷹彦も雛鳴子も、鴉を疑うことを止められない。
彼が何かを頑なに隠し続けていることを、分かっていながら問い質すことも、それを不明瞭なままに受け入れることも出来ない。
鴉に対する裏切りにも等しい自分の在り様に、雛鳴子は気を落としていた。
こんな自分だから、鴉も何も語らず、あんな風に笑っているのではないかとさえ、彼女は思っているのだろう。
少なからず、同じことを感じて、ほんの少しだけ居た堪れなかった鷹彦は、やはり何も言わずにいた。
そんな二人を、孔雀は同情するような眼差しで見ていたが――やはり彼も、鴉という存在が気掛かりなのか、すぐに視線を向こうへと戻した。
孔雀は、星硝子を信頼している。だからこそ、彼もまた、鴉に疑心を抱いていた。
星硝子が、自分とよく似ているあの男を気にも止めていないことには、納得している。
だが、孔雀自身が、星硝子と鴉が似ていることを、疑問に思わずにはいられなかったのだ。
よく似た他人で済ますには、鴉の態度には怪しい点が窺える。おまけに、彼の連れである二人までもが、鴉の様子はおかしいと見ているのだ。
彼が、自分達や星硝子ですら知らない何かを知っていて。その上で、何か隠し立てているに違いない。
そう判断した孔雀は、一人真実に迫るべく、鴉の観察に徹していた。
そんな彼に構うこともなく。当事者である筈の星硝子はというと。
「進路、異常なーし。コンパス、狂いなーし。この調子なら、もう直に目的地に到着出来そうねぇ」
「星姐さん!飲み物持ってきました!」
「おっ、気が利くわねケン!ちょーど喉乾いてたとこなのよ」
「へっへ。何せ俺は、星姐さんの左腕っすから!」
打ち合わせを終えたとこで、ケンが待ってましたと言わんばかりに差し出してきた、レモンスカッシュを実に美味そうに飲んでいた。
炭酸の効いたレモンスカッシュは、砂漠の乾きにやられた喉を、その酸味と刺激で気持ちよく潤してくれる。
グラスに入った氷で、キンキンに冷えているのもまた、高ポイントである。
まさに求めていた飲み物を、絶好のタイミングで出されたと、星硝子はストローでちゅーちゅーとレモンスカッシュを啜りながらケンを褒め。
それに対し、ケンは当然と胸を張りながら、姐さんと呼び慕う彼女の賛辞に顔を輝かせていたのだが。
「ちょっと、誰が星姐様の左腕よ!」
その小さな体で間を縫うようにして介入してきたコマチを見るや、即座に輝きは散り散りとなり、代わりに忌まわしげな陰が、皺寄った彼の眉間に集まった。
それにも臆すことなく、コマチはひしっと星硝子がグラスを持っていない方の――偶然にも左の――腕に抱き付いて、キャンキャンと甲高い声で牽制しながら、ケンを睨み付けた。
「アンタなんか星姐様の髪の先すら烏滸がましいわよ!大体、星姐様の左腕は、私が担当するんだから!」
「んだと豆コマチ!お前なんかチビ過ぎて星姐さんの腕に合わねぇよ!足の小指の先担当でもやらせてもらえりゃ万々歳だ!」
「なぁあんですってぇえ!!」
「まぁまぁ、二人共ケンカしないの」
流石に喧噪に眼を引かれ、雛鳴子も鷹彦も顏を其方へ向けて呆然としている中。
適当に二人を宥めながらも、依然レモンスカッシュを啜り続ける星硝子や、「でも星姐さん」「でも星姐様」と仲良くシンクロしては、
またいがみ合う二人を見て、孔雀はどっと溜め息を吐いた。
それで何となく。彼の流星軍での役回りが見えてきた鷹彦は、額に手を当てる孔雀に、少しばかしの同情を込めて声を掛けた。
「……なんで左腕で論争してるのかと思ったが、あんたが右腕か」
「…まぁ、そういうことらしい」
孔雀は舟の手すりでカンカンと煙管を軽く叩いて、また深く息を吐いた。
自分が彼女の右腕として散々に酷使されていることや、左腕のポジション争いに悩まされていること、その他諸々の疲労が、それに全て込められていて、
雛鳴子も鷹彦も、心中お察しすると、眼を細めた――その時だった。
「う、うあああああああ?!!」