カナリヤ・カラス | ナノ


巣という物を最初から持たなかった自分は、落ちたとは言わないのだろう。


しかし、だからといって其処が地獄であることには変わらず。

安寧の欠片もないあの町の中。私は、犇きあうゴミのように、落ちていたのだ。





見上げた空が濁り気のない青をしているのは、やはり空気が違うからなのだろう。

買い物の用で都の第四地区に足を運んでいた雛鳴子は、ゴミ町の仄暗い空とは違う、眼が焼けそうな程に青い空を見て、そう思った。


思わず手を翳したその先には、背の低い建物が多い第四地区の中で取分け高い、白い塔が聳え立っている。
都には、摩天楼が群れる都心から、壁端の住宅街に至るまで、先人が生み出したテクノロジーによって開発された空気清浄機の塔が建てられている。
名はそのまま、清浄塔、と言われている。覚えやすいことだと、雛鳴子は初めてその名前を聞いた時からそう思った。

清浄塔の数は勿論、中心部程多く、雛鳴子のいた第六地区では、話には聞くがどこにあるのやらという程度にしか建てられていない。
だから自分のいた町はあんなにも暗かったのだと、雛鳴子は納得した。

中心部の人間達のことを嫉んだり羨んだりすることにはもう飽きていたというか、この分かり易い格差に、呆れてすらいた。


ともあれ、都内で年中静かに稼動音を上げる清浄塔は、大戦の弊害により発生し空を覆った汚れた空気――ついでに工業廃棄ガスや光化学スモッグを吸い込んで
品種改良によりに空気清浄能力が特化した植物で作られたナノファイバー製の特殊フィルターで、大気の汚れを濾し取るのだという。
小学校で習った光合成の仕組み、みたいなものらしい。

特殊フィルターは光を照射することで二酸化炭素を始めとした有害な空気を恐ろしく吸い取り、そのフィルターが幾重にも搭載されている中を汚れた空気は通り、
やがて綺麗になった空気が供給管から排出されていくのだという。

しかし、この特殊フィルターを作る為にとんでもない費用が掛かり、またこれも汚れれば取り替えなければならないので、清浄塔はただ闇雲に建てたところで空気が綺麗になってくれるものではない。

塔を動かす電力も馬鹿にならないし、どれだけ塔が稼動しても、その側から人間が空気を汚し続けているのでどうにもならない。
先日買った本にそう書かれていただけで、雛鳴子の理解はその程度に留まっている。
だが、それでも何となくは分かった。


都の人間というのは自分達のことで精一杯で、周りは勿論、未来のことなど何も考えていないのだということが。

いや、都の人間だけではなく、壁の外にいる自分達とて変わらない。
今この時代を生きる人間達は、いつか滅びる運命にあったとしても、今自分達が生きれるのならそれでいと思っているに違いないのだ。


海が死に、土地が死に、空すらも死にかけているこの時代。

百年にも及ぶ戦争なんて馬鹿なことをしでかしてくれた先人達が遺したテクノロジーに齧り付いて今日を凌ぐ。人類は、そうして生きる他にないのだ。

生ゴミを漁って生きることと何が違うのかと問われても、きっと何も変わらないと答えるしかないだろう、不様な生き方である。


そんなことを思いながら、雛鳴子はいつも馴染のスーパーマーケットへと入った。

第三地区にもあるチェーン店だけあり、商品の安全は保障され、それでいて安値なのが気に入っていた。
袋を持参していればいくらか値引きされるので、いつもの買い物用バッグを持って、雛鳴子は復元された野菜や培養家畜の犇く店内を回った。



「ありがとうございました」


昼過ぎということで客足が落ち着いていたので、レジはすんなりと通過出来た。

今日は野菜炒めと揚げ豆腐の甘酢あんかけに、大根の味噌汁を作ろうと買った物をバッグに詰めて、ふと雛鳴子は壁に貼られたあるポスターに目を向けた。
都内全ての店舗共通で、ポイントカードを使った福引をしているという宣伝ポスターだった。

そういえばそんなこと店内放送でもやっていた気がする、と雛鳴子はそれとなく、手元を動かし続けながらポスターを読み進めた。

カードに貯まったポイントを五ポイント分使って一回籤を引き、見事当たりが出れば豪華賞品、とのことだった。


このスーパーのポイントカードは買い上げ額・百ごとに一ポイント貯まるので、一回辺りの額は五百相当になる。
普段ならばこのポイントは、百ポイント貯めると五百分の値引きになるシステムなので、一ポイントが占める相応の値を考えれば、籤引きをする方が遥かに得に感じられる。

しかし、あくまで籤は籤である。当然外れが存在し、当たったとしても意中の商品でない場合などまさに悲惨なものである。

そもそも豪華賞品というのはどんなラインナップなのか、と雛鳴子はつつ、と視線を下ろし、商品一覧を見た。


一等、最新薄型六十インチBD内蔵機能つきテレビ
二等、特上ブランド米アキノホマレ一年分


雛鳴子の中で何かが動いた。




「いらっしゃいませ。福引のご利用ですね!」

「……五回分、お願いします」


雛鳴子は特設カウンターの店員に、ずいとポイントカードを渡した。

こつこつと溜めてきたポイントが思わぬ浪費となってしまったが、彼女の頭には「二等が欲しい」。これしかなかった。


ぶっちゃけ一等のテレビなど心底どうでもよかった。三等以降も気にならず、ただ二等の特上ブランド米の為に雛鳴子は尊いポイントを投じた。

何せ生まれてこの方しがない貧乏生活だった彼女である。口にしてきた米のレベルなどたかがしれている。
それでも彼女なりには美味しいと思っているのだが、では特上ブランド米はどれだけ絶品なのかという話である。

アキノホマレというまるで競走馬のような名前のその米は、彼女も知っていた。
よく夕方ワイドショーのグルメコーナーで、第二地区の上級料理店で名前が出されているのである。
夕飯に使う空豆をせっせと剥きながら、炊き上がったばかりのアキノホマレの上に見たこともないような巨大な海老の天麩羅が乗っかり、極上の甘ダレが掛けられていく様を見た時のことを雛鳴子はよく覚えていた。

屈辱だ、と思うと同時に、あれを食べたいという気持ちで胸がいっぱいだった。

まるで一粒一粒が宝石のように煌めく白米。そこに、あれほど大振りなものは用意出来ずとも、海老とかき揚を乗せて、麺つゆを使って作ったタレを掛ける。
そんなことが出来たらいいな、とひそかに願い続けた果てに、その憧れの米の名前を出されては、引ける訳もなかった。

雛鳴子はごくり、と唾を呑み込み、籤箱へと手を伸ばした。ちなみにこの唾は緊張で出たものであり、決して天丼を思い出してのものではない。


「……お願い、します」


雛鳴子は幸運の女神がどうか此方に米俵を持ってきてくれないかと祈りながら、悩みに悩みながら選んだ五枚を店員に渡した。

店員は笑顔でそれを受け取ったが、目の前で超級の美少女が真剣に籤を引いているので、正直困惑している。

それでも笑顔を崩さないのは、この店の接客教育の為せる技なのだろうか。店員はいつものように籤を剥がし、当たりか外れかをチェックしていく。
その様子を見守りながら、雛鳴子は頭の中で「二等、二等、二等」と連呼した。これ程必死に祈って狙いが米だとは、誰も分かるまい。

店員も余程テレビが欲しいのかな、なんて思いながら籤を開いていく。

一枚、また一枚。色よい反応なく籤が開いて落ちていく。
たかが五枚に賭けたチャンス。まさか当たるとは思わないが、出来ることなら勿論当たってほしい。

今年の運勢全て注ぎ込んでもいい。というか寧ろこれまでの人生が不幸で出来てるんだからこの位の幸運よこせと雛鳴子が籤を睨む中。

最後の一枚を開いた店員が「あ」と一声漏らした。


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