カナリヤ・カラス | ナノ
適当に腕を伸ばしながら、鷹彦は此方を振り向きもせずに言う。
相手がワタリでないなら勝てる、等と踏んではいないだろう。無論、プルチネルラを見くびっているのでもない。
自分の、自分達の置かれている状況が逼迫している事は、彼が誰より感じている。だからこそ、この試合は斯く出るべしと、鷹彦は提言する。
「鴉。この試合で何が起きようと、俺の降参を選ぶな。福郎会長にとって賭け金五十倍の損失は痛手ではないだろうが……あの人は、興が削がれるような真似はしない筈だ」
「……殺す以外は何でもしてくるぜ、向こうさん」
「それでも構うな」
此方の拳闘士を殺してしまえば、ゲームは其処で強制終了。まだ見ぬ第三の刺客を残した状況で、福郎がそのような演出をする事は無い。
これが新興行のデモ試合という体裁で、衆人環視の中で行われている以上、福郎は決して場が白けるような手は打たない。自分の命は、保証されていると言ってもいい。
だから、何が起ころうと決してタオルを投げるなと鷹彦はプルチネルラを見据える。
「KOなら、向こうの勝ち分も此方の負け分も二倍で済む。俺が勝てないような相手なら、雛鳴子の特別勝利条件が相当甘く設定されるだろうし……そっちで勝負に出た方が賢明だ」
特別勝利条件の胆は、如何なる相手でもゲームとして成立させなければならないという点にある。そうでなければ、此方側も観客側も賭ける意味が無くなってしまうからだ。
もしプルチネルラが鷹彦でも敵わない手合いであるのなら、雛鳴子に設けられるハードルは低くならざるを得ない。この試合でのマイナスを最低限に抑え、次で勝負するべきだと言う鷹彦に、鴉は肩を竦めた。
「カッ。朧獄館永世トップともあろう奴が、負ける前提で試合に出るたぁな」
勝つ気がない訳ではない。あくまでリスクヘッジの話だが、負けを見越した上で戦うにしては、余りに堂々としたその佇まいがいっそ滑稽だ。
呆れ半分に笑いながら、鴉はチップを三枚放った。
「金成屋陣営は六億をベット!プルチネルラを警戒してか、鴉氏らしからぬ消極的な勝負!!対する会長陣営の賭け金は!?」
「ほぅっほっほ。先の試合でたんと稼がせてもらったでな、今回も大きく出させてもらうとしよう」
「おぉー−っと!会長は十億をベット!!鷹彦選手相手にこの強気なベット!!オッズから見てもやはり、相当の手練れのようです、プルチネルラ!!」
チッと露骨に鴉が舌打ちする。
此処で敢えて大きく出過ぎないのも計算なのだろう。プルチネルラがあちらの用意した駒である以上、その実力の程度を福郎は知っている。
鷹彦に勝てると分かっているなら、先の試合のように盛大に賭けるべきだが、敢えて大きめ程度にする事で、此方に揺さぶりを掛け、観客の熱を煽る。
基本的に場を支配する側の鴉にとって、さぞ面白くない事だろう。
大きく賭けられなかった事で命拾いしたとも言える状況だが、それも彼は気に入らないのだろうなと、雛鳴子は一つ溜め息を吐く。
そんな此方側の憂鬱を他所に、会場は更なる盛り上がり様だ。
「いやーこうなるとますます仮面の下が気になる所ですが、お二人的にどうでしょう?この人なんじゃないかなーって予想、ついていらっしゃいますか?」
「まぁねー」
「んなっ」
「おっと。このリアクションからするに、ムクさんの方は決め手に欠けているご様子で」
「し、仕方ないだろ!あの格好のせいで色々分かりにくいし、福郎会長の伝手の広さ半端ねーんだぞ!これで絞れって方がムリ……っつか、幸之助はなんで」
「音」
トントンと人差し指で耳を叩きながら、幸之助はこればかりは自分にしか判らないだろうと頬杖を突いて、プルチネルラを眺める。
「足音聞けばそいつの体重、利き足、歩き方のクセが判る。あとはそれと、俺の記憶と照らし合わせるだけだ。ま、今此処であの人でーすって言っちゃうと面白くなくなるだろうから、答え合わせは後でね」
「ってことは、幸之助が知ってる奴ではあるんだな……いやでも、お前も結構顔が広いんだよなぁ……」
「さぁ、それでは試合開始といきましょう!!両者、構えて!!」
ヒントはこのくらいがちょうど良いだろう。ムクの好奇心が全て暴いてしまう前にと、キューはゴングを鳴らす。
「レディ〜〜…………ファイッッ!!」
瞬間。コーナーの隅、対角線上に立っていた二つの影がぶつかり合う音が闘技場にと轟いた。