カナリヤ・カラス | ナノ


半開きになったままの口を閉じることも忘れて、少女は茫然と、前に立つ男を見た。

狭い路地の中に立つ、若い男。それが、少女が激突したものだった。

光に当たるとぬらりと光る黒髪に、真っ黒な服、煤けたような色をした薄手のマフラー。
全身黒ずくめでありながら、此方を見下ろす眼だけは血のように紅い。
その姿は、少女の頭にある鳥を思い浮かばせた。


――カラス。


そう、男はカラスに似ていた。ゴミ山に集り、我が物顔でかぁかぁと鳴く、あの黒い鳥に。


「……お前ら、ヤクザもんか?」

「まぁな。そこのガキは父親の借金のカタにともらってきたんだが、上手いこと逃げ出しやがってよ」


ざり、と砂利を踏んで、追手の男が此方に一歩近付いて来たところで、このカラスのような男に対して怒りが湧き上がってきた少女は、歯噛みした。

この男さえいなけらば、自分は逃げ切れたのに。そう考えるだけで腸が煮えくり返るようで、少女は堪らず声を張り上げた。


「畜生!! お前さえいなければ、私は逃げ切れたのに!!」


そう叫ぶと、男は口に咥えていた煙草を手に、すぱぁっと紫煙を吐き出した。そうしながらも此方を見下ろす男の眼は、思わず竦み上がる程に獰猛で。少女は、後に控えていた言葉を唾と共にごくりと飲み込んだ。


男は、少女がこれまで見てきたどの人間とも違っていた。

雰囲気も佇まいも、まるで獣のようで。油断すれば今にも喉笛を食い千切られそうな気がしてくる。そんな男に気圧されて、すっかり声を失った少女の腕を、追手の男が引っ張り上げた。

何だか無性にやり切れず、立ち上がると同時に少女は男を睨んでみたが、当然、男が動じる事はなかった。


「オラ、行くぞクソガキ」

「手間ぁ掛けさせやがって。どこに売っ払ってやろうか? あ゛ぁ?」

「う、ぐぅ……っ」


結局、何処に逃げようと少女は救われる筈もなかったのだ。都の警察に駆け込もうが、ゴミ山の中に埋もれようが同じ。現実は彼女に何処までも非情だ。

より手酷い目に合う位なら、最初から抵抗しなければよかったと悔やみ出す少女の手を引いて、追手達は男の前から撤退していく。

抵抗すれば腕を折られかねない力で掴まれて、少女は男に食って掛かった時の勢いも失い、すっかり項垂れてしまった。

だが、男が追手から「まぁささやかながら駄賃だと思ってくれや」と金を手渡されているのを見た瞬間。少女はどうしても、やりきれない感情を口にせずにはいられなかった。どうしても。


「…………助けてよ」


無駄とは分かっていた。不可能とは分かっていた。届く事もないと分かっていた。

それでも言わずにいれなかったその一言が、それまで無表情でいた男の口角を、ニタリと吊り上げることになるとは、少女は思いもしなかった。


天国など、何処にもありはしない、神も天使も存在しない。この世界にいるのは、いつだって卑しく笑う人間だけだ。

少女はそれを、身を持って思い知る事になる。


「なぁ、お前」

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