カナリヤ・カラス | ナノ
私に帰る場所なんて、最初からなかった。
「う、ぇえ……えぇええん………」
「うるせぇ!!ビービー泣いてんじゃねぇぞ!!」
「ひっ、うぅぅ……」
物心ついた時には、父から当たり前のように暴力を受けていて。
泣き叫ぶことを止めることが出来るようになるまでは、痛め付けられた体を虫のように丸めて、部屋の隅で眠っていた。
「雛、コンビニいってきて。私達の分のご飯、これで買ってきてね」
「………分かった」
そんな私に、母は興味を持っていなかった。
名前を呼んでくれることはあっても、母が私をきちんと見てくれたことなんて無くって。
それでも、たまに思い出したように母親らしく料理を振る舞ってくれたり、伸びた髪を整えてくれたりしていたから、母はやっぱり私の家族なのだと、そうあの日までは思っていた。そう、信じていた。
「なんだぁ。残ってんのはこのガキだけかよ」
「母親はどうした?」
「どうやら昨日の夜に逃げ出したみてぇで……」
父の借金のカタに身売りされる話が出たその日のうちに、母は私を置いて逃げた。
我が身可愛さに、自分の子供である私を生贄にして。母は、最後の言葉を掛けることも、行き先を告げることもなく消えた。
そこで私はようやく気が付いたのだ。
私は、父にとっても母にとっても価値のない人間で。どれだけ近くにいても、所詮血が繋がってるだけの他人に過ぎなくて。その心の中に、私は居付けなくて。
この世界で私は一人だということを。あの時、私は認めざるを得なかったのだ。
「オイ!!ガキが逃げたぞ!」
「何してやがんだ、追いかけろ!!」
思わず逃げ出してしまった時も、宛てなんてなくって。
運良く逃げ延びることが出来ていたとしても、私には何処にも居場所なんかなくって。だから――。
「ここに五千万あんだけどよぉ、こいつが売られた値段だけ持って行ってもらえねぇか?ヤクザさん」
あの人に買われた瞬間。私は不覚にも、愚かにも、期待してしまった。
ようやく自分は、誰かの中に羽を下ろすことが出来たと。あの人の巣に迎え入れられた時も、そう思ってしまったのだ。
「えっと……お邪魔、します」
「ま、これからただいまになんだけどなぁ」
この人は、世界で誰より信じてはいけない、油断してはいけない、望みなんて託してはいけない。そう思っていながら、私は――あの人の巣に、金成屋に、心を寄せてしまっていた。
其処は私の帰るべき場所なんかじゃないし、あの人は私の敵だと、そう分かっていたのに。
「帰んぞ、雛鳴子」
「……もちろん、そのつもりです」
どうして私は、また繰り返してしまったのだろう。
何故、都合が悪くなれば突き放されると分かっていながら、また眼を逸らしてしまったのか。
何故、不穏の影を見たくないものとしてしまう程の位置に、あの人を置いてしまったのか。
何故、裏切られたなどと思ってしまう位に、あの人を信じてしまったのか。信じたいと、そう思ってしまったのか――。
「……………」
目を覚ますと、見慣れない天井が視界に映った。
自分は今、何処にいるんだったか。
そう思ったのも頭が冴えるまでの数秒で。すぐに雛鳴子は、此処が都の第六地区にある廃墟の中だと再認識した。
鴉のもとを勢いで飛び出したところで、行く宛のなかった雛鳴は、都へ向かった。
ゴミ町にいる間は、彼の存在が嫌に近くに感じられてしまい、堪えられる気がしなかった。
だから壁の中に入って、其処で一晩、雛鳴子は考えることにした。自分がこれから何をするべきか、何処に向かうべきか。
取り敢えず夜を明かす場所が必要なので、雛鳴子は故郷である第六地区にある廃墟村へと足を運んだ。
廃墟村は、かつて大規模な火災が起こり、その際燃えた家々がそのまま放置されている場所だ。
其処で生きていた人間は殆どが灰と化してしまい、家主を失った家々は、撤去改築も行われず、ただ放置されている。
そんな場所故に、寄り付く人間と言えば肝試しに来た物好きか、雨風凌ぐ場所を求める浮浪者しかいないのだが。
まさか自分が此処で一夜を明かすことになるとは、と、雛鳴子は此処に来る前、ホームセンターで買ったレジャーシートから体を起こした。
何せいきなりのことだったので、当然手元には、常日頃携帯している武器と、僅かな身銭しかなく。
寝床用にレジャーシートと、夜食にとスーパーの半額惣菜と飲み物を買うのが限界だった。
幸いにも、廃墟村には屋根のあるアパート跡があり、時期的に寒さとも無縁だった為に、それで一晩凌ぐことは出来た。
治安面については、周囲に得意のワイヤートラップを仕掛けることで解決し、その警戒も杞憂となり、何事もなく朝を迎えられたのだが。
今日が限界なのは、雛鳴子もよく分かっていた。
こんな暮らしは、今日限りで終わりだ。涙が出そうなくらいに頼りない手持ち金だけで、自分のような子供が一人で生きていける程、この世界は甘くない。
だから、今日。全てに決着をつけなければならない。
雛鳴子は解いて手首に嵌めていたヘアゴムでぎゅっと、髪と、腹を括った。
怒りと悲しみは時間が薄めてくれた。自分で言うのも何だが、今はかなり落ち着いている。
すぅと深く息を吸い込んで、雛鳴子は決意した。
これから自分が進むべき道に立ちはだかるものを、必ず打ち倒してみせると。
雛鳴子はガラスのない窓の向こうに広がる景色を見ながら、強く手を握り締めたのだった。