カナリヤ・カラス | ナノ


「愛妻弁当たぁ見せ付けてくれるなァ。うちの雛鳴子ちゃんにも習慣化させてぇもんだ」


正午。鴉との商談を終えた蓮角は、金成屋の応接間で秋沙が作った弁当を広げていた。

向いから、雛鳴子の集金業務が長引いた影響で、昼食がカップ焼きそばになった鴉が、羨望の眼差しを送る。彼の狙いが卵焼きであることに気付いた蓮角は、すかさず弁当箱を引き寄せ、横取りを阻止した。

せめて一言、食わせてくれと頼むべきだ。頼まれたところで分けてやる心算は無いが。「ちぇー」と唇を尖らせる鴉を睥睨しながら、蓮角は強奪される前にと卵焼きを口に放った。出汁巻き卵だった。


出汁巻き卵は彼の好物だ。それを知ってか知らずか――恐らく前者だろう――秋沙は毎回弁当に出汁巻き卵を入れる。秋沙に自らの好物を告げたことは無いが、彼女は此方の食の好みを心得ている節がある。食卓にはいつも自分の好きな和食が並んでいるし、好まない料理・食材が出たことも無い。

他人に食の好みを話したことなど無いのだが、一体何時何処で知り得たのか。そんなことを詮索したところで何ら意味を成さないが、何故か隔靴掻痒に近しい感情を覚えるので、蓮角は参っていた。


彼女が自分の好物を把握していることに、何の問題も損害も有りはしない。寧ろ蓮角にとって有り難い話である。

何も言わずとも、秋沙は毎日、自分の口に合わせた食事を作り、対価も報酬も求めない。都合が良い。その一言に尽きる。だのに、それで済ませることが出来なくて、蓮角は胸の奥に靄を抱えていた。

どうしてこんなことで思い悩んでいるのか。それは、秋沙が当たり前にしていることを蓮角が当たり前のことだと思っていないからだった。


「……妻なのか、あれは」

「御土真教が無くなったら婚姻解消か?冷てぇなァ、元司祭様。甲斐甲斐しい幼な妻を切り捨てて、次の女に鞍替えか」

「そうではない」


御土真教崩壊によって、自分達は司祭でも巫女でも無くなった。だから、宗教上の理由で成立した婚姻も今や在って無いようなものだと、蓮角はそう考えていた。

自分達の関係は今、酷く曖昧だ。夫婦と言えば夫婦だが、夫婦ではないと言えば夫婦ではない。それが何と言うか、蓮角はもどかしかった。


共に暮らしてはいるが、それは楽須弥での借りを彼女に返す為だ。秋沙にも、そう伝えている。最低限の生活は保障する。その範疇で好きなように過ごしてくれていい。そう言ったにも関わらず、秋沙が炊事洗濯に勤しんでくれるので、蓮角は困っていた。

目的が暮らしの快適化。或いは、衣食住を提供されることに対する返礼なのか。はたまた、夫婦生活の延長線として捉えているのか。それが不透明であるが故に、蓮角は参っている。

詰まる所、彼は秋沙が自分達の間柄をどう思っているかが気掛かりなのだが、それを尋ねることが出来ないが為に悩んでいるのであった。


「……最近、秋沙が安楽屋で看護師見習いを始めた」

「巫女からナースにジョブチェンジか。コスプレ女優みてーだな」

「言葉に気を付けろ。……燕姫によると、物覚えも手際もいいので将来的に本採用したいとのことだ」

「へぇ。燕姫に其処まで言わせるたぁやるじゃねーの」


どうやら入院中より安楽屋で働きたいという話をしていたらしい。蓮角が葬儀屋で働いている間、秋沙は燕姫の元で看護師の仕事をするようになった。

燕姫に尋ねたところ「勤務態度も真面目だし、何事にも意欲的に取り組んでいるので好感が持てる」「見込みがあるので将来的にうちのスタッフとして働いてもらいたい」と言われた。

秋沙も「とても遣り甲斐がありますし、皆さんとてもお優しいので楽しくお仕事させていただいております」と夕飯時などに安楽屋での出来事を語っている。

それは良いことであると思う。思うのだが、どうにも素直に喜び難い想いがあるのだと眉を顰める蓮角に、鴉は片眉を上げた。


「で、それの何がご不満で?」

「不満ではない。……ただ、あいつが俺から離れる為の準備をしているんじゃないかと思ってな」

「はぁ」


秋沙に対し、何か物申したい様子の蓮角であったが、彼女が安楽屋で働くことに文句がある訳ではなかった。

彼女の行動を制限する権利は無いし、好きなように過ごしてくれていいと言った以上、秋沙のすることに口出しする気も無い。だが、彼女が安楽屋で働く目的が自立の為なのではないかと思うと、何とも受け入れ難いのだと蓮角は言う。


「御土真教が消えた今、秋沙が俺といる意味は無いだろう。……俺達は宗教上の夫婦であって、事実上の夫婦ではない。生活出来る程度に稼げるようになったなら、葬儀屋を出ていくのも自然のことだと」

「成る程。不満じゃなくて不安なワケか」


鴉が鼻で笑いながら湯呑みの茶を呷ると、蓮角は至極真面目な顔で首を傾げた。

不満というより不安なのだと言われて、腑には落ちた。しかし、自分が何を不安に思うことがあるのか。蓮角にはそれが分からなかったのだ。


「何故俺が不安になる」

「そりゃお前、秋沙に出て行かれたくないからだろ」

「何故秋沙に出て行かれたくないんだ、俺は」

「それはてめーの胸に聞いてみるんだな」


蓮角が抱く疑問の答えを知っているが、口にするには余りに馬鹿馬鹿しいと、鴉は適当にはぐらかすことにした。

真面目に話を聞いているだけで蕁麻疹が出そうな程度に、青臭く小恥ずかしい。所構わず男と女がまぐわうような町でする話ではないと、鴉は食後の一服にと煙草に火を点ける。


「ま、どうせ杞憂だ。悩むこたねぇよ」


自分が答えずとも自ずと分かることであるし、そもそも悩むようなことでもない。蓮角は相変わらずモヤモヤしている様子だが、何も知らない訳でも無いのだから放っておいても問題ないだろう。

それにしても、本当にこの手のことに鈍い奴だと楽須弥のことを思い出しながら、鴉は応接間から事務所の方へ顔を出す。


「雛鳴子ー、お茶」

「私はお茶じゃありません」

「雛鳴子母ちゃん、お茶のおかわり淹れて」

「どうしてそう余計な一言を付けずにいられないんですかね、貴方は……」


机で午前の分の仕事をせっせと片付けていた雛鳴子が、忙しいのが分かっていながらお茶汲みをさせるなと此方を睨む。しかしこれも業務の一環なので断る訳にもいかず、雛鳴子は渋々急須を受け取り、給湯室へ向かった。


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