カナリヤ・カラス | ナノ



「やぁやぁ!まさか君の方から来てくれるとは思いもしなかったよ、僕の花嫁!!」


第一地区に自分のような人間が立ち入れるものかと、些か疑問であった雛鳴子であったが、その問題は存外容易く解決した。

民間人の立ち入りが可能とは言え、まるで別世界と言える程に整えられた第二地区の街並みに急かされながら、
第二地区と第一地区を区切る門の前まで辿り着いた雛鳴子は、どう警備員に通してもらおうかと考えていたところ、まさかのまさかであちらから声を掛けられて。

青嵐山様に御用かな、などと言われたかと思えば、アッという間に迎えの車が来て。そのままトントン拍子で雛鳴子は瑠璃千代のもとへと到達した。


恐らく、彼が雛鳴子のことを警備員に話していたのだろう。
万が一に備えて、というより、こうなることを予測されていたようで、雛鳴子は些か底気味悪かった。

この男は、その言動から頭が悪いように思えるが、実際はその逆で、中々に狡猾で周到だ。それは、先日の商談で把握している。

それにしても、こうも上手いこと運ばされると、腹を掻き回されたような気分に陥る。


雛鳴子は顔を顰めながら、明るい笑顔を咲かす瑠璃千代を、じとっと睨んだ。


「……その呼び方は、やめてもらえますか。私には、雛鳴子って名前が…」

「おっと、そうだな。君は今日から僕の伴侶となるんだ。花嫁と呼ぶのもそう時間もないことだしな」

「あのですね………」


無論、雛鳴子の言葉が含む意図は、瑠璃千代の解釈とはまるで異なる。

「僕の花嫁」などという歯の浮く呼び方をやめろと言ったのは、彼女が名前で呼んでもらいたいといういじらしい気持ちで言った訳ではなく、
自分は貴方の花嫁になんかならないのだから、やめてほしいという意味だ。


そう、雛鳴子は瑠璃千代の求婚を、改めて断る為に此処に来ていた。

確かに、鴉の言った通り。瑠璃千代のもとに嫁ぐことは、およその人間が幸福であると、そう言うだろう。
だが、例え世界中の人間が口を揃えてそう言ったとしても、雛鳴子当人がそうでないと思ったのならば、それは幸せなどではないのだ。

会って間もなく、好意も信頼もなく、どうにも会話が成り立たない相手と生涯を共にする。
その選択を雛鳴子は許せない。だから、彼女は面と向かって、瑠璃千代に断りを入れる為に此処に来た。

あの男に――鴉に奨められたのが気に入らないのもあるが。何より雛鳴子は、瑠璃千代を好いていなかった。


そもそも、自分がこうもいらぬ苦労をすることになったのも、彼が原因だ。

だから、正直に、はっきりと言ってやるのだ。私は貴方とは結婚する気など微塵もない、と。
言って、純貴族をコケにしてくれたなと手酷い目にあったとしても構わなかった。

どうせ何処に行っても、そうした顛末を辿ることには変わりないし、見逃されたとしても自分にはその先がないのだ。
やるならやってくれ。それでも私は、噛み付くことをやめない。

その覚悟を決めた雛鳴子だが、彼女の想いを口にすることを許さない勢いで、瑠璃千代はぺらぺらと口を動かし続けている。


「いやしかし、君が僕のもとに来てくれて本当に嬉しいよ雛鳴子!この僕が相手となれば、事を急いて駆けつけたくもなるだろうが、その健気さが実に喜ばしい!」

「あの、瑠璃千代さん?貴方、まだ何か勘違いされて……」

「僕もいち早く君を迎えに行きたい衝動を堪えていたという甲斐があったものだ。君の想いをこんな形で受け取ることが出来て、僕は心の底から感動しているよ!あぁ、今日はなんて素晴らしい日なのだろう!」

「あの!」


相変らず演技掛かっているかのような隙の無さと勢いの強さに、せっかくの決意も塗り潰されてしまい掛けている。それでも負けじと、雛鳴子は声を上げた。
何としてでも瑠璃千代に、自分の意志を伝えなければと。


しかし、次の瑠璃千代の一言で、雛鳴子は再び思い知ることになる。自分が既に、瑠璃千代の檻の中に囚われているということを。


「これで、心置きなくゴミ町も燃やすことが出来る」

「………は?」




一瞬、瑠璃千代が何を言っているのか雛鳴子は理解出来なかった。

だがすぐに彼女の頭の中で、見落としていたものと瑠璃千代の言葉が繋がって、真実味を加えて圧し掛かってきた。


(見た感じ、此処の人ではないですよね。見ての通り、此処らは治安よくないので……道に迷ってるんだったら、案内しますよ)

(第六地区に視察に来ていた僕が、あの堪え難く悪い空気の中で思い悩んでいたところに、何も知らない君は声を掛けてくれた)


そう、思い返せばおかしかったのだ。

純貴族である瑠璃千代が第六地区なんかにいたことも、其処で困っているかのように見える程に思い悩んだ顔をしているのも。

彼のストーカー行為の前にすっかり隠れてしまっていたが、異常だったのだ。瑠璃千代があそこにいたこと、それ自体が。


「この僕の妻となる君にだから、特別に教えてあげよう、雛鳴子」


鴉達は気付いていたのだろうか。いや、余りに急にことが進んだせいで、勘付いたとしても時間が掛かっただろう。

瑠璃千代が口走った「視察」とは、ゴミ町を焼き払う為のものだということに。

最初から自分達に選択肢は残されておらず、雛鳴子を渡したとしても、死ぬという末路を辿ることになるということに。


「大戦終結から長らく、天奉国は恒久の平和を願い続け、堅牢無比の壁の中で人々が平和に暮らすことを目指している。
ところが、だ。それを壁の外にいる非国民が脅かし、この平穏の砦を打ち崩さんとしている。
その脅威を国は許してはならないと考えているが、考えているだけで行動に移す人間というのはそういなくてね。大概の者は机の上で対策案を練って、それで終わる。
だが、僕のように真にこの国の安寧を願い、壁外の悪を…弾かれた民を駆逐せんとする者もいる」


瑠璃千代の言っていることは、都の人間から、天奉国民からすれば筋が通っているように思えるが、実際その理論は破綻している。

壁の外にいる人間達が、都の人間に対し干渉しようとするのは、彼等が国から理不尽に弾かれ、虐げられたからだ。
例え先祖に罪があったとしても、だ。寧ろ暮らしを脅かされているのは此方と言ってもいい。

現に先日起こったあの事件にしても――と、近い記憶を捲ったところで、雛鳴子はもう一つ、気付いてしまった。


瑠璃千代は、天奉の為に弾かれた民を駆逐すると、そう言っていた。

ゴミ町を闊歩することも可能にする護衛を有し、その手を軽く翳しただけで巨万の富と兵力を動かせる身分である彼が、率先して、都に攻撃を仕掛ける壁外の人間を。


「僕らは自分が持ち得る財産を力ある協力者に投資し、悪の芽を根から焼き払う計画を進めていたんだ。
その為に、弾かれた民が出入りする第六地区に出向いたりしてみたけれど……その甲斐あって、君をあそこから救うことが出来た」


つまり、あの一件には、彼も関与していたのだ。

一つの村の住人全てを、いや、それ以上の数実験台にし、その果てに出来上がった兵士をゴミ町に導入した、テロ対策のドーピング・ドラッグ。
それを開発したのは都の製薬会社だが、彼等が誰の保護のもとにそのような非人道的実験に取り組み、誰の支援を受けてその実験費用を賄っていたのか。答えは此処にあったのだ。

多くの女性が被害に遭い、部下を徒に殺された燕姫が怒りに震えたあの一件。それを引き起こした一因が、この男で。
そして彼は今、ゴミ町を火の海にしようと目論んでいる。その為の準備を、悪意と財と権力で整えて――あとは、発火のスイッチを押すだけであった。


「あそこにいるのは須らくゴミだ。誰かが拾い上げることがなければなんの価値もない、屑と塵の集まりだ。
そんな場所に君のように顏も心も美しい者が引き摺り込まれていた…それを救い出すことが出来ただけで、僕は計画に加わった意味があったとそう思える。
だから、君が僕の想いを受け入れてくれたことが、本当に嬉しいんだ」

「ちょ、ちょっと待ってくだ……」

「もし君が、僕との結婚を断りでもしたら。その時は、あの町のゴミ共と一緒に燃やし尽くしていたからな」


抗う声は、耳元で囁かれた言葉によって粉砕された。


必ずやこの男を論破してみせようとする意志など、最初から意味はなかったのだ。

純貴族という地位に護られた男を前に、その体と心意外に何も持っていない哀れな少女が、勝てる訳がないのだ。


生まれながらの勝者である瑠璃千代が望めば、それは叶えられて然りである。

そうならなければ、そうならなかった時の要求を通せばいい。だから、必然的に彼の望みは叶えられる。


尤も、二番手の欲求で妥協など、そうそうしたいことではない。故に、瑠璃千代は雛鳴子に脅しを掛けた。

自分の求婚を断るのであれば、その時は殺すと。愛していると言いながら、恋い慕っていると謳いながら、彼は平然とそう言い捨てた。


忌み嫌うゴミ町に住まう雛鳴子だけを特別視していることも、彼女に深過ぎる愛を抱きながらも殺すと言ってのけることも、矛盾している。まるで理に適っていない。

だが、それでも瑠璃千代にとっては何も間違っていないし、全て正しいのだ。


「っと、すまない雛鳴子。僕は改めて計画の打ち合わせをしてくるから、少し待ってていてくれ。何、すぐに戻るさ」


彼が思うこと。それこそが彼にとっての正しさであり、実際にそうしてみせる力が瑠璃千代にはある。

どれだけ足掻こうと、傷だらけになって戦おうとも、結局何一つ掴めていない雛鳴子とは違う。


「あとはもう、僕の合図一つであの町は終わる」


そう言って、手に取った一房の髪に口付けると、瑠璃千代は御付を連れて部屋を出た。

その背中に蹴り掛かることも、何か叫ぶことも許されず。雛鳴子は、絶望的な力の差を前に立ち尽くすことしか出来なかった。


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