カナリヤ・カラス | ナノ


此処でカップ焼きそばの湯切りをしている間、鴉から飛ばされた嫌味の数々を思い出しながら湯を沸かし、急須に茶葉をぶち込む。

不味い茶を出せばまた嫌味を言われるが、美味い茶を出すのも癪だ。しかし、蓮角も口にするものなので熱湯を注いで渋い茶を出す訳にもいくまいと、雛鳴子はヤカンの火を止めた。その時だった。


「……雛鳴子、」

「うわっ?!」


背後から声を掛けられ、びょんっと体が跳ねた。考え事をしていたのもあるが、凡そ声を掛けてこない人物が相手だったので尚更不意を突かれ、思わずリアクションがオーバーになってしまった。

お湯を注いでいる時でなくて良かったと思いながら、雛鳴子はヤカンと急須をそのままに後ろを向いた。


「び、びっくりした……どうしたんですか、蓮角さん」

「いや……少し聞きたいことがあってな……」


バツの悪そうな顔をして立っていたのは、蓮角だった。

応接間で鴉と話をしていた彼が、何故こんな所にいて、自分に声を掛けてきたのか。何か手伝おうかと気を回すような人物ではないし、わざわざ話し掛けて来る間柄でもない。金成屋には何度も出入りしているからトイレの場所も知っているだろうし、一体何を聞くことがあるのかと雛鳴子が身構える。

一方、わざわざトイレに行ってくると嘯いて席を外してきた蓮角は、此処に来て聞くべきか聞かざるべきかと悩んでいたが、今引き下がれば雛鳴子に訝られるだけだと腹を括った。


「……お前、借金を完済して、鴉との契約を終えたらどうする心算でいる?」

「……鴉さんに探り入れてこいとか頼まれたんですか?」

「いや、俺の都合だ」

「それならいいんですけど…………いや、あんまり良くないか」

「?」


それはどういう意味だと、蓮角が疑問符を浮かべる。

彼は、雛鳴子が置かれている境遇については知っているが、逆に言えばその程度のことしか知らない。何度も金成屋に足を運んではいるが、話す相手は凡そ鴉。時々鷹彦と少し話す程度で、雛鳴子とは会話と呼べる会話をしたことが無い。

それ故、彼には雛鳴子が何について難色を示しているのか理解出来なかったのだが、聞けば成る程と頷ける話であった。


「口にすると理想になりそうだし、あの人に聞かれたら心底面倒なことになりそうなので言いたくないんですけど……でも、蓮角さんが私を頼るなんて余程のことだと思うので、お答えします。ただし、くれぐれも鴉さんには内密にお願いしますね」


沈黙は金という。借金完済を志す身であれば無言実行を貫いて然るべきと、己の展望を口にすることを良しとせず、誰にも胸の内を明かすことのなかった雛鳴子だが、あの蓮角が自分を頼る事態だ。

何の為にそんなことを尋ねてくるのかは分からない。だが、蓮角はつまらない理由でわざわざ声を掛けて来る人間ではないし、顔を見るに至極真剣な様子だ。釘を刺しておけば他言することもないだろうし、助力してやってもいいだろうと雛鳴子は蓮角の問いに答える。


「借金を完済したら、私は私の好きなようにしようと思ってます。何処に行くか、何をするか……全部、私が決めるんです」

「……曖昧だな」

「その時どうしたいかなんて、その時の私にしか分かりませんので」

「なら、今のお前はどうだ。例えば今、お前の手元に借金完済分の金が舞い込んできたとしたら……お前は、何処に向かう」


やたら食い付いてくるなと眉を顰めながら、雛鳴子は蓮角を見遣る。一体何をそんなに必死になっているのか、と。当人もそれを自覚しているのだろう。言及してくれるなという顔をしている。

ゴミ町では弱みを顔に出した時点で負ける。此処に来て日が浅い蓮角とて分かっているだろうに。

相手が自分だから油断しているのか。否、こういうことになるから自分を選んだのだろう。それを侮辱と取るか信頼と取るか微妙なところではある。その判断が出来る程、雛鳴子は蓮角のことを知らない。しかし、自分の知る限り蓮角はこんな顔をする人間では無かったし、他人を頼ることも無かったように思える。恐らく彼を悩まさせている何かが、そうさせているのだろう。
それが彼女にとって良い影響を齎すものであるのなら、自分が口を開く価値もあると、雛鳴子は蓮角から提示された馬鹿げた空想に興じた。


「……今は行きたい場所もやりたいことも特に無いので、残り契約分くらいは此処にいてあげてもいいですかね」


予期せぬ返答に蓮角が眼を見開く。普段重々しく被さっている目蓋が持ち上がっているのが少し可笑しいのと、我ながらどうかしている答えに雛鳴子は口角を上げた。


「出て行ってやると思ったら、即出て行ってやりますけどね。向こうから頭下げて頼み込んできたら考えてあげなくもないですけど」

「……番いでもないのに、何故鴉の傍にいようとする?」

「べっ、別に鴉さんの傍にいようとしてるんじゃないですよ!!ただ、金成屋は私がいないと何かと困るだろうと思うので……そう、善意ですよ、善意!好意じゃなくて善意です!!私がいないと男所帯でむさ苦しいし、まだまだギンペーさんも半人前だし、掃除とか誰がやるんだって話ですし!だから、もうちょっとくらいはいてあげてもいいかな〜ってだけで、鴉さんのことなんかどうでも」


息継ぎ無しに捲し立てながら、最後の最後で言葉に詰まった雛鳴子が、一呼吸置いて眼を伏せる。

もしもの話だ。真面目に考えることでもないし、ムキになることでもない。それでも、適当に誤魔化す言葉を吐き出せなかった雛鳴子は、口籠りながら不承不承、本心を浚う。


「……どうでも、よくなくはないかもしれないかなと思います」

「どっちだ」

「知りません」


皆まで言わせるなと顔を逸らし、雛鳴子は湯が冷める前にと急須に湯を注いだ。ぬるい茶を出せば鴉に文句を言われるし、蓮角もいつまでも席を外していれば訝られるだろう。お互い、この話はこれで終いにすべきだと盆に急須と湯呑みを乗せて、雛鳴子は給湯室を出た。


「でも、其処に選択の自由があるのなら誰だって好きにすると思います。だから貴方も、こんな所に来たんじゃないですか?」


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