カナリヤ・カラス | ナノ


大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。

誰に尋ねられた訳でもない筈なのに、そう口にしたくなったギンペーは、どうしてこうなったと頭を抱えた。


運命の分かれ道というものがあったとして、その分岐点にさえ気付けぬまま坂道へ転がり込むことになるなんて、そんなことあるのだろうか。


本当に、いつの間にかだった。

雛鳴子と共にターゲット・カササギを目指し、自治国軍基地内部を走っていたギンペーは、いつ自治国軍人に出くわすか、いつ生物兵器が襲いかかってくるか――そんな緊張感があったせいか、前がしっかり見えていなかったのだろう。気が付いた時には、ギンペーは雛鳴子とはぐれていた。

そして、なんでどうしてと右往左往し、四面楚歌の中で一人になってしまったという不安と混乱から、ギンペーはあろうことか敵陣のド真ん中で声を上げてしまった。


――雛ちゃーーん!!どこーーー!!?


それが命取りだということにギンペーが気付くのに、時間は要さなかった。

基地内に響く声を聞き付け集まってきた自治国軍人数名。彼等と眼が合った瞬間、ギンペーの呼び声は悲鳴に変わった。


それからはもう、我武者羅に、ひたすらに走った。屈強な自治国軍人を複数人相手になど出来ない。取り敢えず誰かと合流しなければ、死ぬ!死ぬ!死ぬ!!


こうしてギンペーは、銃火器を持った男達に追い掛けられながら、右も左も分からぬ基地内を逃げ回った果てに、どうにか身を隠すことに成功したのだが。


「撃て撃てぇ!!弾ケチってたら死ぬぞぉ!!」

「レジスタンス如きに後れを取るな!!数で押し切れ!!」

「ああああああ死にたくない!!死にたくないよおおお!!!」

「糞ぉおおお!!こんな……こんなところでぇえええ!!!」


逃げ込んだ場所はあろうことか、戦場ド真ん中。追手も振り切ったというより、戦闘に巻き込まれ、それどころでは無くなったというのが正しい。ギンペーは、よりにとってどうしてどんな所に逃げてしまったのかと膝を抱えた。

倒壊した柱の陰から少し顔を出せば、銃撃戦。慌てて顔を引っ込めて、また様子を見てみれば、人が撃たれて死んでいく。自分がああなるのも、時間の問題だ。何とかして此処から離脱して、誰かと共に雛鳴子を探しに行かなければ。


この戦線が少しでも緩和されたなら、その隙を見計らって、此処から離れることが出来るのだが、よりによってこの場は大混戦。誰かが倒れれば、すぐさま次の人員が補充される。味方の仇を討とうと、これ以上やられてなるものかと士気が高まる。戦いは緩和するどころか激化の一途を辿る。これでは何時まで経っても――。


此処は思い切って、と勇んでみても、無理だ。怖い。死ぬ。飛び出した瞬間、流れ弾に撃たれて死ぬ。怖い。嫌だ。

そんな想いが、体を様子見から動かしてくれない。神経は末端まで恐怖に支配され、頭も段々と白く塗り潰されていく。

この状況下で何もしないことこそが最善なのだと、本能が指示を下しているらしい。
ギンペーは、石のように強張った体をぎゅうと縮まらせ、このまま誰にも見付からぬまま、全てが終わってくれるのを願っていた――だが。


「「う、うわああああああああああああ!!!」」

「!!!」


限りなく膠着状態にあった場は、瞬きする間に激変した。


物量戦で押してくる自治国軍兵にも怯まず、懸命に喰らい付いていたレジスタンス達が、一瞬の内に吹き飛ばされた。
それは、彼等の覚悟も決意も、紙屑のように千切って放るような無情なる一撃。そう。ただの一撃だったのだ。

自治国兵とレジスタンスの混戦を薙いだのは、無情なまでに圧倒的な力。その一振りが、拮抗していた盤上を引っくり返したのである。


「んもぅ、情けないわねぇ。これっぽちのレジスタンス相手に手間取ってたな・ん・て」

「あ……あいつは」


その誇張された女子言葉と、妙に科を作ったような――というには野太く雄々しい声は、この場に於いて余りに不適当でありながら、恐ろしく絶望的な響きを持っていた。

それは偏に、彼が壊れかけの軍事ドローンを片手で投げ飛ばし、レジスタンス数名を瞬く間に粉砕したのを目の当たりにしたのもあるだろうが、いっそ滑稽と言えるその声を、誰もが知っているが故の恐怖も大きい。いや、それらの相乗効果と言ってもいいだろう。

スクラップと化したドローンや、倒れた兵士達を踏み砕きながら前に歩み出る彼の姿に、レジスタンスのみならず自治国軍兵士達もが竦む。そうして呼吸さえ憚られるような静寂が張り詰めていく中、僅かに顔を覗かせたギンペーは、痛烈に後悔した。


恐怖のあまり立ち竦み、逃げることも戦うことも侭ならなくなったレジスタンスの男が一人、頭を掴まれた。

レジスタンスの男は、クレーンゲームの人形のように持ち上げられながら、短い悲鳴を上げ、僅かに脚をばたつかせる。
抵抗と呼ぶにはあまりにも弱々しい命乞い。それを見て彼は、胸を痛めるでもなく、疎ましげに眉を顰めるでもなく――酷く愉しそうに笑った。

まるで、獲物に牙を立てる獣のような悍ましい笑み。その笑顔に畏怖した刹那。レジスタンスの男の頭は、西瓜のように爆ぜた。
握り潰されたのだ。機械音を立てる拳から繰り出された、凄まじい怪力によって。


レジスタンス・自治国軍、双方の血の気がざぁっと引いていく音さえ聴こえるような、惨たらしい静けさが訪れた。
其処にびゅうびゅうと血を噴き上げるレジスタンスの首から下をベシャリと打ち付けて、男は――鵜飼長良は、口元に付着した返り血を舐め取りながら、嗜虐に満ちた声を落とす。


「後で全員、おしおきよ」


ゾッと戦慄が駆け抜けた時には、遅かった。次の瞬間、引っ込めることさえ忘れていた頭の上を、誰かであった何かが通り抜けていくのを目の当たりにして、ギンペーは腰を抜かし、その場にへたり込んだ。

そうして視界いっぱいに倒れた柱の灰色だけが広がる中、雄叫びや悲鳴が滅茶苦茶に谺して、ギンペーは馬鹿みたいに震えた。


もう見るまでもない。始まったのだ。大亰自治国軍機甲兵隊隊長・鵜飼による虐殺が。

勇猛果敢に立ち向かう者も、茫然自失とする者も、泣き喚きながら一心不乱に突撃していく者も、端から散っていく。
竜巻にぶち当たった掘立小屋さながらに、強大な力を前には成す術なく砕けるしかないのだと。そう物語る光景が、ほんの少し先にある。

そんな目と鼻の先の事態から自分を隔絶したくて、ギンペーは必死に目蓋を押し潰し、耳を塞ぐ。だが、悲痛な金切り声は惨劇のイメージを連れ、手の平を軽々とすり抜ける。


「ああああああああああああ!!」

「畜生!!畜生ぉおおお!!!」


今こうしている間にも、誰かが死んでいく。だが、だから何だというのだ。
いきり立って飛び出したところで、自分は何も出来ない。

中型とはいえ、壊れかけとはいえ、重厚な装甲を纏った軍事ドローンを軽々片手で放り投げ、剰え、人の頭を容易に握り潰した。そんな奴と対峙しても、犬死にするだけだ。

そう。自分が此処から出て、彼等と戦う意味なんて無いのだ。大人しく嵐が過ぎ去るのを待っていたって、誰も責めやしないだろう。無意味な増援が来たところで、全滅という結末を覆すことなど出来やしないのだから。


臆病風に挫けた己を正当化しようと、ギンペーは何度も繰り返し自分に言い聞かせる。

無駄死にだけはしてはならない。そもそも自分には、彼等の為に命を懸ける義理もないのだから、と。この短い時間に何百と連ねた言い訳を呑み込もうとした、その時だ。


「!! 鵜飼隊長!!」


絶望に濁った空気を劈く銃声と轟音。それが、絶対となった勝利に弛んでいた自治国軍兵士を数人吹き飛ばしたところで、しっかり横に避けていた鵜飼の義眼が、小さな影を二つ捉えた。呆気に取られる程にちっぽけな、子供の影を。


「ふっふっふ。やっぱり私のカンは正しかったみたいね」

「は?こっちの道だって言ったのは俺だったろ?自分の手柄みたいな顔すんなよな」

「うるさい、馬鹿ケン!道を選ぶ以前に、この方角に幹部がいるって言ったでしょ!あの時私がこっちの方に進んでなかったら今頃」

「うるせぇ!!チビのくせにでかい顔してんじゃねーよ!!」

「んなあああんですってぇえええええ!!!」

「あ……あいつら」


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