カナリヤ・カラス | ナノ




壁外の非国民、弾かれた民によって立ち上げられた新興宗教。それが御土真教だ。

御土真教は、大地に神は宿るという地母神崇拝の信仰を持ち、都に深く根付いている天空崇拝の”天寵教(てんちょうきょう)”とは正反対の宗教である。


神は空に御座し、より高い場所で暮らす人間は神の恩恵をより受けることが出来るという、大戦後に広がった天寵教は、
貴族など高位の国民達の信仰と支持を得ており、本山も第一地区に構えられている。
だが、階級差が露骨に現れるその宗教観念に付け入るように、天寵教は一時、御土真教に勢いを喰われていた。


御土真教は、百年戦争で枯れ果てた大地にも残された安住の地を讃え、其処を大いなる母の胎としている壁外発祥の宗教だ。
大地に宿る女神に豊穣と繁栄の祈りを捧げ、代々”地祇の巫女(ちぎのみこ)”という女性の指揮の下、その教えを広げている。

本当に神の恩恵があるのか。御土真教の本山がある土地は、砂漠の中にありながら土壌が豊かで、更に地下水にも恵まれており。
それに加え、分け隔てなく大地にあるものは女神の加護を受けているという思考が、階級社会に不満を抱く下層国民間で爆発的に広がり出し、
都の中に幾つか教団支部が出来る程に、御土真教は勢いを増した。

ところが、それを良しとしない天寵教徒による宗教弾圧を受け、御土真教は水面下へ追いやられることになり。
金に物を言わせて支部を奪われ、異端者扱いによる迫害で信者を切り離され、いつしか御土真教は、壁外の邪教という忌まわしきものとして都の人々に擦り込まれた。


純粋に、神への感謝の思いを広げたかっただけの御土真教は、この顛末に当然憤慨し、報復の為にと立ち上がった。
それが彼等を神の使いという名のテロリストに、御土真教を破壊的カルト団体に仕立て上げたのだが、天寵教との戦力差により、その活動は年々急速に鎮火していった。

こうして御土真教は、都の人々の記憶から薄れていったのだが、
先代地祇の巫女が逝去し、新たな巫女を実質上教団の最高責任者となった大条寺蓮角が選んだ二年前を皮切りに、御土真教は再び、その名を世に知らしめることになった――。




「天寵教寺院爆破、教団所属僧侶と信者の大虐殺……レコンキスタ(再征服運動)という名のテロ行為を粛清すべく、僧兵達が遠征に出向いてる間に都の軍が本山を制圧したものの、
主犯の司教は巧みに逃げ回り、腕の立つ信者を連れて、未だ破壊活動に勤しんでいらっしゃる。
んで、これにいつ首を狙われるか分かったもんじゃねーと怯えた天寵教が大僧正・三光法師(さんこうほうし)が、こいつの首に一億懸けたっつー訳だ」


記事に目を通し終えた雛鳴子とギンペーが、新聞と此方を交互に何度も見遣っても、蓮角は眉一つ動かさずにいた。

神に仕える身でありながら、悪魔のような所業をやってのけ、それを再認識させるよう鴉が嫌味ったらしい声を飛ばしてきても。
蓮角は罪の意識を感じることも、責められ詰られることに憤慨することもなく、それがどうしたというような顔をしている。

新聞に乗せられた写真と同じ。ただひたすらに冷たい、氷の張った底深い沼のような眼をしている蓮角に、鴉は大きく肩を竦めた。


「全く、そうまでしててめぇの信じる神様を宣伝してぇもんかね。俺ぁ無宗教の無神論者なもんで、お前みてぇな奴の考えるこたぁ分かりやしねぇぜ」


この町の人間は、およそ実体と実力のあるものしか信じない。

現金主義、実力主義。偽りと欺き犇くこの町で生き抜く為、必然身に付くその思考に、神という目の前にないものは入り込む余地がない。

中には、そんな不確かなものしか信じるものがないという域にまで追い込まれた者も、
散々理不尽に脅かされていながら尚も神の存在を疑わないめでたい思考の者もいるが――この場にいる者は、全て鴉と同意見であった。


そう、この場にいる者は、全て。


「聖人君主の説法が読み聞かせられて云千年。世界はいつまでも楽園になりやしねぇし、神様という存在は需要はあるが供給はねぇ。
だから俺ぁ、宗教も神も信じねぇのさ。信じたところで報われりゃしねぇ。星座占いのが余程有意義ってもんだ」

「同感だ」


どんな反論が返って来るものかと愉しげに構えていた鴉が、ぽかんと間の抜けた顔を曝すと、ここでようやく蓮角が、嗤った。

凍り付いたような口元を歪めるように吊り上げ、様々なものに唾を吐き捨てるような口振りで、彼は神を、それを信ずる者を嘲った。


「俺も、成行きで司教なんてものをやっているが……信仰心など欠片も持ち合わせていない。俺は、神だの教えだのを利用して利益を貪る為に、宗教家をやっている。
その為に、天寵の連中は邪魔だ。だから、潰している」


長い人類の歴史上、宗教戦争というのもまた多く、過去に起きた百年戦争でも、異なる思想の宗派が争い、神の名の下に幾つもの惨劇を生んだ。

だが彼等は皆、己の信じる神の為、銃を取り、血の道を敷き、反徒や異教徒をその手に掛けてきた。
だというのに。この男が起こしたレコンキスタという名のテロ活動は、その大義すらもない。


神の名を借り、教えを捻じ曲げ、信者を煽動し、そうして行われたのは破壊活動の本質は、目障りな商売敵を叩き潰したいという蓮角個人の欲求だ。

そんな宗教戦争があってたまるかと、雛鳴子達は大きく顔を顰めるが、蓮角はいっそ心外だと言わんばかりに溜め息を零した。


「営業妨害を喰らったら、相手を全身全霊で潰す。これは別段おかしなことではないだろう?俺がやったのはそういうことだ」

「カカカ!確かに一理あるが、それをしれっと言って実行する辺り、お前どうかしてるぜ!」


鴉の言う通り、蓮角はどうかしていた。宗教家としても、一人の人間としても。彼の価値観と道徳観は、狂っていた。

宗教を商売と考え、教団を一つの企業として動かし、その発展に邪魔と見做した他宗教を消す為に、多くの血を流すことになるのも厭わない。
一体何故こんな男が、司教という地位に就いて、教団の総指揮官として君臨してしまったのか。

神という存在を改めて疑わざるを得ないなと、一同(飽きて石磨きを始めている飾を除く)は苦笑いを浮かべたが、ふとギンペーの一言で、話はようやく本題へと突入した。


「……あのぉー、それでなんでその、司教さんが金成屋に?」

「無論、契約の為だ」


流れによりすっかり忘却の方へ向かい掛けていたが、そもそも蓮角は、金成屋に客としてやってきたのだ。
鴉もそういやそうだったと、椅子に倒れ込む勢いで凭れさせていた上体を、よっこらせと起こした。

その頃には、蓮角の顔からは笑みは消え、また仏頂面に戻った彼は、足元に置いていたアタッシュケースを拾い上げた。


「俺は金は腐る程持っているが…此処でわざわざ倍額を支払う代わりに、契約条件を持ってきた」


間髪入れず、ドンッ!と音を立てて、重量のあるアタッシュケースが、現在無人であるギンペーの机の上に鎮座した。

商業柄、というか、ゴミ町という土地柄、アタッシュケースを見ればおよそ、想像する中身のイメージは総員一致していた。
そして案の定。蓮角が開いて見せたケースの中身は、鴉達が思い描いていたものに違いなかった。


「金成屋。御土真教本山への帰還と…本山奪還に手を貸せ。その報酬に、俺は二億契約する」


その量は、想像していたよりも遥かに上回っていたが。


「すっごーー!司教さんめっちゃ金持ってるじゃーん!よく狙われなかったねー!」

「いや、こいつの場合、金を持っていようがいまいが狙われているんだがな……」


所狭しと詰められた札束。総額二億が、蓮角が持ってきたアタッシュケースの中身であり、金成屋との交渉材料であった。


何処で耳にしたのか――恐らく、歌うエトピリカだろう。

都の軍に追われ、それを振りほどいて、自分の巣たる御土真教本山に帰還するに辺り最適な場所を求め、
こんな町に転がり込み、果てに仲介所で紹介された金成屋へやってきた。そんなところだろう。

鴉は、また面倒な客が来たものだと、頭を掻いた。


蓮角の言う通り、金成屋は金を貸す為の手段は選ばず、契約の為に客が提示する条件を呑むことも多々ある。

本来支払われるべき相場の二倍。その破格値を成立させる代償として、鴉は契約者の要望を契約条件として享受し、達成する。
そうまでして鴉に縋る者も限られているが、そうさせる手腕が彼にある為か、非常に使い勝手のいい金成屋のシステムとして運用されている。

それがまさか、人類史上に残る最悪の賞金首に使用されるとは。

鴉はアタッシュケースの中で煌めく新札の山を眺めながら、既に半ば疲れている顔で、蓮角に問うた。


「……一応聞くが、うちの契約ルールは聞いてんだろうなァ?」

「当然。ここにあるのは前金だ。契約により発生する残りの二億はお前が仕事を完遂した時、現金で渡そう」

「…成る程。むざむざ狩られに来る程馬鹿じゃねぇか。いつだか同じようなことしようとしてたどっかのお坊ちゃまとは違ぇな」


蓮角の要求を呑み、彼を御土真教本山まで届け、更に現地の都の軍を片付けることで、金成屋は二億の契約を得る。

しかし、金成屋の基本…契約金の倍額を負債者が返済しなければならないという絶対ルールにより、鴉の懐には四億が来なければならない。
だというのに、此処に二億しかないのはどういうことだと窺った鴉であったが、巧みに此処まで逃げてきただけあり、蓮角は頭が回るようであった。

油断していたところに過去の傷をほじくられ、思わぬダメージを喰らっているギンペーは、当時鴉に言われた言葉を思い出しながら、
アタッシュケースを閉じる蓮角を眺めた。


(確かに、金はあるにこしたこたぁない。だがな、金があれば仕事を請け負ってもらえると思ったら大間違いだ)

(いいか、金ってのはな。持ってる金額が問題じゃねぇ。それだけの金額を持ってる奴が、重要なんだよ)

(この世は金だけじゃねぇのさ。
他人を蹴落としてなんぼの精神持って、おこぼれに肖ろうとする豚みてぇな連中で周りを固めて、
どんな場所に於いても”こいつに歯向かったら負けだ”と、外道畜生にも思わせるだけの力がなきゃならねぇ。
つまるところ。舐められるような奴は金があろうがなかろうがゴミクズ同然なんだよ。分かるか?お坊ちゃまくん)


あの時、自分が抱いていた浅はかなる復讐心を容易く挫いた彼の言葉。それを体現しているのが、まさに蓮角だ。

単身、巨額の金を持って、狡猾極まれる鴉を前にしても、対等でいられるその振る舞いと周到さ。
己の要求を呑むことが正しい選択だと、交渉に持ち込み、相手を伏せる姿勢こそ、当時の自分に必要だったものだと、ギンペーは改めて痛感し。
そんなことを言ったことなど、半分覚えていない鴉もまた、蓮角が気狂いであっても愚劣ではないことを悟ったのか。
諦めと感興を湛えた眼を細めながらも、くっと口角を上げた。


「御土真教本山があんのは、確か楽須弥(らくすみ)だったか?そこまで遠くはねぇが、まぁた砂漠に蜻蛉返りかァ」


そう言って立ち上がるや、依然ギンペーの机の上に置かれたままのアタッシュケースを掴んで、鴉は成行きを静観していた鷹彦に向かって指を差した。


「鷹彦、”運び屋”に連絡入れろ。テロリスト一名様の護送に、買ったばっかのカナリヤ丸は使いたくねぇからよ」

「……話の流れからして、契約は成立と見ていいのか?」


蓮角は、存外とんとんと事が運んで拍子抜けしたかのような顔で、鴉を見た。
その様子から、雛鳴子達は彼が自身の厄介さを自覚しているのだと察した。

都から追われる、一億の首を乗せたその身を、御土真教本山まで運び、そこに巣食う都の軍を追い払う。
四億の対価にしても手に余る契約内容を、想像以上にあっさりと承諾されて、疑いの目を持つ。蓮角の警戒は正しかった。

ただでさえ面倒極まれるというのに、愚かさまで加えられては、上手いこと騙くらかして足元を掬ってやる気が生まれてきてしまう。
欲望によって全てが回るこの町で、客とカモの線引きをするのは、その一点。


「此処ぁ、来る者基本拒まずの金成屋だからよ。例え残虐非道のサイコ司教様でも、お客っつーなら誠心誠意尽くしてやんぜ」


人の言葉を、態度を疑り、裏の裏まで探りを入れる隙の無さ。それを有していたが故に、蓮角は鴉の快諾を掴めたのだった。


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