カナリヤ・カラス | ナノ




「ほぉー、近くで見れば、ますますご立派な場所じゃねーの」


集落の手前に軍艦が着けられていたというのに、見張りの一人に出くわすこともなくすんなりと、一行は楽須弥に到着した。


遠くから眺めていただけでも壮観であった楽須弥だが、改めて近くで見ると、本当に美しい場所であった。

これを形成しているのが、麻薬だという点さえ除けば、豊かで穏やかな農村として、これ以上となく素晴らしい景色だというのに。
全てを知ってしまった雛鳴子やギンペーには、石造りの家屋が、麻薬の詰まった袋で出来ているようにしか見えず、
住人達が食す為に栽培されているのだろう野菜が育つ畑ですら、今は見ていて気持ちが悪い。

異常で出来た異常な空間には慣れていた筈だというのに、なまじ感動を覚えてしまった分、眉間に皺が寄る。
そんな中でも、鴉は感心したようにあちこちを眺めては、得意の軽口を叩いているが。


「こうして歩いてっと、ヤク工場とは思えねぇな。ここだけ切り取って見れば、老後にのんびり暮らしたい雰囲気してるぜ」

「……しかし、妙です」


踏み込んで間もなく、彼は気付いていた。指で作った枠の中に納めて眺めているこの集落の、もう一つの異常さに。

鴉だけでなく、雛鳴子と鷹彦も、流石のギンペーも。そして、この地をよく知る蓮角も。
風にそよぐ緑の音が嫌に響く程の静寂に、それを生み出す何等かの意図に、繭のように包まれた楽須弥の不気味さを、誰もが見逃すことが出来ず。
鴉が冗談を交えても、場の空気は重みを増すばかりで。雛鳴子は、見てくれだけなら平穏な農村そのものたる光景に、固唾を飲んだ。


「いくらなんでも、ほんとに……整い過ぎてませんか…?都守が来てるっていうのに、争った形跡一つすら見えないなんて……」

「即座に白旗上げて全面降伏でもしたんじゃねぇの?人っ子一人いねぇのは、都守のご機嫌取りの為に総員で持て成してるから…なんてな、カカカ」


都守が征圧に来た、というのは、あの軍艦を見れば確実なこと。
そして舟が着いたままである以上、此処に都守達が留まっていることも間違いない。

住人達の姿が見えないのは、まだ納得がいく。だが、都守達すらその影も形も見せていないというのは、どういうことなのか。


鴉の言う通り、住人達が総出で、何処か一ヶ所に都守を集め、彼等を懸命に持て成している…なんてことはないだろう。

可能性としてはゼロではないが、だが、それにしてはこの静けさが、あまりに不穏なのだ。

ただ沈黙があるだけではなく、立ち並ぶ家屋の中にすら人がいないというのが分かる、がらんどうの静けさが、
そんな平和的な手法が通り、無事和解に向っているなんてことは有り得ないと、語りかけてくるのだ。


これに、蓮角は鴉達以上に不吉なものを嗅ぎ取っているらしく。元々愛想がいいとは言えない顔付きが、更に険しさを増していた。

彼からすれば此処は、命を賭してでも奪い返したい札束畑で、帰るべき巣だ。それが、こんな得体の知れない無音を携えていては、必然眉根に力が入る。
幾ら予想通り、村が無事そのものであるとはいえ、ただひたす気味の悪い現状を歓迎は出来ない。

一刻も早く、この得体の知れない空気の正体を探らねばと、蓮角が視線をある方向へ向けた、まさにその時だった。


「司教様!」


家屋の影から、数名。麻袋のような色をした農民服を着た男達が姿を現した。

当然のように全員が御土真教の信者なのだろう。首には蓮角と同じ、地母神を模した首飾りを提げており、司教たる彼の前に駆け寄ると、総員、恭しく頭を垂らした。
一切の信仰心も持たず、聖典を読むより引き金を引く方が様になっている蓮角だが、一応、司教らしい振る舞いもしてきたのだろうかと、鴉達は感じた。

成行きで司教をやっていると言っていた彼のこと。自分の手足とも言える信者達を動かす為に、宗教家を演じていたのだろうが――。
と、考察されている間にも、蓮角の前で、信者達は農具を握って皮が厚くなった手を合わせた。


日々畑に出払っている為、赤く焼けた顔に、痛切な安堵の笑みを浮かべ、地母神の加護に合掌する信者達。
その中で、一番最初に蓮角を発見し、声を掛けてきた年老いた男が、感嘆の息を零した。


「ご帰還、お待ちしておりました……先に戻っていた僧兵から、司教様が追われていると聞いた時は、我々――」

「……どうなっている」

「…………はい?」


だが、そんなものを意に介すことなく、蓮角は辺りを見渡した後、呆然とする信者達を睨み付けた。

その眼は、神の慈悲深さを説く者が、その身を案じ駆け寄ってきた信者達に向けるものではない。
警戒と疑心に満ち、綻びの一つでも見付けたのならば、容赦なく袖口に潜ませた拳銃を取り出そうとしている。
狩り場に導かれた獣のような、一触即発の殺意を湛えたその双眸で、蓮角は信者達を見据え、問う。


「近くに乗りつけてあったのは、軍艦だ。あれがあって、何故お前達が当たり前のように此処にいる。第一、何故一人たりとも都守が見当たらない」


想定通り、この土地が荒らされず、自分が此処を出た時の状態が保持されていることには、納得がいく。
しかし、そこにいる人間までもが無事で済まされていると、蓮角は考えてもいなかった。


都守から見て、価値があるのは楽須弥の地であり、其処に巣食っている人間達は、駆除・征圧対象だ。
A級戦犯・大条寺蓮角の仲間。テロリストと化した組織、御土真教の信者達である以上、彼等は見逃される筈のない立場にいる。

皆殺しにされることだって、十分に有り得る。そこまで徹底的に手を出されないにせよ、総員捕縛され、尋問ないし拷問を施されていて然りだろうに。
だからこそ、家屋に人一人いないこと自体には、蓮角はそう驚きもしなかったし、疑問にも思わなかった。


ただ、あの作られたような静けさが、蓮角の本能に警鐘を鳴らしていた。

そして案の定、こうして数名が、平然と此方に向かってきたことで、いよいよ事態が只ならぬ方へ動いていることを、蓮角も、鴉達も悟った。


自然、場の空気が尖り、幾千もの針を向けられている中に立たされているような感覚を、信者達が襲う。
そんな中、口を開いたのは、やはりあの年老いた男であった。


「……秋沙(あいさ)様のお蔭でございます」


その名が出た瞬間、視線を研ぎ澄ますような眼をしていた蓮角が、不意を突かれたような顔をした。
予期せぬ答えに驚いたのは鴉達も同様であったが、蓮角が受けた衝撃は、当然のことだが、彼等のそれとは異なっていた。

一体何のことだと、鴉達が首を傾げたいのに対し、蓮角は、一体何の冗談だと、首を振りたい気分であった。

秋沙、という名を持つその人物を知るか否か。それが両者の差異を生んでいたが、それでも、信者の言葉が予想を裏切るものであったことは、互いに一致していた。


いる筈の都守が一人も姿を見せず、無事である筈のない集落の住人達がこうして此処にいる。
不可解極まれる現状の答えが、一人の人物の活躍によるものだと、彼等は想像すらしていなかった。

そう、驚くのも無理はないだろうと。信者達は、嗚呼、と頭を抱えそうになる嘆きと、打ち震えそうになる程の感激を交えた声を零しながら、ある方へ目線を流した。


方向も、見るものも、先程の蓮角と同じ。
集落の入口から最奥。楽須弥の中で最も高く、最も広く、最も荘厳な建物。
溢れる地下水を利用して作られた、蓮の花が浮かぶ溜池の中に建つそれは、御土真教本山の、寺院であった。

形としては、寺というより、領主の城と言う方が近いだろう。外観的な意味でも、この建物自体の意味でも、あれは、寺より城と言うのに相応しい。
家屋の数からして、そう人数の多くないだろう楽須弥の民が、都守に捕えられ捕虜にされているか。
或いは、鴉が冗談で言ったように、襲撃を不問にしてくれはしないかと饗応しているにしても、
住人達が一ヶ所に集められているのだとしたら、きっとあそこに違いないだろうと、村の静けさに気付いた瞬間から、一同の誰もが思っていた。


予想していた事態とは色々と異なるが、結果的に、あの寺院に、楽須弥を包む全ての謎は集約されているらしい。
いよいよ真実の皮が剥けてきたところで、年老いた男が続ける。


「此処を征圧しようとした都の者達に、どうか住人達には手を出さないでほしいと秋沙様が嘆願され……今、寺院にて和解の為の話し合いを」

「おい、生臭坊主」


が、それを遮って、鴉は蓮角に呼びかけた。

状況判断の材料が不足している以上、はっきりさせたいことは早い内にと判断した為か。
いや。それよりも、彼は、自分の脳裏に浮かんだ一つの予想の、当たり外れを知りたかったのだろう。

信者の言葉と、自分の持つ知識を照らし合わせ、統合した結果、導き出した答え。
それが的中しているか、今すぐにでも確かめたいとする鴉の態度に、口を挟まれた信者は戸惑いと苛立ちで往生していたが。
構うことなく、鴉は顎を擦りながら、蓮角に問うた。


「その、秋沙ってなぁ…もしかしなくても」

「……現御土真教の最高権力者、地祇の巫女だ」


ニタニタと笑みを浮かべながら尋ねてくる鴉が、自分の返答の意味を分かっていることが、相当に気に入らないのか。
ビンゴ、と指を鳴らす鴉を、蓮角は憎たらしそうに睨んでいた。

そのやり取りで、鷹彦の方は何かしら勘付いたらしいが、今回は雛鳴子にも、状況が今一つ不明瞭であった。


信者達が「様」と呼んでいたことから、秋沙というのが御土真教に於ける重大な役目を担う存在であることは、分かっていた。
どの程度の地位に位置する者なのかは定かではないが、都守達にとって御土真教の人間であれば、教団内に於ける権限など無関係だ。

だというのに、秋沙という人物が、都守の進撃を食い止めてみせたと、信者が語るので、雛鳴子達はどういうことだと思考していた。


どのような手を使えば、此方を征圧に掛かってきた都守達を相手に、和解に持ち込めるのか。
鴉が問うべきは、その秋沙という人物が、どのような手札を持っていたかだろうに。
何故、半ば分かり切っていたようなことをわざわざ問い質し、蓮角の解答に、快哉を覚えているのか。

雛鳴子のその疑問は、間もなく鴉によって晴らされた。


「カッ、ってこたぁ、てめぇの”つがい”か。中々慈悲に溢れた御方みてぇじゃねぇの。サイコ司教のコレとは思えねぇな」

「……つがい、って」

「一応、御土真教は宗教だから、当然教義っつーもんがある。豊かな土地を与えてくださった女神様に感謝し、子孫代々崇めてこうぜっつーのがその一つだ」


未だ信者達が混乱に陥っているのにもお構いなしに、鴉は懐から取り出した煙草を咥えた。

ライターで火を点けている間にも、余計な解説で時間を食わされ、挙句、自分にとって非常に面白くない実状を取り出された蓮角が、
今にも銃口と殺意を向けてきそうだというのに。

此処まで引っ張り込んでくれた御礼だと言わんばかりに、鴉はまた一つ、悍ましき御土真教の姿を、雛鳴子らに示していく。


「ようするに、儲けて、潤して、ヤって、生まれたガキにも同じことをさせていく。
これがこいつらの信仰する、豊穣と繁栄であり、御土真教を宗教たらしめる為に受け継がれてきた一つのサイクルだ。
無論、巫女様もこれに従い、地母神を崇める為の後代を作る義務がある。司教と寝て、次の巫女こさえて、引き継ぎが終えるまでが地祇の巫女の仕事だ。
聞いた話だがよ、巫女様は初潮が来たその晩から、司教と枕を共にするらしいじゃねぇの」

「随分と詳しいな。羨ましいのか?」

「麻薬で荒稼ぎしながらセックス三昧の生活だぜ?不満があるとすりゃ、巫女がストライクゾーンを下回る歳っつーことだ」


舌打ちの代わりに嫌味贈って来た蓮角に、鴉は肩を竦めながら、冷やかしの言葉を返した。

これで明らかになったことは、都守を押さえてみせた秋沙というのが、蓮角にとって、形式上は妻に当たる人物であるということと、
麻薬カルテルと化しながらも、宗教団体という様式を貫いている御土真教が持つ恐ろしさであった。


ただ麻薬を製造・販売しているだけの、集落規模の組織であったなら、どれだけマシか。
楽須弥の民の大半は、神を信じ、慈悲深き地母神に応えんとする教義と戒律に従っているだけだ。

その意識が、人々の罪悪感を打消すどころか、最初から罪などではないという、根本を作り出し、集落全体、一蓮托生となって麻薬を栽培するという、とんでもない現状を生んでいる。

大人も子供も、男も女も。誰も彼もが、無意識の内に罪を育み、麻薬売買と、それを巡る抗争に巻き込まれているのだ。


蓮角のように自覚のある者でさえも、ただ、御土真教の教えに従っているだけと言えば、信者達に溶け込み、彼等を麻薬カルテルの一員として、都合のいいように動かすことが出来てしまう。

札束畑と鷹彦は揶揄したが、実際此処で殖えているのは、神の名を借りて花開く悪意だ。


鴉が嫌になる程丁寧に解説してくれた為、それがよく理解出来た雛鳴子は、いよいよ堪え難いと吐き気を催していたが。
そんな気分に陥っている時間は、そう長く与えられなかった。


「つーか、まだ若いだろうに頭が回るんだな、巫女様はよ。都守相手に話し合いに持ち込むカード出せるなんて、英才教育の賜も――」

「いや。あの女は、そんな知恵を持ってはいない」


御土真教最高責任者ということは、麻薬カルテルのボスと言ってもいいだろう。
実質上、その地位にいるのは蓮角と言えど、地祇の巫女が御土真教にとって絶対の存在である以上、秋沙にも権限はある筈だ。

だから、鴉はてっきり、曲がりなりにも麻薬カルテルのボスとして、秋沙という少女が、都守に何かしら交渉を仕掛け、見事言い包めてみせたのではないかと。
そう思っていたのだが――。


「あの女は……先代の死後、俺が適当に選んだ信者の娘だ。何も知らず、何も教えず、俺の傀儡として扱ってきた。そんな奴が、都守を相手にする交渉術を持っている筈がない」


やはり未だ、鴉には判断材料が少なかった。
蓮角が、あのように驚いてみせた理由が、ここに来てようやく分かった鴉は、顔から笑みを消し、反射的に腰に提げている刀に手を掛けた。

ほぼ同時に鷹彦も雛鳴子も構え、ギンペーも体を強張らせる中。
いつでも銃を取出し、トリガーを引く姿勢でいた蓮角が、これで最後だと告げるような眼で、信者達に尋ねた。


「お前ら……一体、何を差し出した?この静けさの代償に……何を手渡した」


彼が言い切るや否や、静寂は、高く響く発砲音によって破られた。


「ぎ、あああああああああっ!!!」

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