カナリヤ・カラス | ナノ
寝坊して朝食の準備を怠った嫌味のつもりか。出された朝食はレトルトカレーに、鶏肉のカレー煮缶、カレー風味の乾パンと、見事にカレー尽くしであった。
昨日の昼食もカレーだったというのに、と雛鳴子が、この悪意漲るメニューを出してきた鴉に訴えかけるような視線を送ると、カレー味のカップヌードルが差し出された。
寧ろどうしてそこまでカレー関連の物があるのか。雛鳴子が盛大に顔を顰めると、耐え切れないと鷹彦が笑い出した。
彼もこのカレーフルコースの為に、積んだ食糧からあれこれ探していたのだろうと、それで雛鳴子は把握した。
取り敢えず、戻ったら二人の昼食にカレーうどんでも出してやろうと雛鳴子が心に決めたところで、操縦席にいるギンペーが、ゴミ町が見えてきたと内線を流した。
「思ったよか、早く着いたなァ」
予定よりもやや早く、舟乗り場に戻った一行は、船内でまとめ直した荷物を持って、一日ぶりのゴミ町へと降り立った。
たかが一日。だというのに、随分長らく離れていた気がするのは、砂漠で過ごした一日が、何かと波乱万丈だったからだろう。
舟乗り場の管理人に賃金を渡した後、行きよりもいっそ増えた荷を抱え、一同が真っ直ぐに金成屋を目指すその道中。
ふと、雛鳴子はあることを思い出し、その疑問を口にした。
「そういえば……金成屋は今、空いてる状態なんですか?」
すっかり忘れていたが、今回砂漠に向かったのは金成屋全員だ。
大事な店を空けることを嫌い、二階に住居を構えている鴉が、丸一日あそこを放置するなどないことは分かっているが。
では一体、誰が今、金成屋にいるのか。
いつぞやのように、鴇緒が置かれているとは考え難いが、他に金成屋を任せる宛てがあるのか――それが雛鳴子には分からなかったのだが。
「んな訳ねぇだろ。うちのモットーは、”来るもの基本拒まず、去るものは地の果てまで追え”だぜ?
万が一客が来た時に備えて、今回もちゃーんと留守番役は手配してあんぜ。丸一日店を任せても安心出来る奴をな」
当たり前のようにそう返されたものなので、雛鳴子はまた、眉を顰めた。
首を傾げて考えてみても、鴉の言う留守番役がまるで浮かばず。彼の人脈の広さに驚くよりも、また一層、鴉の底知れなさが増したことに、雛鳴子は声に出さず唸っていたのだが。
そうこうしている間に戻ってきた金成屋の戸を開いた瞬間。彼女の中に立ち込めていた靄は、即座に霧散した。
「おっかえりー!どうだったー、砂漠のサルベージツアー!」
間髪入れずに振り向き、真っ直ぐに伸ばされた拳を、鴉は精確に受け止めた。
今朝の不意打ちを食らったことで、警戒心が強まっているのか。それとも、雛鳴子の反応を呼んでいたのかは定かではないが。そんなことはどうでもよかった。
「貴方……ついに拉致監禁にまで手を出したんですか?!!見損ないましたよ!!」
「ちげーよ。こいつぁ、知り合いで、さっき言ってた今回の留守番役だ」
そう言われても素直に信じられないのは、鴉のデスクに着いていたのが、雛鳴子より二つ三つ年上だろう少女だったからだ。
ギンペーも、まさか留守番役が、自分と同い年くらいの少女だとはまるで想像していなかったのだろう。
呆然と立ち尽くしたまま、にっこにっこと明るく笑む彼女を眺めていたが、拉致監禁された少女がこんな顔を出来る訳がないということで、鴉は二人の信用を取り戻した。
「こいつぁ、飾(かざり)。こう見えて、目利き腕利きの宝石商で、俺の知り合いだ」
「どもどもー、お初でーす!」
そう言って、ひらひらと手を振ってくる少女――飾は、まず見た目だけで言えば、鴉とは正反対であった。
全身染め抜いたように真っ黒の鴉に対し、飾は実にカラフルで。
ふんわりとした山吹色の髪にオレンジのジャケット、額に金で縁取ったスチームパンクスタイルのゴーグルを装着し、
首や耳に赤や青、緑と色とりどりの石を加工して作ったアクセサリーを身に付けているだけでなく、ベルトやブーツもブローチで飾っている。
名前の通り、装飾過多。見た目の派手さならハチゾーに匹敵するこの少女が、鴉の知り合いで、しかも一日留守番を任せられる仲とは。
俄かには信じ難いが、先程から鷹彦にまるで動揺している様子がないことも含め、彼女は正真正銘、鴉の知り合いなのだろう。
宝石商という職種から、何となく知り合った経緯も見えてくることだし――。
こうして誤解が解けていく中、留守番の役目を終えた飾はデスクから離れ。それを合図に、鴉はポケットにコートに手を突っ込んだ。
「それより鴉!忘れてないよね!」
「あぁ。ほらよ、約束の報酬だ」
「ヒャッホーーーイ!」
打ち合わせていたかのようなテンポで、鴉はポケットから取り出した布袋を放り。
飾はそれを、フリスビーをキャッチする犬の如く跳び上がって受け取るや否や、躊躇なく中身を検めた。
「何これ何これー!初めて見るのばっかりー!ホントにこんなにいいの鴉!!」
「俺ぁ、契約には誠実な男だからなァ。ま、次回がある時もよろしくなっつーことで、チップ分として受け取っておけ」
「さっすが金成屋・鴉ぅー!じゃ、遠慮なくいただきまーす!」
余りに飾が喜んでいるものなので、雛鳴子とギンペーは鴉は何を渡したのかと、思わず飾が手にしている布袋を覗き込んだ。
この町の人間がタダで物事を引き受ける訳がなく。しかし、鴉がたかが留守番に、多額の報酬を渡すとも思えず。
一体両者の間で何が取引されているのかと思ったが、全ての疑問は一目で解決した。
「いやー、いいねぇー、この色!この形!それにやっぱ、場所がいいのねー!海由来の成分が……」
何故鴉がこの少女を留守番役にしたのか。
この若さにして宝石商として此処ゴミ町で生きている手腕もあるだろうが、一番の理由は間違いなく、与える報酬の手軽さ。
彼女のコストパフォーマンスにあるだろうと、雛鳴子達は布袋の中に犇く石くれを見て悟った。
そういえば、砂漠の探索中。鴉があれこれ拾っている姿を何度か目撃したなと思い出し、これはこの為だったのかと、雛鳴子とギンペーは納得した。
タダより怖いものはないゴミ町で、金ではなく石で動く人間がいるとは思いもしなかったが、飾にとって、雛鳴子達からすればガラクタにしか見えない石が、金以上の価値を有しているのだろう。
実際、鴉が拾い集めてきた石は、ただの石ころではなく。出すところに出せばそれなりの価値を発揮する、報酬として手渡すに相応しい物である。
飾が賛美している通り、海ならではの成分で構成された珍しい鉱石に、小さくてパッと見では分かりにくいが、漂石翡翠や宝石珊瑚も布袋の中に詰められている。
しかし、どれも金に換えてみれば、そう大した金額にはならないだろう。
まさに留守番の駄賃。その程度の額にしかならない物だが、それで満足し、気をよくしているのなら、問題はない。
成る程。彼女以上の適任はいないだろうと雛鳴子達が苦笑していると、席に着いた鴉が、煙草に火を点けながら飾に業務報告を求めた。
「ところで、留守番中に客は来たか?」
「ん、ああ。来たには来たけど、契約内容聞いて帰ったのと、返済プラン見て帰ったのとで……客って言えるのは、アンタが帰って来たら契約するって、戻ったのが一人だけかな」
飾は貰い受けた石の詰まった布袋を大切にジャケットの内ポケットに仕舞い、顎に人差し指を当てながら答えた。
普段そうそう客が来ることのない金成屋だが、こういう時に限って連続して立ち入る者がある辺り、留守番役を必ず置いていく鴉の理念は正しいものだと思えてしまう。
結論から言えば、客になる者は留守中には来なかったようだが。それでも一人、契約に繋がりそうな人間が確保出来ただけ、飾に留守番を任せた甲斐はあったと言えよう。
「アンタが戻ってくるだろう時間伝えておいたから、そろそろ来るんじゃないかなぁ、その人。えーっと、名前はなんて言ったかなぁ」
飾は布袋を仕舞う代わりに出した風船ガムを口に放り、もごもごと噛みながら、なんだっけなんだっけとぼやいた。
どうせすぐに戻るものだからと名前を聞き逃していたのか。それとも、報酬を得た喜びですっかり忘れてしまったのか。
どちらにせよ、すぐに来るのだからいいだろうと飾は早々に考えることを放棄して、ガムを膨らまし始めた、ちょうどその時だった。
「……どうやら、戻ってきたようだな」
ガラッと金成屋の戸が開く音と共に、男が一人。躊躇いのない足取りで店の中へと入ってきた。
殆ど、常連や顔見知りと言える者でなければ、およそおずおずと、逃げ腰でやってくる金成屋に、男のかつかつと小気味よい足音が響き。
間もなく顔を見せた男に、鴉はぼろっと煙草を口から落としかけ、鷹彦もサングラスの下の眼をこれでもかと見開いた。
彼等がそんな反応をする意味が分かっていない雛鳴子とギンペーも、何処か顔に見覚えのある、特徴的な衣服を纏う男を凝視する中。
実に冷たい視線で一同を眺めた後、男は薄い唇を開き、低く擦れた声を出した。
「…お前らが、金成屋か」
吸い掛けの煙草を灰皿で潰し、鴉は苦々しい笑みを浮かべながら、顔を男から飾へと向けた。
「……飾ぃ、こいつが?」
「そーそー!この人がさっき言ってた人!」
飾は、先日会った男にどうもどうもと手を振るが、男は会釈の一つも返すことなく、鴉を睨むように見ていた。
そこに恨みだの、怒りだの、敵意だのといったものはまるでないのだが。かと言って、好意や善意なんでものが欠片もないことが鴉には分かっていて。
全く参ったと肩を竦める彼の前で、飾は額に指を当て、中断していた記憶廻りを再開したが。
「えーっと、なんて言いましたっけねアナタ……んーと……」
「大条寺蓮角(だいじょうじ・れんかく)、だろ」
彼女の求めていた答えは、聞いた筈の飾でもなく、男自身でもなく、鴉が出してしまった。そう。今さっき此処に戻ったばかりの鴉が、だ。
「そうそう、それ……って、アレ?なんで鴉、知ってるの?」
「てめぇは石以外のモンにも目ぇ向けるべきだぜ、飾」
鴉はいつもするように、どっかりと脚を机の上に乗せながら、依然此方を見てくる男に、挑発じみた笑みを返した。
いや、返したのは笑みだけでなく、言葉も。飾ではなく、彼――蓮角に宛てたものだろう。
皺寄る眉間に更に力を入れる蓮角の前で、椅子の背凭れに体を預けながら、鴉はにたりと呟いた。
「特に、凶悪犯を取り上げるニュースなんかを、よ」
「「「凶悪犯?」」」
飾と揃って声を上げてしまった雛鳴子とギンペーは、一歩たじろぎながら、改めて蓮角を観察するように目をやった。
二人は、蓮角の名前こそ知らなかったが、その顔には見覚えがあった。
鴉の言う通り、凶悪犯として報道されていた、というので記憶していたのではなく。つい先日、二人はこの男を直に見た覚えがあるのだ。
何処だったかと思い返せば、意外に近いところで見ていたことが、すぐに分かった。
そうだ、彼は確か――。
それを口にしようとした瞬間。雛鳴子達の平静は、またもや彼方へと吹き飛ばされることになった。
「こいつぁ、現在指名手配中の賞金首…テロリスト、大条寺蓮角。その首に一億が懸けられた、A級戦犯だ」
「い、一億?!」
「テロリスト?!!」
飾が「ほげー」と力無く驚く傍ら、彼の素性を知った雛鳴子は蓮角に向かって身構え、ギンペーはバッと飛び退いた。
片や一億が懸けられた危険性に、片やテロリストという恐ろしい肩書に反応してのことだろうが。
それを蓮角が気にする様子は微塵もなく。彼は鴉に、今にも唾の一つでも吐き掛けそうな顔で、訂正を促した。
「俺はテロリストではない。宗教家だ」
「カッ。てめぇの宗教広げる為に余所の教会吹っ飛ばす奴ぁ、テロリストと変わんねぇよ」
そう、大条寺蓮角は、宗教家だ。雛鳴子とギンペーは、それを少し前――桃源狂騒ぎの後に知っていた。
何処かで見覚えがあると思えば、そう。彼は営業の為に訪れた娼婦館で、葬儀の為に黒丸に呼ばれていた男と同一人物だ。
印象深い、限りなく黒に近い茶色の修道衣に、肩に下げた白地に赤で柄が付けられたエピタラヒリ。
確か、御土真教と言ったか。その本山から来た男だと簡単に紹介されたのが、記憶に残っている。
しかしまさか、その男がテロリストとして指名手配されていたとは。
何があるか分からないものだと雛鳴子達が呆けていると、鴉は机の上に置いていた新聞を飾へと投げた。
石以外の物に目を向けろと言われた側から、もう既に蓮角への興味を無くしているらしい飾は、それを近くにいた雛鳴子に手渡し。
バトンのごとく回ってきた新聞を開いたところで、雛鳴子とギンペーは、目の前の男が一億を懸けられるに相応しい人物だということを認知した。