カナリヤ・カラス | ナノ


「あれ、雛ちゃんまだ戻ってないんすか」


一方壁の外、ゴミ町金成屋。

使いパシリに出されていたギンペーが事務所へ戻ると、其処にはいつものように机でふんぞり返って卑猥な雑誌を呑気に捲る鴉と、やはりいつものように淡々と書類を整理している鷹彦がいた。

其処に自分が加わったことで男三人。実にむさ苦しい光景になってしまったなと思いながら、ギンペーは自分のデスクチェアの背もたれを引いた。

いつもここに華を添えている存在がいないだけで、こんなにも空気が淀むものか。
鴉と鷹彦が無遠慮に煙草を吸いまくっているのもあるだろうが、唯一の女性従業員である雛鳴子がいればその空気も浄化されるのだなとギンペーは思った。
何せ、華にしては雛鳴子は極上である。ただ其処にいるだけで室内の明るさが五割増ししたように思え、充満したきついニコチンの匂いも、あのプラチナブロンドから漂うシャンプーの香りに粉砕されたと感じさせる、超級の美少女。
その存在感はこの薄暗い事務所にとって非常に大きいだろう。

まるで実家に飾られていた花瓶の中の百合のようだと、家にいた頃はなんとも思わなかった花のことを思いだしながら、ギンペーは引出から報告書を出した。

彼が外に出払っていたのは、彼一人でも出来る程度の、まさに大した用件でもなかったのだが。それでも仕事には違いないので、律儀に書くことにしたらしい。
その点について鴉も何も言わないので、ギンペーはボールペンを走らせ、お世辞にも綺麗とは言えない字を書き綴る。


「まぁ第四地区まで仕事ついでにスーパー行ってるからな。車とはいえ戻りもそれなりに遅くなんだろ」


かりかり、ボールペンの先が紙を引っ掻く音がする中、くぁと欠伸していた鴉がややあってギンペーの言葉に返答した。

常日頃からかっている相手がいないせいか、鴉は非常につまらなそうな眼をしていた。
話によれば雛鳴子がここに来たのは三年前。それ以前の鴉は常にこんな調子だったのか、とギンペーはふと疑問に思ったが。得る前と得た後では感覚も変わるだろうし、この男のことだから、以前は以前で何かしらいい玩具があったのだろうと早々に自己解決した。
この点に関してあれこれ想像するのは何か心臓に悪かったので、ギンペーはまた雛鳴子のことに思考を向けた。

自分よりも先に仕事で店を出た雛鳴子。鴉の言う通り、今第四地区のスーパーで買い物しているのなら、と考え、そこで頭が止まった。


「雛ちゃんがスーパーかぁ……なんか想像出来ないな」

「見た目からして浮くこと間違いねぇよな。何せあの面で必死に肉だの魚だの睨み付けるようにして選んでんだからよ」


常々ギンペーは思うのだが、雛鳴子は見た目と立場が、まるで合っていない。
見る者全てを魅了するようなあの破格の美しさは、どう考えてもこんな町で性奴隷になるか否かの勝負の為に金貸しをして、第四地区のスーパーで特売品はないか値引き品はないかと眼を凝らしている見た目ではない。

自分のいた第二地区か、或いはそこよりも先。選ばれし者だけが住まう第一地区で、高級ブランドを身に纏い、高層ビルの五つ星レストランで優雅に食事をしている方が遥かに似合っている。

しかし彼女は生まれも貧乏、育ちも貧乏。好きな野菜はもやしとキャベツときているのだから分からない。
スーパーで彼女を見る人達も、どこぞのお嬢様が家出でもしているのかと勘違いしそうだなんて思いながら、悲しいことにパシリ姿が板についてきた正真正銘のお坊ちゃんは、「今日のご飯何かなぁ」と期待に胸を膨らませていた。
その時だった。


「ただいま戻りました」



ガララ、と引き戸が開いたと思えば、蛍光灯の下で輝く白金の髪に肌理細かく白い肌が室内を明るくした。

あぁ、やっぱりいると違うなぁとギンペーがぼんやり思っていると、鴉が雑誌から顔を上げた。


「おう、思ってたより早かったな」


そういえば鴉が手にしているのは表紙からしてアウトなそれではなかったかとギンペーは横に視線をずらしたが、鴉がその手の物を出しているのはいつものことなので、雛鳴子も一瞬顔を顰めただけで何も言わなかった。
言わなかったところで、まず鷹彦が何かしらの異常を察知した。次いで鴉が「ん?」と自分が持っている雑誌を確認した。

二度見するまでもなく、開いたページでは、ほぼ裸の女が顔にあれやこれや浴びて媚びたポーズを取っていた。

いつものこと。だが、いつもならば、雛鳴子は「またそんなもの持ち出してきて!」と怒鳴り出すだろう。しかし、雛鳴子は何も言わずにいた。

雛鳴子が戻ってきた時の反応はどんなものかと期待して、表紙が相当ドぎつい物を選んできたというのに、鴉の期待していたように耳まで真っ赤にすることもなく、雛鳴子は重々しい顔付きをしていた。


この空気でギンペーもようやく違和感に気付いた。

なんだ、何事だ、と誰かがこの奇妙な空気に眉を顰める中、雛鳴子はブーツの底をかつかつと鳴らしながら前進した。

向う先は、鴉であった。


「……どうした、お前」


鴉は雑誌を閉じ、雛鳴子に視線を合わせた。

雛鳴子自体はいつも通り、と言ってもいいだろう。店を出る前と変わらず、不機嫌そうな目つきをしていて、それでいて麗しかった。
しかし、その表情というか、身に纏う空気が何かおかしい。

それを探るようにしばらく鴉は雛鳴子の眼を食い入るように見ていたが――やがて、雛鳴子が視線をふいと背けた。
逸らしたその顔は真っ赤、という程ではないが、仄かに赤かった。

益々何が起きているのか分からないと唖然とする鴉らを前に、雛鳴子は少しもどかしそうに口籠り、やがて思い切ったようにばんっと何かを鴉の机に叩き付けた。


「……なんだ、これ」

「……今日、スーパーの福引で当てまして」


鴉は視線でそれとなく許可を取り、雛鳴子が叩き付けたものを手に取った。

ぺら、としたそれは、紙であった。数は四枚。短冊に似た形状のそれには、でかでかと、めでたそうな色合いで文字が書かれていた。

鴉はじろりと訝しむ動きで眼を動かし、なぞるようにしてその文字を読み上げた。


「大型健康ランド湯夢の国(ゆめのくに)、無料券…?」

「……二等のブランド米一年分狙ってやったら、三等のこれが当たったんです」


そう、雛鳴子が引いた五枚の籤。その最後の一枚は当たりだったのだ。

目当ての二等ではなく、目も当てていなかった三等。健康ランドの無料チケット四人分が。


「聞いたことがあるな。確かCMで……」

「あぁ!あの第三地区に建ってるでっかいとこだ!」


思わず席を立ってチケットを見に来た鷹彦とギンペーはその名前に覚えがあったようで、そこで鴉も「あぁ、あれか」と、なんだこのふざけた名前はと顔を顰めた施設のことを思い出した。

二人の言う通り、湯夢の国なる大型健康ランドは第三地区にある非常に巨大な施設である。
湧き上がる天然温泉を利用して作られた物で、CMでは温水プールならぬ温泉プールがあると銘打っていた。

中は基本的に男女で別れるが、その温泉プールは水着着用が認められているので、有り難味は低いが混浴状態になっているそうだ。
しかし目玉はその広大な施設を利用して設置された多種多様な湯や、サウナにある。
薬草を使ったいかにも体の血行がよくなりそうな湯から、乳白色の美肌風呂、そして五種類以上のサウナがあるとかで、健康ブームの昨今、年中通して非常に繁盛しているとのことだ。


「またすげぇもん当ててきたもんだな。狙いは外してきたみてぇだが、悪くねぇ当たりじゃねーか」


鴉が皮肉を込めながらも、珍しく関心したように言うと、後ろ手を組んでいた雛鳴子がまたさっと顔を逸らした。

ここにきてようやっと、鴉と鷹彦は雛鳴子が何故こんな様子なのかを悟ったが、「すげーすげー」と連発しているギンペーには何も分からなかった。

事情を呑み込めにやつく鴉を前に、雛鳴子はばつが悪そうな顔をしたが、言わねばならないのだろうと、やがて意を決した。


「……スーパーだから家族分っての考慮して四名ご招待らしくて……その…調度四人なので」


鴉が今にも吹き出しそうな中、鷹彦もさっと口元を隠すように軽く握った拳を顔の前に宛がった。

そこでようやく、はしゃいでいたギンペーも頭に?を浮かべだしたが、その頃にはもう答
えは出されてしまった。


「……皆で行きませんか、此処」


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